ブラジル、アルゼンチン人女性観光客の人種差別事件で裁判開始

(Photo: jornalodia / X)

2024年1月、ブラジル連邦共和国のリオデジャネイロ市において、アルゼンチン共和国国籍のアゴスティナ・パエス(Agostina Páez)が人種差別的侮辱の疑いで起訴された。

事件は同月14日未明に発生したとされる。パエスは友人らとともに同市海岸地区のバーを利用しており、その後の行動が問題となった。ブラジル連邦共和国検察(Ministério Público)によれば、発端はバーの会計をめぐる口論であった可能性があるという。一方でパエスは、自身と同行者に対する過大請求があったと主張している。また退店時には従業員から猥褻な身振りを受けたとも主張している。

その後、バーの従業員が撮影した映像が公開され、パエスがサルの真似をしながら人種差別的な侮辱行為を行い、その場を立ち去る様子が確認された。この映像を受け、ブラジル連邦共和国当局はパエスを拘束し、人種差別的侮辱の容疑で起訴した。この行為は同国の法律により犯罪として規定されている。

当時29歳であるパエスは弁護士であり、起訴内容に基づき2年以上5年以下の禁錮刑および罰金が科される可能性がある。リオデジャネイロ州裁判所は3月から証拠調べを開始しており、判決は今後数週間以内に下される見通しである。パエスは自身の行為について謝罪する一方で、挑発を受けた結果であったとも主張している。

バーの防犯カメラ映像について、米国の新聞ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は、従業員が観光客を嘲笑しているように見える場面を確認したと報じた。一方、ブラジル連邦共和国検察(Ministério Público:MP)は裁判所命令により事件の詳細が非公開であるとして、映像に関するコメントを控えた。

またパエスはアルゼンチン共和国の報道機関に対し、人種差別の意図はなかったと述べているほか、「感情的な反応だった」と説明している。パエスの弁護士セバスティアン・ロブレス(Sebastián Robles)は、行為が他者の行動への反応であったとしつつも、ブラジル連邦共和国の法律に違反していたこと自体は認めている。

事件を担当する検察官ファビオラ・タルジン(Fabíola Tardin)は、会計をめぐる口論は行為を正当化するものではないとし、法的責任を免除する理由にはならないとの見解を示している。

パエスはその後、ブラジル連邦共和国で人種差別的侮辱罪により2ヶ月間拘束されていたが、リオデジャネイロ州の司法当局からヘイビアス・コーパス(habeas corpus:人身保護令状)が認められ、出国が可能となった。ただし帰国にあたっては最低賃金60か月分に相当する保証金の支払いが条件とされた。

 

アルゼンチンでは被害者、ブラジルでは人種的正義の象徴

アルゼンチン共和国においてはアゴスティナ・パエスが被害者として扱われる一方、ブラジル連邦共和国では人種的正義に関わる刑事事件として扱われている。

アルゼンチン共和国では一部の人々が、パエスを過度に厳格な司法制度の被害者として描いている。これらの主張は、パエスがソーシャルメディアやインタビューで行った発言を根拠としている。パエスは殺害予告を受けたこと、自身の法的権利が侵害されたこと、ブラジル連邦共和国で「極端な迫害」を受けていることを訴えている。パエスは動画の中で「私は絶望している。恐怖でいっぱいだ」と述べている。

アルゼンチン共和国の右派論者の一部は、ブラジル連邦共和国がパエスを見せしめとして扱っており、事件内容が実際以上に誇張されていると主張している。またアルゼンチン共和国の国会議員であり、ハビエル・ミレイ(Javier Milei)大統領の側近であるリリア・ルモワーヌ(Lilia Lemoine)は、パエスが国家の被害者であると述べ、ブラジル連邦共和国政府が報復的対応を行っていると非難している。

アルゼンチン共和国のハビエル・ミレイ大統領は急進的リバタリアンとして知られ、進歩主義的政策への批判を行ってきた経歴を持つ人物であり、同国では差別対策を担う政府機関の再編・縮小が進められている。

一方、ブラジル連邦共和国では人種差別が1988年以降、憲法上犯罪として規定されている。ブラジル連邦共和国は1888年に奴隷制度を廃止して以降、人種差別に対する厳格な法制度を整備してきた経緯があり、本件はその枠組みに基づく刑事事件として扱われている。

同国では人口構成や奴隷制の歴史的背景を踏まえ、人種差別問題に対する社会的関心が高いとされている。また、説明責任の強化を求める活動などを背景に、厳格な反人種差別法制が整備されてきた。本件は、そうした法制度が実際に適用された事例として位置づけられていると報じられている。

パエスは逃亡のおそれがあると判断されたため、2024年1月以降、足首に電子監視装置を装着した状態でブラジル連邦共和国リオデジャネイロ州当局の監視下に置かれていた。

その後、リオデジャネイロ州の裁判所は、2万米ドルの保釈金の支払いを条件として、裁判結果を待つ間のアルゼンチン共和国への帰国を認めた。

事件を担当する検察官ファビオラ・タルジン(Fabíola Tardin)は、パエスに前科がないことや反省の態度が見られることを踏まえ、有罪判決が下された場合でも検察として最高刑を求刑しない方針であると述べている。また検察は、バーの従業員に対する損害賠償として数万米ドル規模の支払いを求める可能性があるとしている。

タルジンは、本件がブラジル連邦共和国において人種差別を容認しない姿勢を示す事例であるとの見解を示している。一方で、「ブラジル連邦共和国は権威主義国家として描かれているが、実際に求めているのは引き起こされた損害に対する司法的正義である」とも述べている。

 

ブラジルの反人種差別法制

ブラジル連邦共和国では2025年に7,000件を超える人種差別の通報が記録され、前年から67%増加したとされている。専門家は、この増加について過少申告の是正が進んだ結果である可能性を指摘しており、その背景には法制度の強化、警察の訓練の進展、社会的認識の変化があると分析している。

リオデジャネイロ州文民警察(Polícia Civil do Rio de Janeiro:PCRJ)の警視リタ・サリム(Rita Salim)は、朝に執務室へ入ると、その日のうちに人種差別の被害を訴える市民が2〜3人訪れることを想定していると言う。その中には、長年にわたり肌の色による差別を受け続け、限界に達した段階で初めて被害申告を行う者も含まれる。サリムはインタビューで、「多くの被害者は、もう耐えられなくなった時、堪忍袋の緒が切れた時にやって来る」と述べている。

ブラジル連邦共和国は1888年に奴隷制度を廃止し、1988年には憲法上で人種差別を犯罪として規定しており、現在はアメリカ大陸において先進的な反人種差別法制の一つを有するとされている。

こうした状況の中で、別のアルゼンチン国籍観光客による人種差別事案も報告されている。観光列車内で子どもを撮影し「奴隷として連れて帰りたい」と発言したとして、アルゼンチン共和国国籍の建築家エドゥアルド・イグナシオ・ムリアス(Eduardo Ignacio Murias)が拘束された事例も報告されている。この人物は収監状態に置かれているとされ、この拘束をめぐり弁護側と専門家の間で法解釈の対立が生じている。

Photo:El Marplatense

 

ムリアスの弁護人シロ・チャガス(Ciro Chagas)によれば、同氏はミナスジェライス州(Minas Gerais)の観光列車内で発生した人種差別的侮辱および7歳の子どもに対する差別的発言の容疑で起訴され、予防的拘禁下に置かれているとされる。事件は同州ティラデンテス(Tiradentes)周辺で発生したと説明されている。

弁護士シロ・チャガスは、自身の戦略を法の原則に基づいて正当化し、「技術的には、私がチャット内で述べた内容は完全に法的に成立し得ない」と述べている。チャガスは、捜査対象となっている人種差別関連の犯罪について「外部への表現が必要であり、私的な場での発言は対象とならない」と主張している。

一方、国際法専門の弁護士カルラ・フンケイラ(Carla Junqueira)はこれとは異なる見解を示している。フンケイラは「ブラジルには判例が存在し、人種差別的内容を含むメッセージが第三者に送信された場合、それが私的チャットであっても被害者が後に内容を知った時点で刑事犯罪が成立する」と述べている。この発言はニュース番組「モド・フォンテベッキア(Modo Fontevecchia)」で、ネットTVおよびラジオ・ペリフィル(Radio Perfil:AM 1190)を通じて行われた。

Photo:O´Globo

 

弁護側は、当初の状況について、未成年者の撮影をめぐる誤解から乗客間の混乱が生じ、その後に人種差別行為の疑いへ発展したと説明している。また現在、拘留取り消しを求める申立てが行われている。さらに弁護側は、私的チャット内の発言についても争点としている。チャガスは、私的空間での発言は人種差別罪の構成要件を満たさないと主張し、「外部への表現が必要であり、閉じられた環境での発言は刑事犯罪になり得ない」と述べている。

これに対しフンケイラは、人種的侮辱罪(injúria racial)は現在では人種差別罪と同等に扱われており、発言が被害者に直接向けられていない場合でも成立し得るとの立場を示している。さらに、私的チャットであっても第三者への送信や被害者による認知があれば刑事責任が成立するとの判例が存在すると説明している。

またフンケイラは、弁護戦略として故意(dolo)ではなく過失(culpa)として構成する余地がある可能性にも言及している。さらに証拠の取り扱いについても、携帯電話の保管経路に基づく証拠能力や証拠の連鎖(chain of custody)の適否が争点となり得るとしている。

ブラジル連邦共和国の法律では、人種差別的行為は2年以上5年以下の禁錮刑の対象とされ、集団的行為やインターネット拡散がある場合には刑が加重される可能性がある。

 

アルゼンチン人の人種差別問題の傾向

「モド・フォンテベッキア」でインタビュアーは、アルゼンチン共和国国籍者による同種の事案が繰り返し報告されている点に言及し、特にアルゼンチン共和国北西部サンティアゴ・デル・エステロ州(Santiago del Estero)出身者が含まれている点にも触れた上で、アルゼンチン共和国国籍の観光客が他国の観光客と比較してブラジル連邦共和国で人種差別事案を起こしやすい傾向があるのか、その背景は何かを質問した。

これに対し国際法専門の弁護士カルラ・フンケイラは、問題は国籍ではないという点について部分的に同意した上で、人種差別はブラジル連邦共和国国内でも発生しており、他国の外国人にも起こり得ると述べた。

その一方でフンケイラは、近年の傾向として2023年以降のブラジル連邦共和国における法制度の厳格化が影響している可能性を指摘した。この制度は反人種差別の抑止を目的とした性格を持つものと説明された。

またフンケイラは、アルゼンチン共和国やチリ共和国では「黒人が存在しない」とする社会的認識を形成しようとする動きがあったと述べた一方で、実際にはそのような認識は事実と異なると指摘した。

その結果として、アルゼンチン共和国や一部のラテンアメリカ諸国では人種差別的侮辱の重大性が相対化されやすくなり、ブラジル連邦共和国との間で認識の差が生じていると説明した。

 

反人種差別とブラジル

リオデジャネイロ州文民警察(Polícia Civil do Rio de Janeiro:PCRJ)には、人種差別や差別犯罪を専門に扱う部署が設置されている。同様の機関はサンパウロ州(São Paulo)、ミナスジェライス州(Minas Gerais)、バイア州(Bahia)などにも存在している。これらの専門部署は約20人規模で運用され、非政府組織(Non-Governmental Organization:NGO)や人権団体と連携しながら対応している。

一方で、差別被害の申告には心理的障壁が存在するとされており、警察対応への不信や再被害への懸念が要因として指摘されている。警視リタ・サリムは「警察署に行き、再び差別されることを恐れている」と述べ、対応改善の必要性に言及している。

加害者の属性は多様であり、年齢や社会階層に限定はないとされる一方で、高齢者の場合には行為の違法性認識が不十分な場合もあると説明されている。また外国人については法制度の理解不足を理由とするケースも見られるが、逃亡のおそれがある場合には予防的拘束が選択されることがある。

さらに刑事手続においては、自宅拘禁や電子監視装置(アンクレット型監視装置)などの代替措置が用いられる場合もあり、一定期間の国内滞在を条件とする運用も行われているとされる。

 

参考資料:

1. Racistas a la cárcel: claves que colocan a Brasil a la vanguardia de la lucha contra la discriminación racial
2. La abogada de Agostina Páez y el abogado del argentino acusado de racismo opinaron del caso
3. Cuando el racismo es un delito: Brasil juzga a una turista argentina por sus palabras y gestos
4. La turista detenida en Brasil por gestos racistas, autorizada a regresar a Argentina
5. Quién es Eduardo Ignacio Murias, el santiagueño acusado por racismo contra un niño en Brasil

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