(Photo:REUTERS)
アルゼンチン生まれのゴールキーパー、ヘルナン・ガリンデス(Hernán Galíndez)は、故郷での苦難を乗り越え、エクアドル代表の守護神としてワールドカップの舞台に立った選手である。
ガリンデスは1987年3月30日、アルゼンチンのロサリオ(Rosario)で生まれた。リオネル・メッシ(Lionel Messi)やアンヘル・ディ・マリア(Ángel Di María)と同世代で、同じ地域で育った。幼少期には地元の大会でメッシと対戦した経験がある。ガリンデスは2023年のESPNアルゼンチン(ESPN Argentina)のインタビューで、「人生で初めて決められたゴールはメッシに決められたものだった」と語った。
5歳の時、参加した大会で偶然ゴールキーパーを務めることになり、当時から才能を見せていたメッシと対戦したという。その大会の決勝では、ガリンデスが所属していたエストレジャ・ジュニオルス(Estrella Juniors)がメッシのチームを破った。その後、メッシはバルセロナ(Barcelona)へ進み、ディ・マリアも欧州で成功を収めた。一方、ガリンデスはロサリオ・セントラル(Rosario Central)の下部組織で成長し、トップチーム入りを目指した。
しかし、ガリンデスがプロ選手として歩む道は厳しいものだった。
ロサリオで経験した苦難
ガリンデスはロサリオ・セントラルでプレーしていたが、チームが降格した時期に厳しい批判を受けた。当時について、ガリンデスは「両親、70歳の祖母、兄弟、そして自分が死の脅迫を受けた。突然、出ていけ、何の役にも立たないと言われた」と振り返っている。街中でも批判を受け、「ゴールを守るのが下手だ」と言われることもあったという。そうした状況の中で、ガリンデスは「ほとんど隠れるようにして去った」と語った。
クラブを離れた後は所属先を失い、自信も失った。体重は10キロ増え、自分自身を「太ったガリンデス」と呼ぶほど精神的にも追い込まれた。
24歳の時にはサッカーを続けること自体を諦めることも考えていた。その時期に届いたのが、エクアドルからのオファーだったと言う。
エクアドル移籍が再出発のきっかけに
2012年1月、ガリンデスはエクアドルのウニベルシダ・カトリカ(Universidad Católica)へ加入した。当時のウニベルシダ・カトリカはセリエBに所属しており、ガリンデスにとって再出発の場所となった。
2012年1月18日にキトへ到着したが、当時はエクアドルのサッカーについて詳しく知らず、現地に知人もほとんどいなかった。そこで最初に連絡したのは、ロサリオ・セントラル時代から関係のあったゴールキーパーコーチのグスタボ・フローレス(Gustavo Flores)だった。
ウニベルシダ・カトリカでは、ホルヘ・セリコ(Jorge Célico)監督やパトリシオ・ララ(Patricio Lara)らスタッフから指導を受けた。また、チームメートのファクンド・マルティネス(Facundo Martínez)は、住居が決まるまでガリンデスを自宅に招くなど、新生活を支えた。
ガリンデスはバスで練習場へ通い、食事の準備や洗濯も自分で行った。遠征では長時間の移動も経験し、異国での生活に適応していった。こうした経験を重ねる中で、ガリンデスはエクアドルで生活基盤を築いていった。
国籍取得を決めた理由
ガリンデスは2016年、エクアドル国籍取得の手続きを開始した。すでに居住権を取得しており、エクアドルに住み続けることは決めていたが、正式に国籍を取得する決断をした大きなきっかけは、2016年4月16日にエクアドル沿岸部で発生した地震だった。
地震後、ガリンデスは被災地へ送る支援物資を購入するため、スーパーマーケットを訪れた。店内では米や麺類、水などの売り場が空になっており、理由を尋ねると「みんなが沿岸部へ送るために買っていった」と説明されたという。食料や水が不足する状況の中で、多くの人々が自分のためではなく、被災者へ届けるために物資を購入している姿を目にしたガリンデスは、エクアドル国民の連帯に心を動かされた。
その経験について、ガリンデスは「その時、この国から離れないと決めた。ここが自分の国だと思った」と語っている。また、「ここが私の国だ。ここから私を連れ出す者はいない」と決意を語った。
長い手続きを経て、ガリンデスは2019年2月25日に正式にエクアドル国籍を取得した。ガリンデスは「アルゼンチン人として生まれることは選べなかった。しかし、エクアドル人になることは自分で選んだ」と話している。
ガリンデスはエクアドル代表のユニホームを着る資格を得るためだけではなく、自身が選んだ国の一員になるために国籍取得を進めた。
エクアドル代表入り、ワールドカップ出場へ
2020年10月、グスタボ・アルファロ監督(Gustavo Alfaro)が率いるエクアドル代表に初招集された。当時、ガリンデスは家族と過ごす予定だったが、代表招集の連絡によって状況が変わった。「エクアドルのゴールを守るために呼ばれたと聞いた時、人生が奪ったものを少し返してくれたように感じた」と語り、代表入りが自身にとって特別な意味を持つ出来事だったことを明かしている。また、代表でプレーすることについて、「サッカー選手にとって、代表チームでプレーすることは最高地点だと思う」と話している。
その後、ガリンデスはエクアドル代表の重要な選択肢となり、2022年サッカーFIFAワールドカップ(FIFA World Cup Qatar 2022)のメンバーにも選出された。35歳で迎えたワールドカップは、長年苦労を重ねたガリンデスにとって大きな節目となった。
2026年サッカーFIFAワールドカップ(FIFA World Cup 2026)では39歳となり、大会出場選手の中でも最年長級のゴールキーパーとなった。ガリンデスは代表で過ごす時間について、「毎回の練習が残りの一つになるように感じる」と語り、限られた時間を大切にしている。
かつて故郷で批判を受け、引退を考えた選手は、現在ではエクアドル代表の守護神として国民から支持を受ける存在となった。
エクアドルは人生を変えた国
アルゼンチン生まれでありながら帰化によってエクアドル人となったガリンデスは、エクアドルへの感謝を繰り返し語っている。
2012年にウニベルシダ・カトリカへ加入し、2021年まで所属した。その後、チリのウニベルシダ・デ・チレ(Universidad de Chile)で短期間プレーし、2022年にはアウカス(Aucas)へ加入した。アウカスではリーガ・プロ(LigaPro)優勝を経験した。その後はアルゼンチンのウラカン(Huracán)でもプレーし、正ゴールキーパーとして活動している。
インタビューで「エクアドルはキャリアにとって何を意味するか」と問われたガリンデスは、2012年の移籍当時を振り返った。「エクアドルへ行ったのは、アルゼンチンでプレーできなくなっていたからだ。それが事実だ。ある時、『もうお前は必要ない、出ていかなければならない』と言われた」。「2012年1月18日に初めてエクアドルへ向かい、キトに到着した」。「キトのウニベルシダ・カトリカでセリエBから始めた。その年にうまくいかなければ、もうサッカーを続けないと思っていた。自分にとって最後のチャンスだった」と当時の心境を明かした。
その後について、ガリンデスは「エクアドルは私の人生を変えた国になった。私が愛する国であり、将来暮らす国だ。私にすべてを与えてくれた」と語った。また、「そこで妻と出会い、2人の子どもが生まれた。エクアドルは本当に美しい国で、今でも恋しく思っている」と話し、エクアドルで築いた生活について語っている。
私はエクアドル人だ
エクアドル代表でプレーするようになった後も、ガリンデスは国籍を巡る批判を受けることがあった。代表で初めてキャプテンマークを着けた際、一部から外国人選手であることを理由に批判された。
ガリンデスは当時について、「代表で初めてキャプテンマークを着けた時、たくさんの批判を受けた。しかし私は何も言い返さなかった」と語っている。
一方で、長年エクアドルで生活し、代表選手としてプレーしてきた自身に対して「外国人」と言われることには複雑な思いがあったという。「腹が立ったのは、エクアドルに長く住み、代表でもプレーしてきたのに、いまだに外国人と言われることだった。私はエクアドルで外国人だとは感じていない」と述べた。
また、プレーへの批判と国籍に関する批判は分けるべきだと説明した。「プレーについて批判されるなら問題ない。しかし国籍については言ってほしくない。私の国籍は誰かから与えられたものではない。私は自分の意思でエクアドル人になった」と語った。
キャプテンを巡る騒動については、エネル・バレンシア(Enner Valencia)にも相談したことを明かした。「とても腹が立ち、エネルにも話した。現在は複数のキャプテンがいるが、中心にいるのはエネルだ。彼から大きな支えを受けた」と振り返った。
また、親善試合で自身がゴールを決めた際にはバレンシアが抱きしめてくれたと話し、チーム内で支えられていたことを明かした。「必要以上に騒ぎにならないようにしたかった」と語った。
ウニベルシダ・デ・チレ退団、代表入りを優先した決断
2022年7月、ガリンデスはチリのウニベルシダ・デ・チレ(Universidad de Chile)との契約を途中で解除し、エクアドルへの復帰を決断した。契約は2023年12月まで残っていたが、在籍期間は半年で、双方合意のもと契約を終了した。
ガリンデスは退団時の声明で、クラブへの感謝を示した上で、その理由を説明した。「アスール・スポーツコンプレックスでの初日からクラブが示してくれた支援に感謝している。私にとっては、家族、自分のキャリア、そして35歳で巡ってきたエクアドル代表としてワールドカップに出場する唯一の機会を優先しなければならなかった」と語った。また、代表入りを目指す上で、自国リーグで継続的に出場することが重要だったと説明した。
「代表チームとスタッフの近くで過ごし、自国リーグで試合出場を重ねることは非常に重要だった」「ウニベルシダ・デ・チレは競技面でも成長の面でも素晴らしい環境を提供してくれた。しかし、2022年カタール大会の代表メンバー入りを目指すためには、エクアドルへ戻る必要があると判断した」と述べた。
一部で報じられた脅迫については否定した。「脅迫を受けた事実や、身の危険を感じた事実はない。家族が主にSNS上の一部のメッセージに不快感を覚えたことはある。しかし、それはサッカー界では珍しくないことだ」と説明した。さらに、「スタジアムや街では、クラブの本当のサポーターから常に支えられていると感じていた」と振り返った。
エクアドル代表の守護神となった男
ロサリオで苦しい経験をしたガリンデスは、2012年にエクアドルへ渡ってからキャリアを立て直した。ウニベルシダ・カトリカで地位を築き、エクアドル代表入りを果たした。2022年サッカーFIFAワールドカップ(FIFA World Cup Qatar 2022)にも出場し、代表のゴールを守った。そして2026年サッカーFIFAワールドカップ(FIFA World Cup 2026)では、39歳という年齢で再び大舞台を迎えることとなった。
かつては「もう必要ない」と言われ、サッカーを続けることすら迷ったガリンデスだったが、異国で生活基盤を築き、国籍を取得し、エクアドル代表の守護神となった。
ガリンデスは、アルゼンチン人として生まれることは選べなかったが、エクアドル人になることは自分自身で選んだと語っている。エクアドル代表の国歌が流れる舞台で、ガリンデスは自ら選んだ国のためにプレーしている。
参考資料:
1. Hernán Galíndez, de ser amenazado de muerte a referente en Ecuador
2. Hernán Galíndez: “Me voy porque debo privilegiar mi familia, mi carrera y la opción única de jugar una Copa del Mundo”
3. ¿Qué significa Ecuador para Hernán Galíndez?: ‘Es el país que me cambió la vida, que me dio todo y que amo’
4. De las canchas de barro a la gloria: las historias de los ecuatorianos que vencieron a Alemania en el Mundial 2026



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