エクアドル全国スト2022:デモ参加者フアン・マヌエル・シスレマの死去

(Photo by David C. S.

 

国民的ストライキ中にペレットに被弾したデモ参加者、フアン・マヌエル・シスレマ(Juan Manuel Sislema)が死亡した。

チンボラソ県ランラン村出身のフアン・マヌエル・シスレマは、集中治療室(ICU)での49日間の闘病生活の後、36歳の若さで死亡した。エクアドル先住民族連合(Conaie)の声明によると、この男性は2022年8月5日未明に死亡した。

 

フアン・マヌエル・シスレマは2022年の全国スト5日目の6月17日、故郷チンボラソでの抗議行動に向かう途中、頭部を撃たれ、49日間昏睡状態に陥った。ペレットによる銃創でフアンは頭蓋脳挫傷を負った。 フアンは6歳の男の子と10歳の女の子の父親だった。同日リオバンバの歴史的中心部は、警察(軍人もいた)と数十人のデモ隊との激しい衝突の震源地となった。窒息し、絶望し、視力を制限するほど目を刺激する白い煙に覆われた街では、ほとんど何も見ることができなかった。

目撃者や彼を助けた救急隊員や医師の証言によると、フアン・マヌエル・シスレマは、知事室から600メートル余りのところにあるコレオス・デ・エクアドルの高さでペレットを浴びせかけられた。一帯では、警察が催涙ガスを充満させ、衝突が発生した。

 

6月30日、姉のマルガリータ・シスレマ(Margarita Sislema)がメディアGKに語ったところによると、フアンはドセンテ・デ・リョバンバ病院(Hospital General Docente de Riobamba)の集中治療室(ICU)に17日金曜日の夜6時過ぎに入院して依頼危篤状態が続いていた。 マルガリータの話では、彼は気管切開(気管に穴を開けて管を挿入する外科的処置)を受けており、息をすることができていた。

フアン・マヌエルの弟、29歳のアルマンド・シスレマ(Armando Sislema)も6月17日、ペレット弾に当たった。胸部外傷は、アーマンドが負った3つの外傷のうちの1つで、最も深刻なものだった。この衝撃ゆえアルマンドはキト市内の病院に入院しており、「左側頭部が麻痺し、小さな頭部に内出血を起こしている」という。体の半分が可動性を失っている。アルマンド・シスレマはリオバンバの集中治療室にはベッドがないため、キトのエウジェニオ・エスペホ病院(Hospital Eugenio Espejo)に移され治療をされている。 移送される日、家族はソーシャルネットワークで、彼の安全を保証するために人道的な回廊の開放を求めた。 

この地域は、先住民の子どもの2人に1人が慢性的な栄養不良で、10人に4人が貧血という状態。この数値は2006年以降、大きな変動なく推移しているが国は有効な公共政策を実施できていない。貧困の中で、シスレマ一家はいつも懸命に働いてきた。「豊かさ」を手に入れるチャンスはなく、皆、子どもの頃から働いていた。兄弟は努力の甲斐あって、なんとか学校と大学を卒業することはできたと言う。フアンも仕事をしながらチンボラソ国立政治学院で経営学の学士号を取得した。

「私たちはここにいる皆と同じようにお金に不自由していましたが、愛に不自由することはなく、パンを稼ぐだけでなく、不当なものを要求することも教えてくれました。だから、私たちはいつも家族のように団結しているのです。私たちは互いに支え合うことをやめなかった」と、マルガリータ・シスレマは語った。

 

国家警察は6月18日(土)午後3時、「公共の秩序をコントロールするために銃器や殺傷弾薬を使用しないという明確な処分を下して」おり、また「客観的で透明性のある」捜査を開始するよう、また公選弁護人に「技術的および文書的な審理」をするように同行するよう検察庁に要請したと述べている。しかし彼らの父親であるマヌエル・シスレマ(Manuel Sislema)は全国紙EL UNIVERSOに、治安部隊は抗議行動を制圧するためのペレット利用を否定しているが、息子たちに起こったことはその逆を証明している。だからこそ、必要な証拠を得るために弁護士に頼らざるを得ず、正義を得ることを望んでいるのだ、と述べている。また、「すべての人間にはデモをする権利があり、息子たちは自分たちの権利を要求するために自発的に行ったのです」と、若者の父親は語った。

https://twitter.com/zinecdoc/status/1538325634761506817

 

6月の全国一斉ストライキの後、403件の事件が検察庁で分析されているが、捜査プロセスを開始していないのは3県だけである。彼の死によって、全国的なストライキによる死者は7人になった。一方負傷者は350人以上にのぼる。

フアン・マヌエルの遺体はアンバト市のメディシナ・リーガルに運ばれ、そこで検死が行われる予定だ。

 

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参考資料:

1. Falleció Juan Manuel Sislema, uno de los manifestantes heridos de gravedad en el paro nacional
2. Murió Juan Manuel Sislema, manifestante que fue impactado por perdigones en el paro nacional
3. Los hermanos Sislema llevan 20 días hospitalizados y siguen graves, luego de ser heridos en el paro

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