モイセス・カイセド(Moisés Caicedo)は、現在エクアドルサッカー界を代表する選手の一人として世界から注目を集めている。しかし、彼の成功への道は決して簡単なものではなかった。
エクアドルのサント・ドミンゴ・デ・ロス・ツァチラス(Santo Domingo de los Tsáchilas)で育った少年は、幼い頃から家族を支えるために働きながら、サッカー選手になる夢を追い続けていた。
2020年11月2日に19歳を迎えたばかりだったカイセドは、すでにインデペンディエンテ・デル・バジェ(Independiente del Valle)とエクアドル代表で存在感を示していた。
番組「フットボール・シン・カセット(Fútbol Sin Cassette)」の予告映像の中で、カイセドは自分の幼少期について語った。その中で彼は、家族の生活を助けるため、母親と一緒に花を売っていた過去を明かしている。「母は死者の日(Día de los Muertos)に花を売っていて、私も売らなければならなかった。決して好きではなく、泣いていたこともある。でも、母を手伝っていた」。カイセドはそう振り返った。
カイセドは、大きな成功を手にしても、自分がどこから来たのかを忘れていない。彼にとって家族は、サッカー人生の原点である。
サッカーを愛した少年時代
カイセドは2001年11月2日、エクアドルのサント・ドミンゴ・デ・ロス・ツァチラスで、両親と10人の兄弟がいる家庭に生まれた。大家族の中で育った彼にとって、幼い頃からサッカーは特別な存在だった。ボールを蹴ることは、単なる遊びではなく、彼にとって人生そのものだった。
幼少期のカイセドは、土のグラウンドで年上の子どもたちと一緒にプレーしていた。体格差がある相手との試合では何度もぶつかり、蹴られて泣くこともあった。しかし、その経験が彼を強くしていった。近所の住民がテレビを外に出し、地域の人々がエクアドル代表の試合を見られるようにしていたことも、彼のサッカーへの憧れを育てた。
カイセドは当時を振り返り、こう語っている。「いつも友達と外に出て遊んでいた。私が好きだったのはボールだけだった」。「でも、苦しい時期もあった。サッカーをするための靴を買うお金がないこともあり、その時はスニーカーで遊んだり、足を守るために裸足でプレーすることもあった。それが私が育った子ども時代の一部だった」。
彼の夢は、いつかエクアドル代表のユニフォーム、そしてインデペンディエンテ・デル・バジェのユニフォームを着ることだった。毎晩、その夢が現実になるよう祈っていたという。
家族を支えた幼少期
モイセス・カイセドが世界的なサッカー選手になる前、彼の生活は決して華やかなものではなかった。エクアドルのサント・ドミンゴ・デ・ロス・ツァチラスで育ったカイセドの家族は裕福ではなかった。父親は三輪車を使った仕事で生活を支え、母親は近所の人の服を洗濯するなどして家計を助けていた。
カイセドは、両親が家族のためにどれだけ努力していたかを振り返っている。「両親はいつも、私たちにできる限りのものを与えるため努力してくれた。両親を持てたことを幸せに思う」。そして、両親についてこう続けた。「決して私たちを一人にせず、いつもそばにいてくれた」。
そんな家庭環境の中で、カイセドも幼い頃から家族を助けていた。母親が死者の日に墓地周辺で花やろうそくを販売していた時、彼も一緒に売る手伝いをした。死者の日には多くの人が墓地を訪れるため、その周辺で花やろうそくを買う人がいた。母親にとって、それは家族を支えるための大切な仕事だった。
しかし、少年だったカイセドにとって、その時間は簡単なものではなかった。彼にはサッカーをしたいという強い気持ちがあったからだ。番組「フットボール・シン・カセット(Fútbol Sin Cassette)」のインタビューで、カイセドは当時の思いを率直に語った。「母は死者の日に花を売っていて、私も売らなければならなかった」「決して好きではなかった。泣いていたこともある。でも、母を助けていた」。
幼い彼にとって、サッカーをしたい時間に仕事をしなければならないことは苦しかった。「好きではなかった。今まで一度も好きではなかった」「母が連れて行かないように泣いた。でも、行かなければ確実に叱られた」。
それでも、カイセドは母親を責めることはなかった。花を売ることは、家族が生活していくために必要なことだったからだ。彼は幼いながらも、その状況を理解し、母親を助けるために役割を受け入れた。そして、その時期の経験は、後のカイセドの考え方や人間性を作る大きな一部になった。
プロへの第一歩
カイセドの才能に最初に気づいた人物の一人が、地域の指導者イバン・ゲラ・ガルシア(Iván Guerra García)だった。ゲラは彼のサッカー能力を見抜き、最初のチームとなるエスポリ(Espoli)へ連れて行った。その後、カイセドはカラーラドス・スポルティング・クラブ(Colorados Sporting Club)へ移籍した。
15歳の時、インデペンディエンテ・デル・バジェ(Independiente del Valle)の下部組織に加入した。そこで彼は各カテゴリーを経験しながら成長し、2019年にはついにプロチームへ到達した。
この時期、カイセドは両親との写真をSNSに投稿し、ある約束を書き残している。「お父さん、お母さん、いつかあなたたちは私を誇りに思うでしょう。約束します」。その言葉は、後に現実になることになる。
インデペンディエンテ・デル・バジェでの飛躍
2019年10月1日、17歳だったカイセドはリガ・デ・キト(Liga de Quito)戦でプロデビューを果たした。若い選手ながら、その試合で高い能力を示し、注目を集めた。
2020年は彼にとって大きな転機となった。U-20コパ・リベルタドレス(Copa Libertadores Sub-20)で活躍し、決勝ではリベル・プレート(River Plate)を破って優勝を経験した。
さらに2020年3月11日、ジュニオール・デ・バランキジャ(Junior de Barranquilla)戦でプロ初ゴールを記録。同年9月17日には、コパ・リベルタドレスのグループステージ第3節でフラメンゴ(Flamengo)を5-0で破った試合でも得点した。
2019年から2020年にかけて、インデペンディエンテ・デル・バジェではコパ・スダメリカナ(Copa Sudamericana)優勝、レコパ・スダメリカナ(Recopa Sudamericana)準優勝も経験した。
こうして、花を売って家族を支えた少年は、少しずつ世界へ近づいていった。
Moisés Caicedo “Mi mamá el día de los difuntos vendía flores o velas y me tocaba vender. Ayudaba a mi mamá”
— Fútbol Sin Cassette (@f_sin_cassette) November 30, 2020
Se viene la joya del fútbol ecuatoriano. La historia del gran jugador que tiene @IDV_EC
Este jueves 21:00 por @DIRECTVEcuador pic.twitter.com/RpyFP5guZk
エクアドル代表への道
インデペンディエンテ・デル・バジェで急成長を遂げたモイセス・カイセドは、やがてエクアドル代表からも注目される存在になった。
2020年10月3日、カイセドは2022年国際サッカー連盟ワールドカップ(FIFA World Cup 2022)南米予選に向けたエクアドル代表の招集を受けた。まだ19歳だったが、彼はすぐにグスタボ・アルファロ(Gustavo Alfaro)監督の信頼を得ることになる。
代表デビューの舞台は、2022年カタール大会予選の初戦となったアルゼンチン代表戦だった。その後、ウルグアイ代表戦でゴールを決め、18歳でエクアドル代表史上最年少得点者となった。若きMFの存在は南米サッカー界で大きな話題となり、欧州クラブのスカウトも彼に注目し始めた。
ブライトン・アンド・ホヴ・アルビオンへの移籍
その才能を見出したクラブの一つが、イングランドのブライトン・アンド・ホヴ・アルビオン(Brighton & Hove Albion)だった。カイセドはブライトンへ加入し、すぐに欧州サッカーへの適応を進めていった。ただし、加入後すぐにプレミアリーグで主役になったわけではない。経験を積むため、ベルギーのベールスホット(Beerschot)へ期限付き移籍した。そこで試合経験を重ね、短期間でチームの中心的な選手へ成長した。
その後ブライトンへ戻ったカイセドは、中盤で圧倒的な存在感を発揮した。ボール奪取能力、運動量、試合を読む力、そして若手とは思えない落ち着いたプレーによって評価を高めた。プレミアリーグ(Premier League)でも屈指のMF候補として名前が挙がるようになった。
世界が注目した才能
カイセドのプレーは、多くのクラブを魅了した。彼は守備的MFとして相手の攻撃を止めるだけではなく、ボールを前へ運ぶ能力も持っていた。その成長速度は非常に速く、エクアドルの小さなグラウンドで育った少年が、世界最高峰のリーグでプレーするまでになった。彼自身、幼少期からの努力を忘れていなかった。
カイセドは、成功した後も高級品や過度な贅沢を好まず、両親から教えられた価値観を大切にしている。「神と家族がその点で私を助けている」「私はいつも落ち着いた人間だった。両親がそのように育ててくれたからだ」「常に謙虚さを大切にし、尊重している。尊重は家庭から生まれるものだ」。彼はそう語っている。
自分のルーツを忘れない
カイセドは、海外で成功しても自分が育った場所を忘れない。「エクアドルに帰る時、国外で休暇を過ごすことはあまりない。自分が育った場所で、友人たちのそばにいたいからだ」「私は普通の人間だと思っている」。
そう話す彼は、自分が特別な存在として扱われることに戸惑うこともあるという。「私と写真を撮るために来た人が震えているのを見ると理解できない」。その言葉からも、彼が今でも普通の感覚を大切にしていることが分かる。
チェルシー移籍、世界的選手へ
その後、カイセドのキャリアはさらに大きく動いた。2023年、彼はイングランドの名門チェルシー(Chelsea)へ加入した。チェルシーとは長期契約を結び、移籍金は1億3300万ユーロとされ、エクアドル人選手として史上最高額の移籍となった。この移籍によって、彼はプレミアリーグ史上でも最も高額な選手の一人となった。かつて花を売っていた少年は、世界最高峰の舞台でプレーする選手になった。
チェルシー加入後、カイセドはこう語った。「チェルシーに加入できてうれしい。この素晴らしいクラブにいられることに興奮している」「夢が実現した」「マケレレ(Claude Makélélé)、カンテ(N’Golo Kanté)、ポグバ(Paul Pogba)は子どもの頃の私の刺激だった」。「チェルシーを応援し、試合を見ていた。ここにいることは信じられない」。
彼にとってチェルシー加入は、ただの移籍ではなく、幼い頃から描いていた夢の実現だった。
尊敬する選手
カイセドは、フランス代表のエンゴロ・カンテ(N’Golo Kanté)やポール・ポグバ(Paul Pogba)を尊敬する選手として挙げている。特にカンテのような守備力と献身性を持つMFは、彼のプレースタイルにも大きな影響を与えた。
ボールを奪い、チームのために走り続ける姿勢は、幼い頃に苦労を経験した彼自身の生き方とも重なる。
話題になった母親との写真
2020年、エクアドルのカヤンベ(Cayambe)で、車のトランクに座って母親と撮影した写真が話題になった。チェルシー加入が決まった際、カイセドはその写真を再現しようとした。
以前はチェルシーのファンとしてユニフォームを着ていた。しかし、数年後、そのユニフォームはファンのものではなく、彼自身がプレーするクラブのものになった。
母親はその時、「私たちの夢が実現した。これは家族全員の夢だ」と語った。
カイセドは、「神のおかげだ」と答えた。
花を売っていた少年は、ついに世界最高峰の舞台に立つ選手になった。
若い選手たちへの象徴
カイセドの物語は、単なる成功談ではない。困難な環境の中でも、努力を続ければ夢に近づけることを示す例となっている。
彼は自分が特別な才能だけで成功したとは考えていない。周囲の支え、家族の犠牲、そして自分自身の努力があったからこそ現在があると理解している。だから「とても感謝している」と語り、「人々はいつも私を支えてくれた」ことを忘れない。「それは私の成長にとても良いことであり、努力を続け、正しいことを続ける力になる」とカイセドはインタビューで続けた。
サント・ドミンゴ・デ・ロス・ツァチラスで育った少年は、今ではエクアドルを代表する存在になった。世界最高峰のリーグでプレーし、ワールドカップ(World Cup)の舞台にも立った。そして今や代表の主将に任命されている。
しかし、どれだけ有名になっても、彼の原点は変わらない。花を売り、家族を助け、夢を追い続けた少年時代。その経験こそが、現在のモイセス・カイセドを作り上げた。
苦労の中で育った少年が、世界の舞台へ到達した物語。それは、才能だけではなく、努力、家族への愛、そして決して諦めない心が生んだ軌跡である。
参考資料:
1. Moisés Caicedo, el ecuatoriano que pasó de vender velas y flores a ser el futbolista más caro de la Premier
2. Vivía de la venta de flores con su mamá, pero ahora ya fue al Mundial con Ecuador y cobra 9 millones al año
3. Moisés Caicedo: “Lloraba cuando me tocaba vender flores”



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