ビジャ・ルガノにおける悲劇的なクリスマス:貧困と過剰射撃、国家政策としての位置付け

(Photo:Motor Económico)

本記事はエミリア・トラブッコ(Emilia Trabucco)によるコラムの日本語訳である。心理学者で、治安学修士を取得している彼女はNODALおよびラテンアメリカ戦略分析センター(Centro Latinoamericano de Análisis Estratégico:CLAE)アナリストである。


2025年のクリスマスは、ブエノスアイレス自治市のビジャ・ルガノ(Villa Lugano)地区において、制度的暴力によって刻まれることとなった。住民で労働者のガブリエル・ゴンサレス(Gabriel González)は、ブエノスアイレス市警察の作戦中に致命的な暴力を受け、死亡した。

事件は日中に発生し、致命的な武力行使を正当化する状況は存在しなかった。後に流通した映像記録は、過剰な介入、至近距離での発砲、そして現在の治安部隊が低所得地域でどのように活動しているかを浮き彫りにした。

事件後、住民や遺族は正義の実現、事実関係の解明、責任者の処罰を求めてデモを組織した。その場で、ゴンサレスは発砲後も数分間生存していたが、警察は救命活動を妨げ、救急車の到着を待たせたと報告されている。応急処置は行われず、即時の医療対応も確保されなかった。この事実は、致死的武力行使だけでなく、故意の救助遅延という形でも国家の責任を示すものであり、制度的暴力の典型例である。

この方針は、マウリシオ・マクリ(Mauricio Macri)政権下でパトリシア・ブルリッチ(Patricia Bullrich)元治安大臣により推進された「チョコバル・ドクトリン(doctrina Chocobar)」に基づくものであり、現在も再活性化されている。この教義は、特に低所得層が居住・労働する地域における致命的武力行使を正当化する枠組みである。

 

制度的暴力の拡大

人権団体のデータは、ビジャ・ルガノ事件が単発の事例ではなく、より広範な現象の一部であることを示している。警察・刑務所抑圧反対連携(Coordinadora contra la Represión Policial e Institucional:CORREPI)は、歴史的事例の分析を通じて、現政権発足以降、制度的暴力が持続的に増加していると警告してきた。

同団体の創設者マリア・デル・カルメン・ベルドゥ(María del Carmen Verdú)は、公的声明で「ハビエル・ミレイ(Javier Milei)政権下で国家の弾圧装置による死者はすでに1,000人を超えている」と明言している。この数字には、過剰射撃による死亡、拘束下での死亡、偽装された銃撃戦、地方・連邦警察および治安部隊の直接行動による死者が含まれる。

また、法社会研究センター(Centro de Estudios Legales y Sociales:CELS)の調査でも、ブエノスアイレス都市圏における制度的暴力の傾向は一貫して確認されている。2023年に死亡者数が高水準であった後、2024年にはさらに増加し、2025年も高水準を維持している。このことは、暴力のモードが深化していることを示す。

ブエノスアイレス州では、記憶のための州委員会(Comisión Provincial por la Memoria)が2024年に1,500件以上の警察暴力事例を記録しており、そのうち143人が致命的武力行使や拘束下で死亡した。被害者の大半は若者、労働者、低所得地域の住民である。

ガブリエル・ゴンサレスの死は、この状況の中に完全に位置付けられる。社会的・共同体的に意味のある日付であっても、制度的暴力は仲介なしに展開され、経済調整、雇用の不安定化、実質所得の低下といった生活条件の悪化と結びついている。武力行使は、増大する社会的対立を抑制する統制手段として機能している。

 

経済政策と治安政策の構造的結合

2026年予算では、賃金、年金、社会政策への調整がさらに進められ、所得分配の逆進性が強化される見込みである。その中で、治安政策は領域支配および社会的対立の抑制手段として中心的役割を担う。制度的暴力は、政府の経済戦略と構造的に結びついている。

自由主義プロジェクトによる秩序維持は、同意だけでなく、強制によっても支えられている。弾圧装置の拡大は、権利の保証者としての国家の撤退と並行して進み、資源は抑圧装置の維持に向けられる。チョコバール・ドクトリンの再活性化は、この過程で重要な役割を果たし、致命的武力行使を国家の社会的不平等や抗議への標準的対応として自然化している。

ビジャ・ルガーノは現状を象徴する場所である。2023年12月以降、1,000人以上が国家の弾圧装置によって死亡しており、その累計は社会全体に問いかけるものである。ガブリエル・ゴンサレスはその悲劇の一部であり、彼の死は進行中の政府方針と社会危機管理の暴力的手法を示している。


 

用語補足

チョコバル・ドクトリン

チョコバル・ドクトリンは、アルゼンチンで使われる政策・治安運用の通称であり、警察官ルイス・チョコバル(Luis Chocobar)をめぐる事件を契機に広まった概念である。2017年12月、警察官チョコバルは強盗事件の現場で容疑者を追跡中に発砲し、容疑者が死亡した。この事件は、警察官の致死的武力行使が正当防衛や職務遂行としてどの程度許されるかという議論を国内に巻き起こした。

この事件を受けて、当時の治安相パトリシア・ブルリッチ(Patricia Bullrich)は、警察官が職務中に行う致死的武力行使について、より広く正当化されるべきという立場を公的に表明した。このような政府・治安当局の姿勢が、「チョコバル・ドクトリン」という言葉で象徴的に呼ばれるようになった。

重要な点は、このドクトリンが正式な法律として制定されたわけではないことであり、あくまで政策運用上の通称であるということだ。つまり、警察官の武力行使に対する裁量や解釈の方向性を示すものである。具体的には、職務遂行中の発砲行為が従来よりも広く正当化される可能性が高まり、司法や行政の評価に影響を与えたことが確認されている。

メディア報道や人権団体の分析によれば、この政策的方向性は特に低所得地域や犯罪多発地域での警察活動に影響を及ぼし、致死的武力行使の事例が正当化されやすい社会的・制度的環境を生んでいる。だが、これは「警察が無制限に発砲できる」といった意味ではなく、あくまで武器使用の裁量や評価基準が広がったことを示すものである。

チョコバル・ドクトリンは、政策や運用の通称であり、特に低所得層や労働者が多く住む地域での警察活動に影響を与える点が指摘されている。これは、社会的弱者が居住する地域では治安部隊による致死的武力行使の発生率が高く、政策的・制度的に正当化されやすい傾向があるためである。人権団体や報道によれば、この傾向は犯罪抑止という名目の下、社会的・経済的に脆弱な地域における警察の裁量権が拡大する構造的要因として現れている。つまり、このドクトリンは単に個別の事件や警察官の行動を正当化するだけでなく、社会経済的条件の違いによって被害が集中しやすい層に制度的影響を及ぼす点が特徴として挙げられる。

#JavierMilei

 

参考資料:

1. Navidad Trágica en Villa Lugano: la pobreza y el gatillo fácil como política de Estado
2. LA DOCTRINA CHOCOBAR

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