メキシコ:AMLO、トレン・インテルオセアニコの機関車を初公開

(Photo:Twitter/ @LuisaAlcalde

アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドル(Andrés Manuel López Obrador:AMLO)メキシコ大統領は、オアハカ、ベラクルス、チアパス、タバスコの地方衣装を着た4人の女性をエンブレムとするトレン・インテルオセアニコ(Tren Interoceánico)で使われる車両第1号車をソーシャルネットワークを通じて公開した。

なお鉄道路線は3つに分かれている。
Z線ー全長308キロ。メキシコ湾と太平洋を結ぶ路線で、ベラクルス州コアツァコアルコス港からオアハカ州サリナ・クルス港まで。
FA線ー全長329km。コアツァコアルコスからチアパス州パレンケまで走り、トレイ・マヤ(詳細はこちら)と相互接続する。
K線ー全長459キロ。オアハカ州イクステペックからチアパス州シウダー・イダルゴまでを結び、グアテマラとの国境に達する。

 

タバスコ州はまた、大統領がホセ・ラファエル・オヘダ(José Rafael Ojeda)海軍大将、エネルギー省のロシオ・ナレ(Rocío Nahle)長官、ルイサ・マリア・アルカルデ(Luisa María Alcalde)内務長官、経済省のラケル・ブエンロストロ(Raquel Buenrostro)長官、、財務省のフアン・パブロ・デ・ボットン(Juan Pablo de Botton)歳出次官、インフラ、通信、運輸の各省の長、クイトラワク・ガルシア(Cuitláhuac García)ベラクルス州知事、CFEのマヌエル・バトレットディアス(Manuel Bartlett Díaz)局長、ペメックス(Pemex)社のオクタビオ・ロメロ・オロペサ(Octavio Romero Oropeza)局長らとともに乗っている機関車の写真を公開した。

 

クイトラワク・ガルシアはAMLOが「コアツァコアルコス港における大洋間回廊の大工事に関するハイレベル作業部会を率いた」と報告している。また「インフラの進歩は莫大なものだが、それ以上にベラクルス州南部の34の市町村の利益のために開発されたものである」とも述べている。

 

AMLOが推し進めるインフラプロジェクトは鉄道によるメキシコ湾と太平洋の接続性を高めることで、同国南東部の経済発展を目的とする。「(テワンテペック)地峡の駅に活気を取り戻し、重要な鉄道の中心地であったマティアス・ロメロ(Matías Romero)に活気を取り戻す」と今年3月にもAMLOは述べていた。マティアス・ロメロとは開通から100年経つ旧メキシコ南方鉄道にある駅だった。「メキシコ-オアハカ線は、人類に多大なサービスを提供し続け、険しく堂々たるミステカ山脈の横断という、当時は本当に大変な偉業を成し遂げて私たちを驚かせている」とMéxico Desconocidoはその路線を説明している。なお同メディアはマティアス・ロメロの偉大なる駐米メキシコ大使の名である。ロメロは有名な3人の大統領の政権下でメキシコの利益獲得のために働いた。3人の大統領とは ベニト・フアレス(Benito Juárez)、マヌエル・ゴンサレス(Manuel González)、ポルフィリオ・ディアス(Porfirio Díaz)で、初代大統領と3代目大統領、そして南北戦争の戦闘員で後に合衆国大統領となったユリシズ・S・グラント(Ulises S. Grant)将軍の友人でもあった。財務長官を務めたことのあるロメロはメキシコ南東部での農業活動の推進者であり、外資の力を借りた鉄道建設の強力な推進者でもあった。40年以上にわたって公務に従事し、1898年、ニューヨークで61歳の生涯を閉じた。ロメロは大した道路も宿も快適な乗り物もない時代に6カ月をかけメキシコ・シティからグアテマラのケツァルテナンゴまで旅したことで知られる。メキシコからプエブラは鉄道を使い、さらに列車と馬でベラクルスへ。そこからサン・クリストバル、パレンケ、トゥクスラ、トナラ、タパチュラを目指した。その旅においては徒歩、列車、馬、ラバ、船を利用し、彼は6,300キロ以上を移動した。その後、ギャテナカムに向かい、同国の将軍と取引した。さらに彼はコーヒー栽培、木材、ゴムの収穫などの農園や事業を行い、メキシコシティに戻った。1873年3月、彼は再びグアテマラに行き、今度は首都に6ヶ月滞在した。滞在中はガルシア・グラナドス大統領(García Granados)と頻繁に会談したと言う。

マティアス・ロメロにとっての鉄道は「国の南東部全州に生命と進歩と繁栄をもたらす」ものであり、その敷設は夢だった。しかし度重なる行政的、財政的な浮き沈みはその敷設計画を取り上げた。しかし1889年9月にイギリスの会社がその建設を開始し、急ピッチで工事が進められた結果わずか3年2ヶ月で、プエブラ、テワカン、オアハカ間に狭軌が敷かれた。機関車はミクステカ東部を横断し、トメリン峡谷を通過する全長327キロメートルのレールを伴い1893年、フェロカリル・メヒカーノ・デル・スールが全面的に稼働した。鉄道の規模は28の駅、17の蒸気機関車、24の客車、298の貨車を含むものであった。1907年、マティアス・ロメロにコアツァコアルコス・サリナ・クルス鉄道が開通した。全盛期には1日20本の運行があり、年間500万ペソの純収入があった。しかし7年後にはパナマ運河との競争により廃線となった。しかし、マティアス・ロメロ(旧リンコン・アントニオ)では、鉄道事業は衰退することなく、サン・ヘロニモ(現在のシウダ・イクステペック)からタパチュラまでを結ぶ新しいパンアメリカン鉄道(1909年)によって育成された。そしてそこには今日まで続く重要性の高い作業場と関連機械産業がある。

 

AMLOは「金曜日にはタパチュラからイクステペックまでの鉄道を監督した。昨日はサリナ・クルスからコアツァコアルコスまで、今日はパレンケまでと10本の開発ポールの進捗状況を評価した。私たちは、オアハカ、ベラクルス、チアパス、タバスコの地方衣装を着た4人の女性をエンブレムとするトレンの最初の機関車を贈呈された」と述べるとともに、9月17日にオアハカ州サリナ・クルスからベラクルス州コアツァコアルコスまでの列車による地峡計画を監督すると発表している。

 

ロペス・オブラドル大統領は、テワンテペック地峡の大洋間回廊は、ルート沿いの10の工業団地に雇用と福祉をもたらすと強調している。「地峡に10の工業団地があり、それぞれの工業団地は平均300ヘクタールで、そこに企業が進出し、雇用が生まれる。これが地峡の未来であり、新しい世代にとっての未来なのだ」。

テワンテペック地峡は、その持続可能で包括的な経済ビジョンのおかげで、国内外の企業にとって魅力的な環境を提供している。また、テワンテペック地峡大洋州間回廊のレイムンド・モラレス・アンヘレス総局長は、「テワンテペック地峡は、陸路と海路の最適な接続を可能にしている」と述べている。

テワンテペック地峡の大洋間回廊のレイムンド・モラレス・アンヘレス総責任者は、「幸福のための開発の極」とも呼ばれる工業団地は、光ファイバー、天然ガス、飲料水、電力を利用できるようになると説明した。AMLOは、「これらの工場が設立されるために、我々は(…)税制上の補助金を提供し、そこに投資する人々は付加価値税、付加価値税、所得税を支払う必要はない」と述べた。

 

金曜日にAMLOは、タパチュラ空港の改築とプエルト・チアパスの除水工事も視察している。

 

参考資料:

1. AMLO da a conocer la primera locomotora del Tren Interoceánico
2. Corredor Interoceánico del Istmo de Tehuantepec lleva desarrollo económico al sureste: AMLO
3. AMLO presume primera locomotora del Tren Interoceánico
4. El ferrocarril que soñó Matías Romero

No Comments

Leave a Comment

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください