エクアドル国会解散:大統領候補フェルナンド・ヴィジャヴィセンシオの死と人物像

8月20日の大統領選挙まで10日を切ったこの日、エクアドルに衝撃が走った。大統領を目指していた59歳のフェルナンド・ヴィジャヴィセンシオ(Fernando Villavicencio)が銃弾に倒れたのだ。彼の死はフアン・サパタ(Juan Zapata)内務大臣によって確認された。

 

ギジェルモ・ラッソ(Guillermo Lasso)大統領は、事件に「怒り、ショックを覚えている」として、「この犯罪は必ず裁かれる」とソーシャルメディアに書きこみ、そして「組織犯罪はこれまでのさばっていたが、今後は徹底的に法に裁かれることになる」と述べた。

 

大統領候補はこの日、キト北部のスタジアムで開かれていた選挙集会に参加後、その場を離れようとしたところ、複数の人間にに襲撃された。18時15分頃のことである。犯人と警察との間で銃弾の応酬があり、議会選の候補者ら政治家3人と警官2人を含む9人も怪我をしている。また武装集団の一人は保健センターへの移送中に死亡したことも確認されている。

現時点で6人が逮捕されている。犯人は逃走を図るために手榴弾を投げた。しかし幸運にも不発だった。その後国家警察は爆弾の処理を行ない、無事だった。

ラッソ大統領は、アルフレド・ボレロ(Alfredo Borrero)副大統領をはじめ、国家警察、選挙管理委員会、検事総長室、司法委員会、国家裁判所、国防省、治安省、戦略情報センターなどの最高幹部が参加した公安委員会(Consejo de Seguridad Pública y del Estado:COSEPE)とカロンデレ(Carondelet)で会合するとともに、木曜日の午前1時に記者会見を行っている。大統領は「捜査は継続中であり、我々は法の力を最大限に適用し、物的にも知的にも責任のある者たちが最大限の罰を受けるようにする」と述べた。

https://twitter.com/ComunicacionEc/status/1689455593872822274

 

ヴィジャヴィセンシオは昨年5月までAlianza Honestidadの議員を務めていたが、今回選挙では無所属で立候補した。ジャーナリスト時代には腐敗についての記事を執筆した。一方で国会議員も務めていた。悪化する治安に対する政策提案が必須となる今回の選挙においてヴィジャヴィセンシオの陣営は、治安強化に加え、ジャーナリスト時代に取り組んだ汚職撲滅や、環境破壊の低減を掲げていた。ロイター通信によると、ヴィジャヴィセンシオは火曜日、細は公表されていないものの石油取引について司法長官に告発をしている。

一方先週にはメキシコのシナロア・カルテルとつながりのある地元の犯罪グループ、つまりは「チョネロ(los choneros)」の指導者通称「フィト(Fito)」から、自分と選対関係者が「非常に深刻な脅迫」を受けたと検察庁に通報していた。元外務大臣で、現在は同候補の選挙運動顧問であるパトリシオ・スキランダ(Patricio Zuquilanda)は、AP通信に対し、「エクアドル国民は泣いており、エクアドルは致命的な傷を負っている」と語り、またメディアを通じ「これは候補者の選挙運動チームが48時間以内に受けた2回目の脅迫である」と報告した。警備チームのメンバーもまた殺害予告を受けていた。本件については今のところエクアドル当局は特定の犯罪組織を指摘していない。政治連盟は、脅迫にもかかわらず、ヴィジャヴィセンシオは選挙運動を中断することはしないと付け加えた。その一方でヴィジャヴィセンシオは政治家と麻薬密売人とのつながりも疑っていた。

同国でのキャンペーン展開を追ってきた元軍事情報部大佐のエジソン・ロモ(Edison Romo)は、ヴィジャヴィセンシオは「国際犯罪組織にとって脅威だった」とAP通信に語った。同大佐は、汚職と麻薬取引の「公的・私的機関への浸透は強い」と述べ、いかなる捜査仮説も排除すべきではないと付け加えた。

 

ヴィジャヴィセンシオが生きているのが確認できる最後のビデオでは、政治集会が開かれた学校の敷地から、警官に囲まれ、のちに警官たちによって車に乗せられる姿である。ドアを閉める際、銃声と支持者の絶望的な叫び声が聞こえてくる。襲撃後、エクアドル当局は襲撃の動機について明らかにしなかった。

暗殺される前、候補者の最後の選挙集会に出席していた支持者は、その瞬間をこう振り返った。「私たちは幸せだった。フェルナンドは踊っていた。最後の言葉は『私の仲間に手を出す者は、私の家族にも手を出す』でした」とイダ・パエス(Ida Páez)は語った。「この犯罪をこのままにしておくわけにはいかない。ボスのボスがいて、そのボスは笑って喜ぶだろうが、国民は泣いている。私たちの心は痛みます」と彼女は付け加えた。

スキランダによると、ヴィジャヴィセンシオ候補は「警察の保護と私的な保護を受けていた」。今回の襲撃について同氏は、候補者は「ボディーガードに守られて外出したが、バンの中で銃撃され、即死した」と説明した。選挙事務所関係者が地元メディア語った内容によると候補者がが車に乗ったところ、武装集団が近づき頭を撃った。目撃者によると、ヴィジャヴィセンシオ議員は頭部に3発の銃弾を撃ち込まれた。そしてヴィジャヴィセンシオはClínica de la Mujerに運ばれたが、死亡が確認されただけだった。

 

コンセルタシオン運動(Movimiento Concertación)とエクアドル社会党(Partido Socialista Ecuatoriano)の政治連合であるAlianza Honestidadの代表の一人であったフェルナンドは、出馬に際して彼は「マフィアの一掃」の必要性を主張し、汚職撲滅を表明し、また、失業削減策を提唱した。彼は特にエネルギー市場における汚職との闘いに尽力していた。議員時代に彼は議会の監査委員会の委員長を務め、水力発電会社や石油会社など、国と契約を結んでいる企業の不正を糾弾する24の報告書を提出している。彼は自身のブログで「私は調査報道から、石油、鉱業、電力、電気通信、そして国家を構成する様々な部門や権力を通じて公的資源から利益を得ている犯罪組織における汚職の事例を告発するために、関連情報を提供することに貢献した」と自らの功績を語っていた。

ヴィジャヴィセンシオが注目されるようになったのは、コレア政権時代、大規模な国家インフラ工事を請け負う見返りに、民間企業から当時の政権政党Alianza PAISに大金が献金されていたことを糾弾したときである。この暴露は、コレア前大統領が収賄罪で懲役8年の判決を受けた司法裁判の材料となった。

ラファエル・コレア(Rafael Correa)の最初の任期である2007年、ヴィジャヴィセンシオは、ブラジルの石油会社ペトロブラスとの契約を「国家に20億ドルの損害」を理由に解除するよう勧告した石油専門家委員会の一員だった。専門家委員会の勧告が考慮されなかったことを受け彼はコレアを検察庁に告発した。2014年にもコレアに対し、2010年9月30日に軍部が警察病院を襲撃した際に発生した人道に対する罪の疑いで、別の訴状を提出している。全国裁判所は、この告発は「悪意がある」と結論づけ、ヴィジャヴィセンシオと他の2人の同僚に名誉棄損で懲役18ヶ月、罰金14万ドルの判決を下した。彼は当初アメリカに避難したが、その後エクアドルに戻り、同じく有罪判決を受けた下院議員のクレベル・ヒメネス(Cléver Jiménez)とともに、アマゾンの先住民のもとに避難したため、刑期を全うすることはなかった。その後、彼はペルーから政治亡命を認められている。

エクアドルの田舎町アラウシ州で生まれ育ったフェルナンドは13歳の時に家族でキトに移住した。若い頃には家計を助けるために昼間は働き、夜に勉強をしていた。17歳からは、ラジオ・タルキのラテンアメリカ文化専門番組のアナウンサーとして務めた。彼の左翼思想は大学時代に形成されたと地元メディアに語っている。エクアドル中央大学(Universidad Central de Ecuador)でジャーナリズムを学び、3年のブランクを経て、コロンビア協同組合大学(centro superior Cooperativa de Colombia)を卒業した。1995年に政治家としてのキャリアをスタートさせた。エクアドルを多民族国家として承認させることを主張する運動パチャクティック・運動(Movimiento Pachakutik)の創設に貢献した。

ジャーナリストとしてキャリアを辞めたのち、「石油産業がアマゾンのコミュニティに与える影響」を明らかにしたと、『エル・ウニベルソ』紙に語った。ペトロエクアドル(Petroecuador)の仕事をしていた際に彼は労働組合グループで活動をしていた。パチャクティックや先住民運動とギクシャクしたのはギジェルモ・ラッソの弾劾投票に反対したこともその一旦にはある。

 

候補者の妹、パトリシア・ヴィジャヴィセンシオ(Patricia Villavicencio)は兄を殺害した暴力について、ラッソ政権とフアン・サパタ内相を非難している。「彼らはフェルナンドが汚職を暴露するのを嫌ったのです。私はこの政府を呪います。何もしなかった。彼を守るために何もしなかった。謀略です。」と地元メディアに語った。

全国選挙評議会(Consejo Nacional Electoral:CNE)のディアナ・アタマント(Diana Atamaint)会長は、犯罪行為に対する否認を表明し、早期選挙のプロセスは「変更不可能」であり、投票は8月20日(日)に「憲法と法的委任に従って」行われることを承認した。同様に、選挙日程で予定されているすべての活動(詳細はこちら)も継続される。アタマインは、軍隊と国家警察がすべての投票所の警備を強化することを言及している。

 

大統領ギジェルモラッソは大統領候補者の死を受け3日間喪に復す期間と設定するとともに60日間の非常事態を宣言し国土全域に軍隊の出動を命じた。

またOEA選挙監視団は、ヴィジャヴィセンシオ殺害のニュースを受けて声明を発表した。「候補者の安全確保は、民主主義制度に対する信頼を維持し、すべての市民の声が届くようにするための基本である」と語るとともに、すべての候補者に対し、安全対策を強化するよう、また当局に対し、候補者の安全を保証するための支援を提供するよう求めた。また、選挙期間中の安全で民主的な環境の維持に協力することを目的として、選挙監視団の第一陣が今週木曜日に同国に到着することを発表している。米州人権委員会(Comisión Interamericana de Derechos Humanos:CIDH)も国に対し、選挙過程における政治的暴力を防止するため、真摯に調査し、効果的な対策を確保するよう求めた。

他の候補者もまた悲しみと共に国家へ要求をしている。例えばオット・ソンネンホルツナ(Otto Sonnenholzner)は「私たちは、これ以上の会議も、宣言も望んでいない。私たちは行動を要求する。行動してほしい。私たちは死につつあり、涙の海に溺れている」。ヤン・トピック(Jan Topic)はX(Twitter)を通じ「犯罪者の手によって」ヴィジャヴィセンシオが殺害されたことを深く遺憾に思うと表明し、遺族に哀悼の意を送るとともに、彼の支持者や友人たちとの連帯を表明した。「今日、これまで以上に犯罪に対して毅然とした態度で臨む必要性が再確認された」と述べている。ヤク・ペレス(Yaku Pérez)は、「フェルナンド・ヴィジャヴィセンシオの悲劇的で非難されるべき殺人に驚愕している」と述べ、哀悼の意を表した。

ラッソは今回の暗殺について「テロリストの性格を帯びた政治犯罪である」と述べるとともに、「この殺人が選挙プロセスを妨害する試みであることは間違いない。この非難すべき行為が、大統領選の第一ラウンドの数日前に起こったことは偶然ではない」とコメントし、各国や国際機関からの哀悼の意と支援の表明に感謝した。そしてラッソは国家を威嚇しようとする者たちには絶対に屈しないことを語り、そして「国家は強固であり、民主主義はこの殺人の残忍さに屈することはない。たとえ政治組織を装っていても、組織犯罪に権力と民主的制度を渡すことはない」と叱責するとともに憎悪と復讐を政治的行為として禁止するよう求めた。

 

エクアドルでは2月にプエルト・ロペス市長選に立候補していたオマル・メンデス(Omar Mendez)が、7月にはマンタ市長のアグスティン・インテリアゴ(Agustín Intriago)が、それぞれ殺害されていなど(詳細はこちら)政治家に対する暴力や脅迫が続いている。もともとこのような犯罪は少なかった国だ。しかし欧米諸国に対する麻薬密売の拠点とされることで、ギャングたちが集まり、凶悪犯罪が爆発的に増えた。ラッソは先月にも組織犯罪と関連した殺人事件が相次いだ3州に、緊急事態と夜間外出禁止を発令している。

上述の通り大統領選挙をリスケジュールすることはもはや不可能だ。それもあり今月20日、第1回投票は実施される。

 

深い悲しみ、憤り、喪失感、不甲斐なさ、複雑に絡まる感情。どのようにそれは起きたのか。
彼の最後を見世物にするというわけではなく、絶対に忘れてはならないこのような事件、悪との戦いを思い動画を共有するものである(暴力的であるので、見ないに越したことはない)。

 

フェルナンドの偉大なる功績を讃え、そして深い哀悼の意を表します。
悪との戦い、不正義との戦いに関する意思がしっかりと引き継がれることともに、一方武力で物事を片付けようとする人間が政治家含めこれ以上増えないことを願ってやまない。

Que descanse en paz.

 

ラッソが起こしたMuerte cruzadaや国民議会、大統領選挙に関する別記事はこちらから。

#フィト

 

参考資料:

1. Quién era Fernando Villavicencio, el candidato a la presidencia asesinado en Ecuador
2. Asesinan al candidato presidencial Fernando Villavicencio a pocos días de las elecciones en Ecuador
3. Matan a tiros a candidato presidencial ecuatoriano Fernando Villavicencio, abanderado anticorrupción
4. Luto nacional por el asesinato de Fernando Villavicencio ¿Qué implica la medida decretada por el presidente Guillermo Lasso?
5. Elecciones anticipadas no se suspenden y se declara estado de excepción en el país, tras asesinato de Fernando Villavicencio
6. Fernando Villavicencio fue asesinado en un ataque armado

 

1 Comment

  • miyachan 08/10/2023 at 22:50

    エクアドルの衝撃的な事件の速報!ありがとう。夏休み前?の多忙な時期にもかかわらず、、事件の背景、真相は、少し時間をおいて専門の先生に解説をお願いしよう思います。ヴィ氏は最有力候補とまで言われてなかったのでは?ここでも、麻薬組織との関わり、それもメキシコの組織との関連まで指摘されている。
    暗澹たる気持ちになります。

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