[トラブッコのコラム]アルゼンチン政治的迫害の象徴ミラグロ・サラ、拘束から10年

以下は、エミリア・トラブッコ(Emilia Trabucco)による記事の日本語訳である。彼女は心理学者であり、セキュリティ専門修士の資格を有する。また、アルゼンチンのNODAL通信社および中南米戦略分析センター(CLAE)のアナリストでもある。ここでは、原文に加えて補足情報も含めて翻訳している。


2026年1月16日、ミラグロ・サラ(Milagro Sala)の違法拘束から10年を迎える。この10年間で、彼女の収監はアルゼンチンにおける政治的・司法的統制体制の構造的な一部として定着している。

ミラグロは、フフイ州(Jujuy)の州政府庁舎前で行われた座り込みと平和的抗議行動を主導した後に逮捕された。この抗議は憲法上の権利の行使であった。その出来事をきっかけに、司法手続きの変更、延長された予防拘禁、訴訟上の手続き変更が展開され、国際機関がその拘束を恣意的と評したにもかかわらず、民主主義下での自由剥奪が維持されている。

この収監の持続は、司法化、嫌がらせ、公開処罰を組み合わせた政治的迫害の装置が安定的に機能していることを示している。10年後の地域情勢はエスカレーションを示しており、司法やメディアによる圧力だけでは不十分な場合、この装置は直接的な軍事的手段も組み込むことが可能である。

2026年1月、米国政府はカラカスでベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロ(Nicolás Maduro)ファーストレディのシリア・フローレス(Cilia Flores)を拉致し、米連邦裁判所に移送した。二人は戦争捕虜であると宣言し、この作戦が北部の軍事力によって、地域で大衆的プロジェクトを掲げる政府や指導者に対して政治的・司法的、そして軍事的迫害が直接行われていることを示すものだと訴えた。

 

ミラグロ・サラは、ヘラルド・モラレス(Gerardo Morales)がフフイ州知事に、マウリシオ・マクリ(Mauricio Macri)が大統領に就任して数日後に逮捕された。この逮捕は、領土と共有資源に対する新たな攻勢のサイクルを予告する政治・経済の再編の文脈で行われたものである。トゥパック・アマル(Tupac Amaru)組織は、住宅、協同事業、医療センター、教育施設を数千人の労働者とその家族のために整備し、歴史的に州のエリートが行使してきたクライエンタリズム的な仲介や社会統制に事実上挑戦していた。

 

さらに、この経験は資源採掘モデルの深化にとって戦略的に重要な州で展開されていた。フフイ州は「リチウム三角地帯(Triángulo del Litio)」に含まれており、デジタル資本および金融資本が主導する新たな段階において、極めて重要な資源であるリチウムの世界有数の埋蔵地のひとつである。

ミラグロ・サラの収監も、この文脈の中で読み取る必要がある。それは、リチウム資源の引き渡し、領土の外国化、市民の同意や民主的管理を伴わない天然資源略奪スキームの進行に対し、将来生じ得る社会的抵抗や告発を未然に抑え込むための予防的拘束として機能してきたからである。現在、この略奪スキームはハビエル・ミレイ(Javier Milei)が率いる政権下でさらに加速している。

ミラグロの収監は、見せしめとしても機能してきた。刑罰の公開、恒常的な嫌がらせ、そして近月公に報告されている健康状態の悪化は、いずれも彼女個人に向けられたものにとどまらず、大衆的支持層全体に向けた政治的メッセージとして作用している。

その目的は、組織を体現する人物を攻撃することで組織そのものを動揺させると同時に、集団的道徳に働きかけることにある。すなわち、労働によって生計を立てる人々に対し、より尊厳ある生活の可能性を具体的に示してきた人物を、数千の目の前で系統的に非人間化し、屈辱を与えることで、抵抗の意志そのものを萎縮させることにある。

この論理は、女性指導者に対しては特有の暴力性を帯びて現れる。司法による迫害は、政治的正当性への攻撃、象徴的暴力、そして体系的な中傷と結びつき、より執拗かつ持続的に行われる傾向がある。

アルゼンチンにおいては、ミラグロ・サラの拘束は、同国前大統領であるクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(Cristina Fernández de Kirchner)が、証拠不十分のまま有罪判決を受け、政治的タイミングを巧みに操作されることで事実上失権・排除された出来事と同一の構造に位置づけられる。いずれの場合も、権利の拡大や権力の再分配を進め、既存の経済支配構造に対抗した指導者が、選別的に標的とされた処罰である。

いわゆるロー・フェア(lawfare、法的戦争)の装置は、個別の事件や裁判記録の範囲にとどまって作用するものではない。それは恐怖を生産し、沈黙を誘発し、指導層全体を規律化するための政治的技術である。この手法は、司法的に追及される当事者を罰することにとどまらず、政治空間全体に作用し、行動を秩序づけ、発言の可否を制限し、従わぬ者に対してあらかじめ高いコストを設定する。

アルベルト・フェルナンデス(Alberto Fernández)政権は、民意によって選出されたにもかかわらず、ミラグロ・サラの状況を解決しなかった。この政治的判断は構造的な影響を残した。それは、司法装置が、ペロン主義を自認する政権でさえ条件づけ、制約するほど強力であることを示すものであり、特定の不正義が現行秩序の下では手つかずのまま放置され得るという認識を社会に定着させた。

拘束10周年を迎えるにあたり、社会団体、政治組織、人権団体は「ミラグロ・サラ自由のためのキャラバン」を呼びかけている。1月15日木曜日の15時30分には、マドレス・デ・プラサ・デ・マヨ(Madres de Plaza de Mayo)が行進を行う。翌16日金曜日には、ブエノスアイレス自治市(CABA)にあるマドレス・デ・プラサ・デ・マヨの家(Casa de Madres de Plaza de Mayo)を10時30分に出発し、ラ・プラタ(La Plata)のサン・マルティン広場(Plaza San Martín)に12時に集結、13時にはモレノ広場(Plaza Moreno)で終了する予定である。違法拘禁に対する抗議は、再び政治的争点として公共空間に浮上することになる。

10年が経過した現在も、ミラグロ・サラの拘禁は、政治秩序の受動的な残滓ではなく、能動的な構成要素として機能している。彼女の閉じ込めは、根本的な民主主義の問いを凝縮している。すなわち、政治が世界的な権力中枢から操作される司法・軍事装置に従属したまま進むのか、それとも人民運動(campo popular)が組織、主権、集合的意志を再構築し、アルゼンチンおよびラテンアメリカ・カリブ地域において、大衆の力によって拡大し、学習し、前進する体制に立ち向かうのか、という問いである。

ミラグロ・サラの不当な拘束から10年が経過した現在も、彼女の拘禁はアルゼンチンおよび地域における政治的迫害装置の構造的な一部として機能している。社会的抗議行動を率いたことにより拘束された彼女のケースは、ロー・フェア(lawfare)の仕組みを象徴している。捏造された訴訟、長期化する予防拘禁、恒常的な嫌がらせ、そして見せしめ的な処罰――これらすべてが凝縮されているのである。

しかし同時に、このケースはより深い争点を示している。サラはリチウム採掘が進む重要な州で拘束され、トゥパク・アマルとともに、地方権力に挑戦する人民組織の経験を築いた後であった。地域的には、司法による攻撃が開かれた軍事的強制の形態にまで拡大する中で、彼女の拘禁は依然として民主主義の傷であり、すべての人民運動に対する政治的警告となっている。

 

ミラグロ・サラの人生

フフイ州で生まれたミラグロ・サラは、実母に見捨てられ、中流家庭に養子として迎えられた。そこには家があり、母と父、そして兄弟がいた。14歳のとき、自らの出生の事実を知った彼女は、その事実が長年隠されていたことに耐えられず、サラは家を出た。そして、州内でも最も貧しい地域で暮らすようになった。

その後、数年間にわたりホームレスとして生活した。窃盗の容疑で8か月間拘束された経験もあるが、最終的には無罪となっている。拘禁中、彼女は同房の女性受刑者たちがより良い食事を取れるよう、予算を増やすことなく調理環境の改善を求めるハンガーストライキを組織した。

出所後、サラは祭りの時期にカニータス・ボラドラス(cañitas voladoras、花火の一種)を売り、靴磨きやアイスクリームの行商などを行いながら生計を立てていた。

トゥパク・アマルでの活動の始まり

1990年、サラは公務員として働き始め、国家公務員労働組合(Asociación de Trabajadores del Estado:ATE)の代表として活動するようになる。同時に、アルゼンチン労働者中央組織(Central de Trabajadores de la Argentina:CTA)の地域組織を率い、のちにバリオ・トゥパク・アマル組織(Organización Barrial Túpac Amaru)と呼ばれることになる運動の中心人物となった。

この組織では、州内で最も貧しい地域の子どもたちや、前科を持つ若者たちと共に活動を行った。寄付金を活用し、「コパス・デ・レチェ(copas de leche)」と呼ばれる取り組みを通じて、フフイ州の最貧困地域に暮らす子どもたちに食事を提供した。

2003年には、フフイ州都にバリオ・トゥパク・アマル(Barrio Tupac Amaru)が建設された。そこには住宅だけでなく、学校、工場、医療施設、総合スポーツセンター、文化センターが整備され、さらに完全無料で利用できるウォーターパークまで設けられた。

こうした一連の社会的実践を通じて、ミラグロ・サラは、フフイ州の最貧困地域において、単なる活動家を超えた強力な象徴的存在となっていった。

拘束

2016年1月16日、ミラグロ・サラは、フフイ州の急進市民同盟(Unión Cívica Radical:UCR)所属知事であるジェラルド・モラレスの政策に抗議する座り込み行動に参加した後、逮捕された。この座り込みは、協同組合に対する助成金の再配分に反対して、複数の政治団体および社会団体が共同で行ったものであった。

サラの拘束は、国内外で大きな注目を集めた。釈放を求める声は広範に広がり、国家制度暴力検察庁(Procuraduría de Violencia Institucional)、国連人権理事会(United Nations Human Rights Council)、米州人権委員会(Inter-American Commission on Human Rights:CIDH)、米州機構(Organization of American States:OAS)、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)などの国際機関・人権団体が懸念を表明した。さらに、ローマ教皇フランシスコ(Pope Francis)も彼女の状況に言及している。

サラは当初、「犯罪の扇動」「騒乱」「反乱」の罪で逮捕されたが、これらの容疑については後に釈放された。しかしその直後、「組織犯罪(asociación ilícita)」「詐欺」「恐喝」といった新たな罪状が追加され、予防拘禁(prisión preventiva)が命じられた。この結果、実質的には拘束状態が継続することとなった。

ジェラルド・モラレス知事は、サラが実施されなかった公共事業のために割り当てられていた2,900万ペソを横領したとして告発している。

2017年10月14日、アルゼンチン通信社テラム(Télam)は、サラがフフイ州のアルト・コメデロ刑務所(Alto Comedero)に再び移送されたと報じた。サラは2016年初頭の拘束後、2017年8月31日からは自宅拘禁(prisión domiciliaria)の形で刑務所外に置かれていた。しかし、トゥパク・アマル組織の公式SNSによれば、この刑務所への再移送は事前の通知なしに、強制的に行われたものであったとされている。

ミラグロ・サラは、米州人権委員会(CIDH)が、刑務所での拘禁に代わる措置として「代替的措置」の適用を求めたことを受け、自宅拘禁の措置を認められていた。

しかし2017年9月末、フフイ控訴裁判所(Cámara de Apelaciones de Jujuy)はこの自宅拘禁を取り消し、サラを再び刑務所へ移送するよう命じた。この決定により、国際人権機関の勧告に反する形で、より厳格な拘禁措置が再び適用されることとなった。

さらに対する2017年の再拘禁は、サラの拘束をめぐって長期にわたり続いてきた司法的・政治的対立の延長線上に位置づけられるものである。国際機関は一貫して、この拘束が司法手続きの枠を超えた恣意性(arbitrariedad)を帯びていると批判しており、サラの事例は、司法権が政治的目的のために動員されている状況を象徴するものとして扱われている。

国家制度暴力検察庁は、ミラグロ・サラが違法に自由を奪われているとの判断を示している。その根拠は、アルゼンチンの法制度において、すべての人は裁判で有罪が確定するまで無罪と推定されるという原則が明確に定められている点にある。

通常、刑事被告人は逃亡のおそれや証拠隠滅の危険が認められない限り、身柄を拘束されることなく自由の身で裁判を待つことができる。この原則は、重罪であっても例外ではない。

しかし、サラは2016年の逮捕以来、現在に至るまで拘束状態に置かれ続けている。この事実は、例外的措置であるはずの拘禁が常態化していることを示しており、司法手続きが法の原則から逸脱して運用されているとの批判を強める要因となっている。

 

支持者と反対者

トゥパク・アマル組織は、形式上は政治的に自主的な社会組織と位置づけられているが、実際にはキルチネリスモ(kirchnerismo)との強い結びつきを有しており、現政権とは明確な対立関係にある。そのため、この組織とミラグロ・サラの存在は、アルゼンチン政治における深刻な分断、いわゆる「ラ・グリエタ(la grieta)」の内部に位置づけられている。

一方で、フフイ州の最も貧しい地域におけるサラの長年の社会活動を評価し、彼女を社会的・政治的象徴として支持する人々も少なくない。他方、公的資金の横領などで告発されていることを理由に、その拘束を正当とみなす人々も存在しており、サラをめぐる評価は社会の中で大きく分かれている。

こうした対立の延長線上で、2026年1月6日、ラ・プラタ市議会において、ミラグロ・サラを「不歓迎人物(persona no grata)」と宣言する条例案が提出された。提案者は、共和的提案(Propuesta Republicana:PRO)議員団の団長であるニコラス・モルゾネ(Nicolás Morzone)であり、市議会に対してサラに関する明確な政治的立場を示すよう求めている。

サラは10年前に拘束され、現在は自宅拘禁下にある。現在はゴネット地区のサン・ロケ病院(Hospital San Roque de Gonnet)に入院しており、深刻な精神的健康問題の治療を受けている。

提出された条例案の第1条には、次のように記されている。「ラ・プラタ市において、ミラグロ・アマリア・アンヘラ・サラ(Milagro Amalia Ángela Sala)を不歓迎人物と宣言する。これは、拘束10周年に関連した公開行動が予定されていることを踏まえ、同氏の公的経歴、および脅迫、違法結社、公共行政に対する詐欺、恐喝などの極めて重大な犯罪に関する有罪判決、ならびに『ピベス・ビジェロス(Pibes Villeros)』事件で確定した刑事責任に基づくものである」。

モルゾネ議員は、サラの公的経歴そのものが「ラ・プラタ市において守られるべき共和主義の価値、法の支配、民主的共存と両立しない」と強調する。その根拠として、サラに対して下されたすべての確定有罪判決を列挙し、ラ・プラタは民主主義制度の中枢的機関が集積する都市である以上、「汚職、恐喝、違法結社などの犯罪で有罪判決を受けた公的人物に対して無関心でいることはできない」と主張している。これらの行為は公共の信頼を損ない、国家財産を侵害し、社会的共存を破壊するものであるという。

議員が特に問題視しているのは、サラの拘束10周年に合わせ、全国規模で政治的支持を訴えるキャラバンが呼びかけられ、ラ・プラタでも集会やデモが実施された点である。これらの行動は「政治的拘束」という主張のもとで展開されており、国家司法が下した確定判決の存在を意図的に無視していると議員は指摘する。

さらにモルゾネ議員は、こうした運動が、汚職や恐喝などの罪で有罪判決を受けた人物を被害者として描き直し、正当化しようとする試みであると批判する。それは公共空間を、司法判断の正当性を疑わせる政治的プラットフォームとして利用する行為であり、単なる意見表明を超えた政治的・象徴的圧力であるという。重罪で有罪判決を受けた人物を「政治囚」として再構築しようとする試みは、「制度および法の支配に対する敬意と両立しない」と結論づけられている。

モルゾネ議員は、「不歓迎人物」宣言について、「本決議は政治的・制度的に正当な行為であり、市議会が、市民としての倫理観、法の遵守、そして共和主義の価値観と相容れない行為に対する拒絶を表明するための手段である」と述べている。

この条例案は、ラ・プラタにおいて社会団体や人権団体がサラの自由を求める活動を展開している最中に提出された。これらの活動は拘束10周年に合わせたものであり、同時に、サラが仮釈放申請の手続きを開始できる時期とも重なっていた。

実際、先週金曜日には、ラ・プラタ市内でミラグロ・サラの釈放を求めるキャラバンが実施された。この行動は、2016年1月16日の拘束を記念するとともに、彼女の司法上の状況を社会に可視化することを目的としている。現在サラは、ブエノスアイレス州都で自宅拘禁下にあり、重い精神的健康問題のため入院治療を受けている。

今回の一連の動きは、司法上の重要な節目とも重なっている。金曜日の時点で、サラは統合刑15年のうち刑期の3分の2を消化しており、弁護団が正式に仮釈放申請を行うための条件が整ったためである。

一方、ミラグロ・サラの批判者は、彼女を「庶民の女性」とはみなしていない。彼女は12台の自動車と複数の住宅を所有する裕福な人物であり、豪華な生活を送っているとされる。また、政治犯ではなく、主に約1,200万ドル相当の社会住宅資金の横領を理由に拘束されていると考えているからだ。これは最も困窮する労働者階層から生活の基盤を奪った行為である。加えて、ジェラルド・モラレス知事による告発をはるかに超える、労働者階級を対象とした重大な犯罪行為に対しても、サラは責任を問われるべきだと彼らは考えている。

 

サラの有罪判決および指摘される違法・暴力行為

サラは、腐敗行為や労働者運動家への暴力など、複数の犯罪で有罪判決を受けている。以下に、報告されている主な事例を整理する。これらの事例は、サラが指導者として活動する過程で、労働者への搾取や暴力行為、政治的対立に伴う違法行為に複数関与していたことを示すものだとされている。

1. 労働者に対する違法行為

  • 2012年、法定最低賃金を大幅に下回る月額2,500ペソで労働者を雇用。日雇い労働者の最低賃金13.35ペソに対し、9.4ペソしか支払わなかった。
  • 法定労働時間8時間を超える12時間労働を課し、残業代や手当を支払わなかった。
  • 社会保障や税務上の義務である給与関連負担を未払いにした。

2. 政治・社会活動に伴う暴力行為

  • 2005年、社会主義労働者運動(Movimiento Socialista de los Trabajadores:MST)および労働者闘争潮流(Corriente Clasista y Combativa:CCC)の活動家に暴力を振るった。
  • 2006年、レデスマ停電事件(Ledesma)に抗議する労働者党(Partido Obrero:PO)の活動家を攻撃した。
  • 労働者闘争潮流(CCC)の活動家2名に暴行を加え、そのうち1名は頭蓋骨骨折で入院した。
  • 2009年、社会団体による抗議活動の弾圧に関与した。
  • 2010年、季節労働者(zafreros)に対する攻撃に関与した。

3. 違法ビジネス・警察との共謀

  • フフイ州ジムナシア・イ・エスグリマ(Gimnasia y Esgrima de Jujuy)のバラブラバ(熱烈なサポーター集団)のリーダーとして、違法ビジネスや警察との共謀が常態化していた。

4. 殺害・生命への脅威

  • 2012年、ウマワカ(Humahuaca)のサンタ・バルバラ地区(Santa Bárbara)での占拠者ダニエル・コンドリ(Daniel Condori)の殺害に関与した疑い。
  • 2015年、PASO選挙運動中にアリエル・ベラスケス(Ariel Velázquez)を殺害した事件に関与した疑い。
  • 政府に反対する活動家「ペロ」サンティリャン(Perro Santillán)に対して生命を脅かす発言を行った。

 

 

ミラグロ・サラのケースは、アルゼンチンにおける国家と経済の構造的問題を象徴していると指摘するものもいる。飢餓や貧困を利用し、労働者に過酷な労働条件と低賃金を強いる仕組みは、国家自体が加担している。サラのように、公的資金をもとにブラック労働を行わせ、社会保障(seguridad social)や年金(jubilaciones)、労働組合(sindicatos)の権利を無視するケースは、その典型である。

アルゼンチンのブルジョア政治は、違法なビジネスを資金源とし、暴力集団を恫喝の手段として常に利用してきた。その構造は変わらず、単に誰がその利益を享受するかが異なるにすぎない。サラの行為は、こうした政治構造の一端を示すものであり、責任は個人にとどまらず、社会の一部の階層に及ぶ。 

サラは、ピケテロ運動(movimiento piquetero)を無力化するための道具として活用された。 わずかな社会保障や低賃金労働といった「譲歩」と、抑圧を組み合わせることで、国家が直接関与せずとも運動をコントロールできた。しかし長期的には、恣意的な裁量や個人主義的な権力構造が生まれ、管理が困難となった。現在では、同じ仕組みを他者が引き継ごうとしている。

#lawfare

 

参考資料:

1. Diez años de Milagro Sala presa política: la escalada de la guerra jurídica en la región
2. Proponen declarar a Milagro Sala como “persona no grata” en La Plata
3. ¿Quién es Milagro Sala?
4. ¿Quién es Milagro Sala y por qué está presa?

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