(Image:Infobae)
気候変動が動物から人間へ感染する人獣共通感染症(zoonotic diseases)にどのような影響を及ぼすのかを理解することは、公衆衛生対策を立てるうえで極めて重要である。しかし、この分野はこれまで十分に研究されてこなかった。
学術誌『Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)』に掲載されたロンドン自然史博物館(Natural History Museum, London)の研究チームによる最新の研究は、世界65か国で実施された218件の研究を対象に、53種類の人獣共通感染症について包括的な分析を行ったものである。対象となった病気には、ハンタウイルス(Hantavirus)、狂犬病(Rabies)、ペスト(Plague)、炭疽(Anthrax)、西ナイルウイルス(West Nile Virus)、エボラ(Ebola)などである。
本研究を通じて科学者らが示したのは、少なくとも53種類の動物由来感染症の発生や拡散が気候条件に大きく左右されているという事実である。気温、降水量、湿度といった気候要因の変化は、病原体や媒介生物の分布および伝播過程に直接作用し、その結果、世界各地で感染リスクの構造そのものを変化させていることが明らかとなった。一方で、これらの感染症の多くが気候条件に対して感受性を示すものの、その影響の現れ方は一様ではないことも本研究は示している。
分析の結果、気候変動への反応は病気ごとに異なるものの、気温上昇が感染拡大の強力な促進要因として機能する傾向が確認された。特に、温暖化によって感染リスクが増大した事例は、リスクが低下した事例のおよそ2倍に達していた。この傾向は、蚊やダニなどの媒介生物を介して伝播する感染症において顕著である。実際、気温と病原体との関係を検証した事例の69%で、統計的に有意な相関が認められた。
これに対し、降水量や湿度の影響はより複雑で、予測が難しいことが示された。媒介者が昆虫であるか、げっ歯類や家畜であるかによって、これらの気候要因が感染拡大を促進する場合もあれば、逆に抑制する場合もある。また、同一の感染症であっても地域や環境条件によって異なる反応を示すことが確認されており、人獣共通感染症における気候応答の多様性が浮き彫りとなった。
具体例として、ブラジルにおけるレプトスピラ症(Leptospirosis)が挙げられる。この感染症は、感染したげっ歯類や家畜の尿によって汚染された水との接触を通じて人に伝播するが、分析の結果、週あたりの降水量が20ミリメートル増加すると、感染リスクが12%上昇することが示された。
また、西ナイルウイルスについては、米国やロシアにおいて、年間および季節ごとの気温上昇が感染リスクの増大と関連していることが確認された。これは、媒介者である蚊の生存率や活動期間が高温条件下で向上することによるものである。
一方で、感染経路が複雑な疾病では、気候要因の影響はより変動しやすい。代表的な例がペストである。初期段階の温暖化は、宿主となるげっ歯類の個体数増加や、病原体を媒介するノミの発育を促進する。しかし研究チームによれば、過度な高温はこれらのプロセスを逆に阻害し、病原体の伝播効率を低下させることで、感染拡大を抑制する可能性があるとされている。
世界規模で感染症リスクへの影響を評価するため、研究チームは大規模かつ徹底的な文献調査を実施した。まず1万4,000件以上の学術文献のタイトルを精査し、その中から信頼性の高い218件の実証研究を選定した。この分析により、65か国を対象とした852件の統計的測定データが集約された。
研究の選定基準は厳格であり、気温、降水量、湿度といった気候要因が、感染者数、感染動物の個体数、血液中の抗体の有無など、実際のリスク指標にどのような影響を及ぼすかを、具体的な数値で示している研究のみが対象とされた。調査対象の内訳を見ると、温度の影響に焦点を当てた研究が約半数の49%を占め、降水量は38%、湿度は13%にとどまった。
科学者らは、この膨大なデータを体系的に整理するため、感染の媒介者の有無(蚊やダニなどのベクター)、病原体の種類(ウイルス、細菌、寄生虫)、宿主となる動物(げっ歯類、鳥類、家畜)といった観点から分類し、総合的な分析を行った。
一方で本研究は、現在の科学研究が抱える重要な盲点も浮き彫りにしている。多くの研究が、複雑な生物学的現象を評価する際に単純な統計手法、すなわち線形モデルに依存しており、非線形の関係性を検討した研究は全体のわずか13%にとどまっていた。非線形分析は、例えば気温上昇がウイルスの増殖を促進する段階から、逆に死滅を引き起こす転換点を特定するうえで不可欠であるが、十分に活用されていないのが現状である。
本研究の共著者であるデイビッド・W・レディング(David W. Redding)は、「気候変動は地球上のほぼすべての生物に影響を及ぼす世界規模のプロセスである。それにもかかわらず、この変化が異なる動物や、それらが媒介する感染症にどのような影響を与えるのかを一貫して検証する方法が確立されていないのは驚くべきことだ」と述べ、研究手法の国際的な標準化が急務であると強調した。
地球温暖化の進行に伴う感染症リスクへの予防と監視を強化するため、研究チームは、生物学的特性を考慮した予測モデルの開発と、世界規模で統合された監視ネットワークの構築を提案している。これにより、気候変動に起因する新たな感染症リスクを事前に予測し、体系的に管理する体制の確立を目指すとしている。
さらに本研究の予測によれば、温度に敏感な人獣共通感染症(zoonotic diseases)が報告されている地域の97%で、2041年から2070年にかけて平均年間気温が1.5℃以上上昇すると見込まれている。多くの地域では、この気温上昇が病原体や媒介者(ベクター)の分布が変化しやすい地帯と重なっており、新たな感染伝播のダイナミクスが生じる可能性が高い。
今回の分析は、気候変動が人獣共通感染症に及ぼす影響を正確に予測することが、極めて複雑な課題であることを示している。同一の疾病であっても、地域や生態系、媒介動物の違いによって挙動は大きく異なる。そのため研究者らは、単純な統計的傾向に依存するのではなく、生物学的背景を踏まえた精緻な分析が不可欠であると警鐘を鳴らしている。
著者らが呼びかける共通の研究枠組みと恒常的な監視プログラムの確立は、地球温暖化が公衆衛生に及ぼすリスクに対し、早期警戒と迅速な対応を可能にする警報・管理システムの構築を目的とするものである。
参考資料:
1. Cómo el cambio climático impulsa nuevas amenazas de enfermedades transmitidas de animales a humanos
2. Climate sensitivity is widely but unevenly spread across zoonotic diseases(https://doi.org/10.1073/pnas.2422851122)![]()

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