映画:「Tantura」は繰り返される、イスラエルによるパレスチナ人の虐殺

1948年、何百ものパレスチナの村が人口を奪われた。イスラエル人にとっては独立戦争であり、パレスチナ人にとっては「アル・ナクバ」(カタストロフィ)であった。監督のアロン・シュワルツ(Alon Schwarz)は、元イスラエル兵、パレスチナ住民、歴史家たちの親密なインタビューを実施し、1948年の戦争から未公開のアーカイブ映像も利用し、作品制作にあたった。

 

1948年にイスラエルが建国された後、地元の敵対行為は地域戦争へとエスカレートし、その余波で何百ものパレスチナ人が村を追われた。イスラエルはパレスチナ人が自主的に村を去った「ことにするためのプロパガンダを生成し」、国際社会はその事実を知りながらも見えないものとして過ごしてきた。イスラエル人が「独立戦争」と呼ぶものは、パレスチナ人にとっては「ナクバ」(カタストロフィ)以外の何者でもなかった。

1990年代後半、イスラエルのハイファ大学(Haifa University)大学院生であったテディ・カッツ(Theodore Katz)は、1948年5月22日から23日の夜にタントゥーラ(Tantura)村で起こったとされる大規模な虐殺について研究をしていた。タントゥーラとはハイファ近郊に位置し、1945年当時人口約1,500人をかかえる大きな町だった。自らは道徳的な民であると信じる、もしくは信じ込まされているイスラエル人にとって、彼の研究は道徳的なイスラエル像を打ち砕くものであり、それ故攻撃を受けることとなる。彼は家族に関する脅迫を受け、論文に記載されたことが「偽り」のものであったとし、取り下げるざるを得ない状況へと追い込まれた。しかし彼が撮り溜めた140時間に及ぶ音声証言は健在であった。彼のテープに録音された「消し去れ」という言葉は、歴史と戦争という文脈の中で新たな重みを持つ。

 

アロン・シュワルツは、アレクサンドロニ旅団(現イスラエル国防軍の一部)の元イスラエル兵を再訪し、テディが録音したインタビューと元兵士を対峙させ話を聞いた。またタントゥーラ村の元パレスチナ人住民を訪ね、村で何が起きたのかを再検証した。シュワルツがこの作品を通じて伝えたかったのはイスラエル社会で「ナクバ」がタブー視される理由だ。

今や高齢となった元兵士たちは、思い出したくない、あるいは話したくないような場面で不穏に立ち止まりながら、不穏な戦争行為を回想する。カッツが20年前に行ったインタビューの音声は、自己防衛の沈黙を切り裂き、権力、沈黙、保護された物語が歴史を形作る方法を暴露する。この映画は、イスラエル社会の第一世代と、この国の建国神話が何世代にもわたってどのように現実を形作ってきたかを知る貴重な機会を提供するものであり、イスラエルがパレスチナ人の虐殺を暗に意味するために作成した作品である。

今までイスラエル人の誰も虐殺を認めることはなかった。戦争で「それ」が起きることは当然のことであり、自分は「それ」に関与していない。そもそも「それ」は噂であり、実施されたかどうかすら疑わしい、もしくは虚偽であるとイスラエル人は主張し続けてきた。「その話」になると脳の奥に押し込まれ記憶は曖昧、もしくはそのような記憶はないという。

 

1948年にユダヤ人部隊によって行われた残虐行為は、依然として非常にデリケートなテーマである。この村で何が起こったのかを描いたイスラエル製の本ドキュメンタリー映画が公開されると、広範囲に及ぶ反発に直面した。

2023年、イスラエル建国をめぐる1948年の戦争でイスラエル軍が行ったパレスチナ人の村での虐殺に関し証拠が見つかった。パレスチナ人の記憶にあった通り、現在ビーチリゾートとなっている場所の地中に3つの集団墓地がある可能性が特定された。パレスチナ人の生存者や歴史家たちは、ハイファ近郊にある人口約1,500人の漁村、タントゥーラに住んでいた男たちが、アレクサンドロニ旅団に投降した後に処刑され、現在テル・ドール(Tel Dor)ビーチの駐車場になっている場所の地下にあると思われる集団墓地に遺体が遺棄されたと長い間主張してきた。その数は40人から200人と推定されている。

ロンドン大学ゴールドスミス校を拠点とするフォレンジック・アーキテクチャー(Forensic Architecture)は、イギリス統治時代の地図データと航空写真を分析し、生存者と加害者の証言やイスラエル軍の記録と照合した。それによると旧タントゥーラ村にはテル・ドール以外にも2つ目の集団墓地があるとし、さらに2つの可能性のある場所も特定した。彼らの調査はこれまでで最も包括的なものである。

フォレンジック・アーキテクチャーはイギリス植民地時代のデータをもとに3Dモデリングが作成、処刑や集団墓地があったと思われる場所や、以前からあった墓地の境界、墓が掘り起こされたり撤去されたりした可能性の有無などを割り出した。タントゥーラの報告書は、法的問題を中心に扱うパレスチナ人人権団体アダラー(Adalah)の依頼で作成された。この調査結果に基づき、Adalahは2023年5月イスラエルに残るタントゥーラの家族数名に代わって、イスラエルで初めてとなる墓地の境界画定を求める法的請願書を提出した。

「タントゥーラに集団墓地がないと主張するのは難しい。これらの場所を訪れる家族の権利と尊厳ある埋葬を受ける権利は、イスラエルと国際法の両方において明らかに侵害されている」とアダラの法務責任者であるスハド・ビシャラ(Suhad Bishara)は言う。「我々が今回の提訴で望んでいるのは、イスラエルの裁判所が『イエス』か『ノー』かを決める問題ではなく、どのようにすればアクセスを容易にできるかということだ」とビシャラは語った。

 

タントゥーラの集団墓地は、開けた野原にあり、山に生える梨の茂みと3本の木の近くにあると説明されてきた。現在駐車場になっている場所である。1489年の航空写真を48年のそれと重ね合わせると、不自然に手入れされた溝があることがわかる。しかしこの場所の発掘や発掘は現在においてもまだ実施されていなかった。2つ目の墓は、かつて村の広場があった場所の近くの果樹園にあり、1つ目の墓とよく似ている。航空写真で見ると、どちらも長さ3メートル、幅30メートルほどの細長い土の跡で、東西の軸に沿っており、空き地の北の境界にあった。

処刑場のひとつはハジ・ヤヒヤ(Haj Yahya)一家の家の裏にあった中庭であったと考えられている。数年後、その場所から人骨が発見されたと伝えられており、研究者たちはそこに集団墓地がある可能性もあると評価している。

 

現在92歳のアドナン・アル・ヤヒヤ(Adnan Al Yahya)は、タントゥーラがイスラエル軍に陥落したとき17歳だった。彼は何年にもわたり、学術誌やジャーナリズムの出版物の中で、友人とともに兵士に強制的に墓穴を掘らされ、何十体もの遺体を投げ込まされたと証言している。「あの日のことは今でも忘れられられない。あの日、私は神への信仰を失った」とハジ・ヤヒヤはドイツの自宅から電話で語った。「タントゥーラで私たちに何が起こったのか、世界は知るべきだ」と彼は続けた。

タントゥーラの家族委員会とアダラーは、法医学建築の調査が、パレスチナ人がナクバの出来事について、さらなる調査につながることを願っている。イスラエル建国をめぐる戦争で、約70万人(人口の約半分)が家を追われ、あるいは逃げ去り、約500の村が破壊された。

タントゥーラでの大虐殺の後、女性と子どもはフュライディス(Fureidis)に移送された。男性の生存者は捕虜収容所に入れられ、後に捕虜交換によってイスラエルを去り、彼らの家族もその後に続いた。

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参考文献:

1. Tantura/ IMDb
2. UK study of 1948 Israeli massacre of Palestinian village reveals mass grave sites

 

作品情報:

名前:  Tantura
監督:  Alon Schwarz
製作者: Alon Schwarz、Shaul Schwarz、Maiken Baird – Producer
時間:  1 hour 34 minutes
ジャンル: Documentary

Vimeo on Demand、Prime Amazonでも視聴可能。本作品のホームページはこちら

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