コロンビア:世界の巨匠、フェルナンド・ボテロの死去について

(Photo:Ruven Afanador)

史上最も重要なコロンビア人画家であり、世界で最も知られた画家の一人である巨匠フェルナンド・ボテロ(Fernando Botero Angulo)が亡くなった。9月15日(金)午前9時(コロンビア時間では午前2時)のことでモナコ公国にある自宅で静かに息を引き取ったという。ボテロは先週までモンテカルロのアトリエで絵を描いていた。

コロンビアで最も偉大な芸術家の訃報は、当初W Radioのジャーナリスト、フリオ・サンチェス・クリスト(Julio Sánchez Cristo)によって確認された。サンチェス・クリストは、ここ数日、巨匠はすでに健康上の問題を抱え、病院で治療を受けていた。サンチェス・クリストによれば、ボテロは肺炎を患っていて、入院治療を余儀なくされた。合併症を患っていたものの「自宅という平和で静かな場所で」の養成を望み、事実回復に向かっていた。しかしその命は15日朝途絶えてしまった。彼の死は妻で画家のソフィア・ヴァリ(Sophia Vari)の死去からわずか4ヶ月後(5月5日に83歳で死去)のことでだった。

最初の妻グロリア・ゼア(Gloria Zea)にできた娘リナ・ボテロ・セア(Lina Botero Zea)によると最愛の妻ソフィアとの別れが彼の健康状態を悪化させるきっかけのひとつだった。「ソフィアが去ったことで、父の健康状態は大きく悪化した。父はすでに何年もひどいパーキンソン病を患っていましたが、最後の日まで絵を描き続けました」と父ボテロについて語るとともに、「91歳で亡くなった父は素晴らしい人生を送り、適切な時期に旅立った。彼は心の平安とともに旅立った。それはとても大切なことだ」とリナは言った。また、

父ボテロは妻ソフィアと一緒にいると思うと述べている。娘はラジオ局に対し、父の遺骨は妻ソフィアの遺骨の隣に安置されると述べている。

「父の場合、芸術は彼の救いだった。時間が経つのも気づかないほどで、父はアトリエでとても幸せにすごした」とボテロの娘は付け加え、コロンビアの画家は人生の最後の瞬間まで「信じられないほど多作だった」と断言した。

リナにとって父は信じられないような人だったという。祖国への絶対的な愛情を持つ父は「常に祖国に何かを残そうとしていた。彼は偉大な模範であり、私に感動を与えてくれた父に感謝する」とW Radioのインタビューに答え、彼女の兄弟であるフェルナンド・ボテロ・セア(Fernando Botero Zea)とフアン・カルロス・ボテロ(Juan Carlos Botero)は、父に別れを告げるためにすでにモナコへ向かっていることを明かした。「ある意味、私たちは父を待ち望んでいたのだ。父はしばらく健康を害したから」と彼女は語った。

メデジン生まれのボテロは、あらゆる美術記録を塗り替えた。メキシコのパラシオ・デ・ベラス・アルテスにおける30万人の観衆、ビルバオのベラス・アルテス美術館での15万5千人の観衆など、彼のファンの数は吐出している。2022年にはニューヨークのクリスティーズのオークションで、彫刻作品「馬に乗った男」が430万ドルで落札された。これはボテロの作品としては史上最高額となった。

フェルナンド・ボテロ・アンギュロは、ダビド・ボテロ・メヒア(David Botero Mejía)とフロラ・アンギュロ・ハラミジョ(Flora Angulo Jaramillo)の間に生まれた3人の息子の次男である。1932年4月19日、メデジン(アンティオキア)で生まれた。

ボテロは芸術家になるつもりはなかった。闘牛士になるための勉強をしていたボテロは15歳の時、ほとんど偶然に、彼は自分の情熱を発見した。26歳でボゴタ国立大学美術学部絵画科教授の職を得るが、1960年にニューヨークに移住。ボテロにとって、仕事と家族は人生で最も大切なものだった。彼にとって最も困難な出来事のひとつは、1974年、4歳だった息子のペドリート(Pedrito)をスペインで交通事故で亡くしたことだった。

 

グスタボ・ペトロ(Gustavo Petro)大統領は「我々の暴力と平和の画家 “として偲ばれるボテロの死を悼んだ。「フェルナンド・ボテロは、我々の伝統と欠陥の画家であり、我々の美徳の画家であったが、亡くなった。我々の暴力と平和の画家。何千回も捨てられ、何千回も玉座に置かれた鳩のように」とペトロはコメントした。

ペトロ大統領はまた、2004年にコロンビアの数十年にわたる暴力を描いたボテロの展覧会に言及している。この展覧会では、42点の線画と25点の油絵からなる67点の作品が展示され、この惨劇によって引き起こされた多くの苦しみを映し出した。その中には、「自動車爆弾」、「パレード」、「悲しみ」、「泣いている女」、「倒れている男」などがある。

 

ボテロは作品を寄贈することでも知られている。以下例である。

  • 1976年 アンティオキア美術館に油絵7点、パステル画1点、水彩画2点を寄贈(初めての寄付)
  • 1980年代初頭 アンティオキア美術館に油絵6点を寄贈
  • 1984年 ボゴタのコロンビア国立図書館に彫刻16点と絵画18点を寄贈
  • 1992年 サンチアゴ・デ・チリ(チリ)に馬の彫刻を寄贈、森林公園内の現代美術館の前に設置された
  • 1998年 コロンビア共和国銀行、ボゴタのボテロ美術館に自作123点、海外作家の作品87点の計203点からなる重要なコレクションを寄贈
  • 2000年 アンティオキア博物館にボテロ自身の絵画114点(油彩、水彩、素描)、ボテロ広場を構成する彫刻23点、ボテロの個人コレクションから国際的アーティストの作品21点を寄贈
  • 2004年 コロンビア国立美術館へ「コロンビアの痛み(El dolor de Colombia)」と呼ばれる油絵23点と素描27点から暴力に関するシリーズの作品を寄贈
  • 2007年 「アブグレイブ」シリーズの作品47点をカリフォルニア大学バークレー校に寄贈、同大学の本部に展示されている
  • 2012年 アンティオキア美術館に「El Viacrucis」シリーズを寄贈

 

ボテロの作品は世界中にある。彼の足跡を辿るための地図は以下の通り。

世界中にあるボテロの彫刻

 

様々な思いを与えてくれたボテロのご冥福をお祈りいたします。

 

ボテロに関する記事はこちらから。

参考資料:

1. Murió Fernando Botero, el artista más importante en la historia de Colombia
2. Urgente: murió Fernando Botero, el artista colombiano más grande de todos los tiempos

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