ボリビア:海へのアクセスに関する「誠実な対話」をチリに期待する

(Photo by Luis Alberto Arce Catacora (Lucho Arce)/Twitter)

ボリビアは、海上封鎖のために国内総生産(GDP)の1パーセントの成長の可能性を失っていると、ルイス・アルセ(Luis Arce)大統領は「海の日」に述べた。大統領は「ボリビア国民は、主権を持って太平洋沿岸に戻るという不可侵の権利を主張している」と強調している。

ボリビアは1825年、太平洋に面した海岸線を持つ独立国として生まれた。しかしペルーと組んでチリを相手に繰り広げた「太平洋戦争(War of the Pacific)」の敗戦とその後のバルパライソ条約によって、太平洋とボリビアを結ぶ貴重な沿岸ルート、いわゆる「海への出口」を失った。

何度もボリビアは沿岸地域を取り戻そうと試みてきた。しかし国力で上回るチリからことごとく退けられてきた。1978年には、ボリビアの交渉要求がチリに拒絶されたとし両国は断交している。その後もボリビアは交渉を試み、2013年のエボ・モラレス(Evo Morales)元大統領時代、国際司法裁判所(ICJ)に対しチリ政府を交渉のテーブルに着かせることを求めて提訴した。同訴訟においてはICJが2018年10月1日に12対3で判決を下しており、チリ側に交渉に応じる義務はないとした。ICJは第二次世界大戦後、国連(UN)加盟国間の紛争で裁定を下す目的で設立された。判決は法的拘束力を持ち、上訴は認めらないものの、判決を強制する力はないという矛盾も抱える。ICJの当時の判事アブドゥルカウィ・アハメド・ユスフ(Abdulqawi Ahmed Yusuf)もまた判決言い渡しの締めくくりに「双方の意向によって、意義のある交渉が行えるようになることを望んでいる」と述べている。

太平洋戦争は1879~1883年に起きた。つまり、ボリビアが海の出口を失った140年後にアルセは「海とともに生まれた私たちは、帝国的な利益によって引き起こされたこの戦争の結果、海岸線を奪われ、世界とのつながりが希薄な国になってしまった。これは、我が国の経済的、社会的成長にマイナスの影響を及ぼしている」と述べている。

アルセは国際連合において議論されてきた内陸国ゆえの不利益について想起する。例えば2018年には国連貿易開発会議(United Nations Conference on Trade and Development:UNCTAD)が示した港湾を持たないと言う地理的な不利さから製品の輸出入に高い輸送コストを強いられており、その結果国際貿易から疎外される特徴があると言う点や、国連の後発開発途上国・内陸開発途上国・小島嶼開発途上国上級代表事務所が述べた「内陸国は隣国に依存しなければならず、そのため貿易が難しく、コストもかなり高くなる」についてだ。UNCTADによると内陸国の国際貿易における平均コストは、他の国に比べて30%から40%高い。

なぜボリビアは海を失ったのか。それはペルー・ボリビア連合(Confederación Peruano‐Boliviana)がチリとの間で繰り広げた太平洋戦争に負けたことによる。そしてその戦争の背景には硝石や銅などのいわゆる戦争鉱物の存在がある。

チリとボリビアの国境近くにあるアントファガスタ県は長年係争地だった。しかし1866年における国境協定は、南緯24度を国境として北をボリビア、南をチリが折半すると確定させ、戦いに終止符が打たれたように一瞬は見えた。しかしそうではなかった。チリ・イギリス系の採掘会社がこの地域やペルーのタクナ県、アリカ県、タラパカ県の硝石地帯に侵入した。この脅威に対し硝石地帯を守ることで合意したペルー・ボリビア連合はチリの採掘会社に対し強硬な対応をとり始める。1875年になるとペルーのパルド(Manuel Pardo y Lavalle)大統領はペルー国内で活動するチリ・イギリス系会社を買収し、1878年になるとボリビアはチリ・イギリス会社が国内から硝石を輸出する際に新たな関税をかけている。関税を拒否したチリに対し、ボリビア政府は硝石採掘会社を接収、競売を通じ国内企業売却。これをきっかけにチリ政府が1879年4月に両国に宣戦布告をし太平洋戦争が始まった。

ペルー・ボリビア連合は独立後もカウディージョ(地方の軍事指導者)による主導権争いが続いたこと、経済の安定化を求め1836年に設立された。ボリビアのアンドレス・デ・サンタ・クルス大統領は諸外国との貿易を有利に進めるため、あるいはチリやアルゼンチンに対抗するためにはペルーとの連携が不可欠としてペルー・ボリビア連合の構想を打ち出した。そしてこれはサンタ・クルスの師匠であり南米独立の英雄だったシモン・ボリバルの掲げる大ペルー構想(ペルーと上ペルー(ボリビア)をひとつにする)の実現でもあった。しかし両国はチリを前に敗戦、ボリビアはアタカマ回廊(ボリビア唯一の海への出口(Salida al Mar))、ペルーもまたその領土(現在のチリ・アリカ・イ・パリナコッタ州及びタラパカ州)を失った。

https://twitter.com/LuchoXBolivia/status/1638900272951877633

 

アルセは2009年に合憲化された海洋権益の主張について触れ、ボリビアとチリを隔てる歴史的な問題に勇気をもって取り組み、率直で誠実な対話を可能にする二国間関係の新しいステージを始める時である、と続けた。憲法第267条は、ボリビアが太平洋とその海洋空間へのアクセスを与える領土に対する不可侵かつ不可逆的な権利を確立している。

アルセはICJのアブドゥルカウィ・アハメド・ユスフの言葉も想起し、両国間で対話を通じた課題解決を求めると繰り返す。大統領は、ラテンアメリカの人々の兄弟愛によって、解放者シモン・ボリーバルの夢である「住民の幸福と繁栄の場となる真のパトリア・グランデ」が実現することに自信を示した。

「私たちの民族と海との関係は、ティワナクの住民がアンデスから太平洋沿岸を旅していた植民地時代よりもさらに遡ることを理解すればするほど、それは魂の切断であり、より痛みを伴う」。だからこそ、「1883年から今日に至るまで、ボリビア人は祖国が主権を持って太平洋岸に戻るという不可侵の権利を主張してやまなかったのだ」とアルセは述べた。

「同志サルバドール・アジェンデの社会主義政権時代に起こったように、ある時点で、海洋海岸とともに生まれ、再び海洋海岸を手に入れると確信している民族の、正当で、正当で、歴史的な願望を実現することが可能になると確信している」「私たちは、傷を癒し、兄弟愛、統合、民族の希望を築き、私たちが抱える懸案と、絶えず動き続ける世界の現実がもたらす新たな課題を明確にすることを恐れるべきではない」とアルセは続けた。

 

3月23日はボリビアにおける海の日だ。海への出口を回復しようという運動を啓発する目的で記念日が制定されている。

 

参考資料:

1. Bolivia pierde la posibilidad de crecer anualmente un 1% del PIB debido al enclaustramiento marítimo
2. 日本人が知らない、もう1つあった「太平洋戦争」

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