ペルー危機2023:自文化の衣装を着、旗を振っただけで投獄されたアイダ・アロニ

52歳のアイダ・アロニ・チルチェ(Aida Aroni Chillcce)は、ディナ・ボルアルテ(Dina Boluarte)の辞任を要求するために、自らの土地からキトにやってきた。自分の村の衣装ポレラのウアンカピのスカートを履くアロニが手にしているのはペルー国旗。石でもパチンコでも、棒でも、マチェテでもない。誰がどう見ても脅威ではなかった彼女は2月4日(土)の午後、5人の警官から暴力を受けた。彼女は押さえ込まれ旗は手から奪われ、足で踏みつけられ、そして理由もなく無理やりバスに乗せられた。

報道陣や目撃者によると「彼女はただ慈悲を求めただけ」だ。逮捕の数分前、地面に倒れていた若いデモ参加者に対する虐待を止めるよう警察に要求していた。「私はある少年がひどく殴られているのに気づき、彼らに近づいて、自分の息子かもしれないのだから彼を虐待しないよう彼らに(警察に)言った。それから、私はどのように(彼らが私を拘束したのか)気がつかなかったが、彼らは私を恐ろしく扱った」とOjoPublicoに語った。コタバンバス(Cotabambas)警察署に連れて行かれた彼女はその後リマック(Rímac)の国家警察(Policia Nacional del Perú:PNP)の社会問題課(División de Asuntos Sociales)に連行された。この移送は屈辱的であるとともに、不必要なもので、虐待的なものだった。アロニは彼女は何の罪も犯していないのに、両手を後ろに回され、濡れ衣を着せられた。彼女は2月4日にグラウ通りで彼女を逮捕したグリーン隊とリマ警察管区の6人の警察官から背中と腕に受けた肘の痛みを今も感じているという。

彼女がデモに参加するのは、初めてのことではない。2022年12月から平和的なデモを敢行し、1月には、アンデスの出自が注目されるように、民族の衣装であるスカートを履いて出かけることにした。

アイダ・アロニ・チルチェが住むのはアヤクーチョ(Ayacucho)のビクトル・ファハルド(Víctor Fajardo)で、ウアンカピ(Huancapi)はペルーが60年代に経験した内戦で残酷な目にあった土地である。アイダによる政府に対する憤りは彼女の過去からきている、そう語るのは社会局の外で妹の釈放を待っていたマルセリナ・アロニ・チルチェ(Marcelina Aroni Chillcce)である。

「私たちの父はフジモリに殺された。夜間外出禁止令の中、退社しようとしたところを軍に殺された。当時、彼らはすべての人をテロリストと呼んでいた。罪のない人々を殺し、妊婦をレイプし、皆を拷問したことを我々は目撃してきた。その不当な扱いを、姉は二度と繰り返さないでほしいと強く望んでいるのだ」とマルセリナ・アロニさんは涙ながらに訴えた。

アイダとマルセリナの父、ロベルト・アロニ(Roberto Aroni)の遺体は、集団墓地に投げ込まれた一方「祖父の墓は今でも見ることができまない」とアイダとマルセリナの娘、カレン・キスペ(Karen Quispe)は語った。

アイダ・アロニさんが暴力にあったのは、彼女が催涙ガスを発射して人々に影響を与えていると警察に訴えた時である。彼女はそれを振り返り「私は警官に近づき、慈悲を懇願した。その時、彼らは私の旗を取り上げ、踏みにじった。背中を殴られ、髪を全部引っ張られた」と語った。コタバンバス警察署では地下牢に入れられたことも語っている。警察が彼女に語ったのは「なぜスカートを履き変装したのか」ということだ。また、「彼らは、私が何を持ってきたのか、私の石はどこにあるのかと尋ねた」。そして自らの土地の服をきているだけなのに、「なぜドレスアップしているのかと聞かれた。私たちのことを小馬鹿にしたような態度に腹が立った」と述べている。

彼女は、法律で定められた48時間後に釈放された。しかしアイダ・アロニの言葉は当局に届かなかった。それどころか、当局はアロニの拘束を正当化したという。なお勾留中警察は誰とも連絡を取ることを許さなかった。監禁されている間は、娘が食事を持ってきたにもかかわらず、一度しか食事をとることもできなかった、そう語る。彼女によれば「警察署では、泣き、痛み、身体的・精神的虐待があるだけだ」。

 

 

アロニは母国語ケチュア語でディアナについて述べた。

「(大統領)ディナさん。あなたはどれだけ血を流させるのですか、お金のためですか、何が欲しいのですか、大臣たちや議会に座っているネズミたちと何をしているのですか。」

「私は棒で闘ったり、石で闘ったりしない。棒で叩いたり、石で叩いたりしません。チョーラ、セラーナ、インディアと呼ばれようが、差別されようが、私は誇りを感じます。私は自分の国のために戦うのです」と言いながら、アロニは街頭に戻った。

 

彼女は抗議に出る理由を次のように繰り返す。愛国心、人々、自らの国のためにと。なぜならこの国を愛しているから、私はこの国で生まれたから、と。

内務省によると、政府・議会に対する2カ月間の抗議行動後、逮捕された人の数は743人に達したという。このうち、27人が破壊行為で有罪判決を受け、さらに30人が公判前勾留されている。ほとんどが、証拠がない、あるいは自由に捜査プロセスを続けるという理由で釈放されている。

ペルー憲法によると、人は裁判所の命令かフラグランテ・デリクト(現行犯)の場合逮捕することが可能となっている。しかしリマや地方での反政府デモや現在の非常事態の状況下においては、逮捕は人々が暴動を起こしたという理由で行われてしまう。この点について、刑事訴訟法は第263条で、防衛権と人物の尊厳を尊重した介入手続きを定めている。ペルー国家警察の規約では、逮捕は人権を厳密に尊重して行われなければならないことが示されている。しかし、誰の目から見ても、その通りになっていないことはたしかである。アイダへの介入は、根拠のない逮捕や暴力的な手続きの乱用を糾弾するデモ参加者や人権団体の数十枚の画像によって警戒されている状況の一例に過ぎない。

 

ボルアルテ、議会反対にする歌はこちら(#canción_Boluarte)も参考のこと。

参考資料:

1. Aida Aroni, presa por ondear la bandera – LaRepublica.pe
2. El caso de Aida Aroni, la mujer presa en Perú sólo por ondear la bandera y pedir piedad a la Policía
3. Masivas detenciones en Perú: testimonios denuncian el abuso policial

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