アウグスト・ピノチェトの未亡人、ルシア・イリアルト旅立つ

チリの大統領選挙を3日後に控え、政局が盛り上がる中12月16日にアウグスト・ピノチェト(Augusto José Ramón Pinochet Ugarte)の未亡人ルシア・イリアルト(María Lucía Hiriart Rodríguez)がサンティアゴで息を引き取った。1922年12月10日生まれ、享年98歳だった。

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1973年から1990年までチリで軍事独裁政権を引いていたピノチェトのファーストレディとして務めた。彼女は極めて裕福な家庭でいわゆる血統書付きだった。父は弁護士で急進派の政治家オスバルド・イリアルト・コルバラン(Osvaldo Hiriart Corvalán)でフアン・アントニオ・リオス(Juan Antonio Ríos )の下で内務大臣を務めていたし、フランスの伯爵であり政治家、作家であるドミニク・ジョセフ・ガラ(Dominique Joseph Garat)の子孫だった。母親もまた裕福な弁護士の娘だった。本人もタルカ(Talca)市長を務めたルシアノ・イリアルト・アゾカル(Luciano Hiriart Azócar)の孫娘でもある。10歳の時、一家でサンティアゴに引っ越してきた。学業にも優れるとともにサン・ベルナルド高校時代は美の女王として選出された。

1941年9月、イリアルトは当時少尉だったアウグスト・ピノチェトと出会い交際を始め、1942年4月11日、ピノチェトはイリアルトに結婚を申し込む。階級が異なることから父はその結婚に難色を示していた。それでも1943年1月29日、イリアルトが20歳のときに結婚した。父の心配通り、イリアルトは結婚当初から北部に駐留するピノチェトのような将校の生活が適さず、また立派とも言えない将来に悲観的になった。ピノチェトと結婚することで放棄した自らの昇進や上流階級でいたいという執拗までの執着が、後の1973年9月11日の軍事クーデターへとつながる。それは国家転覆参加への署名に最後までためらっていたピノチェトを後押ししたことによる。彼女はアジェンデを倒せば、自らの居場所を確立できると考えたからだ。クーデター前日の9月10日にはイリアルトとその子供マルコ・アントニオとジャクリーヌ・マリーは、ロス・アンデス(Los Andes)のリオ・ブランコ(Río Blanco)の町にあるレナト・カントゥアリアス・グランドン(Renato Cantuarias Grandón)大佐が指揮する軍の学校に到着していた。もしクーデターが失敗すれば、国境を越えて安全なアルゼンチンへ逃げなければならなかったからだ。

軍政期には「母親たちのセンター(centros de madres del país)」の理事長となりまるで「国母」かのように振る舞った彼女はピノチェトの考えより、自らの考えを優先し行動したとも言われている。2005年にはリッグス事件における脱税の共犯(金額は約235万米ドル)として起訴されたるも拘留されたのは1日だけ、すぐに解放された。その後2007年10月4日にも公金横領の罪で、5人の子供や関係者17人と共に起訴、逮捕を命じられる。同日、救急車でサンティアゴの陸軍病院に収容されたが10月6日、元遺産管理人オスカー・アイクテン(Oscar Aitken)容疑者を除く22人とともに仮釈放された。10月26日にはサンティアゴ控訴裁判所は、彼女の個人的保証が侵害されたとして、彼女に対する裁判を無効という判決を下した。リッグス事件とはピノチェト元大統領が米地銀リッグス銀行(Riggs bank、本店ワシントンD.C.)と共謀して2500万ドル(約29億円)を不正に蓄財したというもの。米上院が2004年に調査したところ同銀行にピノチェトやその家族名義の口座数百が存在していたことがわかり、事件化した。なお、本事件は解決していない。なぜならピノチェト自身2006年12月10日に心臓発作のため91歳で死亡しているからだ。また、当時も弁護団は元大統領が高齢による認知症で弁護能力がないと申し立てていたことにもよる。

ルシア・イリアルトは才色兼備であり、政治にも長けていた。彼女を表す言葉としては毅然としていて自律的、冷酷で独断的、情け容赦がない、である。ピノチェトが無口で口下手な一方彼女は雄弁に民衆の前で語った。ファーストレディでありながらも、夫を侮辱したり、夫をさしのき市長や在外チリ大使館の軍事担当官の任命、役人の解任などを決めていった。また、保守派の女性たちに甚大なる影響力を及ぼしてもいた。一方、彼女の死を待つだけのソーシャルネットワークサイトもあったりと、敵も多かった。極めて精力的だった彼女も晩年には呼吸器の合併症が年々悪化し自宅で家族と過ごしていた。死因は虚血性心疾患による心肺停止であった。葬儀は非公開に行なわれた、そう息子のマルコ・アントニオ(Marco Antonio )は語った。

 

そんなチリでは今日19日に大統領選の決選投票を迎える。穏健左翼の候補者ガブリエル・ボリッチ(Gabriel Boric極右のホセ・アントニオ・カスト(José Antonio Kastはチリに不安定とより一層の憎悪と暴力をもたらすだけだと発言。

1121日の選挙では、カストが27.9%と最も多くの票を獲得し、ボリッチは第2位で25.8%の得票と肉薄している。決戦投票も接戦が予定されている。

35歳のボリッチは元学生指導者で27歳の時に政治家に転身した。出馬母体Frente Amplio(拡大戦線)の党員であり、また共産党が合流したPacto Apruebo Dignidad(尊厳承認同盟)の一員であるが、決戦投票においては中道から左派までの政党の支持を得ることに彼は成功している。また映画俳優のガエルガルシアベルナル(Gael García Bernal)も彼への支持を訴えている。

https://twitter.com/gabrielboric/status/1470893237665554435

カストが称える「ピノチェト独裁ノスタルジー」に危機感を募らせている有権者がいることも確かだ。エリートによる権威主義に基づき秩序だった国を作ろう、彼はそう語っている。また、女性省についても閉鎖を語ったり、大資産家が優位に働くよう免税などを実施すると考えられている。なお彼自身がピノチェトの政治に傾倒しているのみならず、彼の父親もまたナチ党員だった可能性があることが明るみになっている。ルシア・イリアルトの死去は今一度その時代のことを想起させるが、一方で保守系浮動票を同情票として獲られる可能性もある。

有権者は18歳以上の1500万人。前回投票率は47.34%と高くなかった。結果速報はチリ時間18時(日本時間20日午前6時)に出る予定だ。チリの大統領選を皆で見守ろう。

 

参考資料:

1. Fallece la viuda de Augusto Pinochet, Lucía Hiriart: la mujer más poderosa de la dictadura
2. Con tono chileno, Gael García llama a votar por Gabriel Boric; “tu acento está casi intacto”, le responde

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