エクアドルの無形文化遺産ボンバとは

ボンバ(bomba)はアフロ・エクアドル少数民族の抵抗を象徴する音楽だ。無形文化遺産として登録されており、今日さまざまなグループによって解釈され幅広く知れ渡るようになっている。インバブラ州やカルチ州で、盛んに演奏されるそれは、伝統的なもので八分の六拍子(6/8)、現代的なボンバは二分の二拍子(2/2)のリズムで構成される。ボンバ・デル・チョタ(bomba del Chota)は有名で、インバブラ(Imbabura)州とカルチ(Carchi)州の境界に位置するチョタ渓谷で生まれたものだ。元々は16世紀後半に奴隷を乗せた船がいくつかエクアドルの海岸に衝突した際に、エクアドルに到着した現在のアフロ・エクアドル人の祖先であるアフリカ人が起源とされている。ボンバ・デル・チョタには、現在2つの主要なジャンルがあり、スペインの影響を受けながらも、アフリカ的な要素を色濃く残しているチョタ渓谷の「ボンバ」と、エスメラルダス(Esmeraldas)では、アフリカ(バンツー)のマリンバを使っている。

 

エスメラルダスにおけるコミュニティの男性と女性は、生命を祝い、聖人を崇拝し、死者に別れを告げる様々な儀式、宗教、お祭りの中で、物語や詩を歌い、リズミカルな体の動きでその解釈を添ええる。マリンバの音楽は、竹製の共鳴筒を備えたヤシでできた木琴で演奏され、ドラムやマラカスの音に合わせて演奏された。これらの人々は数百年前にアフリカから奴隷としてやってきた。

エスメラルダでマリンバ音楽となった抵抗と闘争のシンボルであるアフロ・ミュージックは、チョタでは太鼓が使われる。この楽器は、エクアドル北部高地のアフロ・デセンダントの宇宙観を表現している。それは、ヤギの皮と木の幹を細い糸でつなぎ合わせて作られているのが特徴的が、ヤギの血と皮の乾燥過程は水と火を、木の幹は大地を、そして楽器の音を出す穴は空気を表している。

 

ドン・クリストバル・バラホナ(Don Cristóbal Barahona)はインバブラ県の北部、チョタ川のほとりエル・フンカル(El Juncal)集落に住む最後の太鼓作りだ。好奇心から叔父の一人であるペドロ・カルセレン(Pedro Carcelén)からドラム作りの技術を学んだ。アフロ・エクアトリアーノの歴史と自由への渇望には太鼓が必要だが、この作成には先祖代々の知識と、ある種の儀式を行う必要がある。「すべてが手作りで、ボンバを作る時間も決まっている。そうしないと音が出ないし、楽器の価値もない」そう匠は語る。エクアドルだけでなく、コロンビアやアルゼンチンでも同様の楽器が見られるが、バラホナは40年前から作り続けている。

ボンバを作るための道具も決まっている。幅30センチ、高さ40センチほどのバルサ材の中空の幹、ヤギの皮、ジュンケレメというインバブラの亜熱帯地方に生息する植物の根、カブヤ、針金だ。2013年3月から彼の作る傑作はニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されている。彼の楽器の価値を保証してくれたのが、アメリカ在住の若者グループによる「チョタ・マドレ文化運動(Movimiento Cultural Chota Madre)」であり、そのおかげで美術館への展示が決まった。

上述の通りドン・クリストバルは最後の太鼓作りだ。自分の仕事に誇りを持っているものの、時代とともに風習が失われていることを認識していると彼はいう。9人の子どもたちも、孫たちも、誰も太鼓作りを習得していないから、太鼓作りの伝統はクリスとバルと共に消滅する事になる。「以前は、結婚式や洗礼式に招待されると、ドラムを持ってきて、ゲストを踊らせる係だった。テープレコーダーや音響機器が登場すると、歌う機会がなくなってしまった。今では、パーティーに太鼓を持っていくことはなくなった」と語った。

 

黒人たちは踊りやメロディーを使って上司や監督を魅了した。それは祖先が子孫を守るために編み出した術のようなものでもある。17世紀にイエズス会や密売人は、鉱山やプランテーションの労働力としてアフリカで黒人奴隷を捕獲、ラテンアメリカ・カリブに連れてきた。エクアドルにいるアフリカ起源の先祖たちの多くはアフリカから直接来たのではなく、カリブ海の他の島々から来たものたちだった。エクアドルに到着した黒人グループは、エスメラルダス海岸から移動し、コアングエ渓谷(現チョタ渓谷)に定住した。 彼らは、インド・ヒスパニック系とアフリカ系が入り混じる植民地時代に独立した文化を創造し、その結果このような素晴らしい音楽を奏でるに至った。ボンバの歌詞には、サトウキビ農園、サトウキビ工場、権力関係などの生産システムが反映されており、それが音楽的要素と結びついている。また寄贈された橋、川の流れ、出産など、歴史的な出来事や日常生活も語られる。この文化的な表現には、器官、音色、音楽の構成、詩、振り付けなど、さまざまなルールがあり、社会的な結束力を高める一連の象徴的な要素をもたらし、抵抗や集団的なアイデンティティの拠り所ともなっている。この曲に合わせて踊るには「喜び、いたずら心、そして腰の動き」という3要素が不可欠となっている。なお、アフロ・デセンダントの音楽は時としてそのリズムに緩急をつけることでこの地域の住民に危険を知らせるためにも使われた。

 

ボンバを踊る時の衣装は決まって女性たちは、大きなプリーツの入ったスカート、ペチコート、ブラウスを着ている。足は裸足で、頭に瓶を乗せている。一方の男性は長袖のシャツに白いズボン、黒と白のキャンバス地のスリッポンを履いている。そしてクルクルとハンカチを回しながら踊る。なおどうしても気になる「なぜ頭にボトルが乗っているのか」であるが、踊り子によるとこのダンスがお祝いの席で演じられた時、パトロンが酒瓶をパーティー参加者に渡したことがきっかけだという。参加者が音楽に合わせてその酒瓶を頭に乗せて、友人に乾杯したというのだ。そこからインスピレーションを受けている。

踊り方と頭への瓶の乗せ方は以下参照。

 

今日では高地の黒人民族(アフロ・コテノ)のアイデンティティを示す重要なものとして、エクアドル全土で認識され称賛されているものの、フランシスコ・ララ(Francisco Lara)やディアナ・ルヒエロ(Diana Ruggiero)が述べるようにボンバとアフロ・コテノのアイデンティティーについて、相反する解釈と表現も出てきているとする研究も出てきている。一つは、真正性と伝統に固執する静的なものであり、もう一つは、ハイブリッド性と現代性を受け入れる動的なものだ。

アフロエクアドル人は貧困やその他多くの深刻な問題に直面している。それでも先住民と比べると経済的にも社会的には若干恵まれている。多くの人にとって、アフロ・エクアドル音楽は、文化的分離の表明であり、アフロ・エクアドルの文化的、政治的プライドの表現でもある。

La Bomba, music, dance and ancestral knowledgeは、2020年10月20日国立文化遺産研究所(Instituto Nacional de Patrimonio Cultural:INPC)と文化遺産省による認証を受け、エクアドルの無形文化遺産となった。

 

ママ・ソイリタ(Mama Zoilita)またはボンバの女王として有名なソイリタ・エスピノサ(Zoila Úrsula Custodia Espinoza Minda)の歌、踊りは以下を参照。家事がひと段落した40歳に、ダンスへの情熱を注ぐようになる。彼女の踊りは、すぐにチョタバレーの人々を魅了した。彼女がダンスを愛したのは、幸せを感じたからであり、ダンスを通じて感情や伝統、そして民族の社会的闘争(人種差別など)に対する公平性を訴えることができたからとされている。なお彼女は2017年8月29日、心臓病で84歳で人生を閉じた。

 

チョタについて知りたい方は以下を。

 

エクアドルで最も優れた児童書の画家の一人であるマルコ・チャモロ(Marco Javier Chamorro Aldás)は絵本「ボンバ 悪魔のリズム(A ritmo endiablado de bomba)」を通じてチョタのボンバの王ダビララと悪魔との戦いを描いている。共著者にはエクアドルの口頭伝承をもとにした物語「ママ・コタカチとタイタ・インバブラ(Mama Cotacachi & Taita Imbabura)」を執筆したことで知られるアリス・ボスー(Alice Bossut)がいる。

 

参考資料:

1. Música de marimba y cantos y bailes tradicionales de la región colombiana del Pacífico Sur y de la provincia ecuatoriana de Esmeraldas
2. Homenaje a Cristóbal Barahona llena de alegría al Juncal
3. Don Cristóbal le pone los tambores a la música
4. Highland Afro-Ecuadorian Bomba and identity along the Black Pacific at the turn of the Twenty-First Century(University of Texas Press)
5. El baile de la botella, una manifestación cultural que se mantiene
6. La Bomba, símbolo musical de resistencia de la minoría afroecuatoriana
7. “La Bomba” es parte del Patrimonio Cultural Inmaterial del Ecuador
8. Música, danza y poesía se vivió en Día de la Bomba del Chota
9. ‘La Bomba’ es parte del Patrimonio Cultural Inmaterial de Ecuador 

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