ベネズエラが誇る「ハンモックの埋葬」とは

ベネズエラには100年以上前から脈々と受け継がれてきたカーニバルがカラボボ州のプエルト・カベジョ(Puerto Cabello)にある。サン・ミラン地区を通ってプエルト・カベロの中心部まで人に担がれ移動するのはハンモック。2月の毎週火曜日行われるエンティエロ・デ・ラ・アマカ(Entierro de la Hamaca、ハンモックの埋葬)はその発生から今年で150周年を迎えた。今年はラテンアメリカの解放のきっかけとなったカラボボの戦いから200周年に当たる年である。ハンモックの埋葬は国の文化遺産として認定されている。

文化省のエルネスト・ビジェガス(Ernesto Villegas)大臣は2017年2月13日この土地を訪れる。サン・ミラン(San Millán)地区のダンサー、ヘルマン・ビジャヌエバ(German Villanueva )に文化遺産登録を認めた文書を渡すためだ。「ニコラス・マドゥロ大統領の指示で、証明書を正式に手渡すためにこの土地にやってきた。このハンモックは、カラボボ州のアイデンティティーの一つであり、ベネズエラとして、これが過去から未来へとつながる伝統の一部だと認識している」と語った。さらにTwitterを通じ「ベネズエラでは、このハンモックのような様々な文化的表現が、我々にベネズエラらしさを発見させてくれ、その精神的・文化的な強さが、彼らが蒔こうとするあらゆる障害を克服する助けとなる」、また、文化を祖国を守る主な盾とすることで、「子どもたちがベネズエラという国に共感しながら成長していくことができる」とコメントを出した。

ハンモック・ダンスは、キュラソー島からの移民が持ち込んだもの。最愛の人が亡くなったことを知った女性がその人を弔いに行ったため葬儀の場で黒人男性が妻の浮気を知り、嫉妬心を爆発させる様子をドラマ化したものとされる。ダンスは常に前進しながら行われ、後退することはない。サン・ミランからカサ・デル・タンボール(Casa del Tambor)への行き来は、ハンモックが悪いエネルギーを集め、カーニバルの祭りが終わると、それがハンモックの上に運ばれるまで蓄積されるというスピリチュアルな信念があるため、異なるルートで行われる。

 

ハンモックが練り歩く前日の月曜日(Lunes de Carnaval)の深夜、サン・ミラン・デ・ラ・マコッラ(San Millán de La Macolla)では誓いの言葉とともに祭りが始まりが始まる。口々に語られる「Ya se murió, ya se murió…(死んじゃった)」という言葉が祭りが始まったことを物語る。その間もポルテーニャ地方の代表的な楽器である太鼓の音は鳴り止まず、参列者の間で踊りやダンスが繰り広げられている。

火曜日の正午からが祭りの本番だ。花を飾ったハンモックに故人を乗せ「死んだから埋葬しなければならない」と叫んで埋葬に向かう。女たちは踊り、男たちは妻の深い悲しみに嫉妬し、男たちは手にベラという棒を持ち、極めて激しく撃ち合う。暴力的として恐れられたこの行動は、実は周到な準備のもと行われる。火曜の夜にハンモックを 「埋葬 」することとなるが、そこが祭りの最高潮だ。ベールに包まれて埋葬された後は、次のカーニバルが来るまで、サン・ミランにあるカサ・デル・タンボールのファサードに飾られる。なお、祭りの前夜祭となる土日には、ハンモックを作りが一斉に行われているのが見て取れる。ハンモックは、布の切れ端を白いシートで覆い、さまざまな色の花を飾り、長さ3メートルの2本のポールでできている。

パレードに参加する男性は、さまざまな色のシャツを着ている。一方の女性はカラフルで大きな花柄がデザインされたドレスを着ていて、出席者の顔は黒、青、赤、緑に塗られている。参加者が着ているシャツにはボタンがないから、腰で留めなければならない。伝統に従い、ボタン付きドレスを着ている人は、祭りの参加者にそれを渡さなければならず、観客の真ん中に投げ込まれる。

この瞬間こそさまざまな社会階層の人々が、何の差別もなくつながる瞬間だ。祭りのために労働者、学生、文化人、カルトラ、資産家、低所得者、商人、政治家、知識人、子供、青少年など、様々なバックグラウンドを持った人が集結する。強い太陽の日差しの元行われる祭りでは互いに飲み物を分け合い楽しむ。この土地で有名な飲み物にはPepa e’ Burraというものがある。

祭りの中心となるのは故ビビアーノ・ピトレ氏の家だ。ここで通夜の準備が始まる。この儀式を最初に始めた家族こそがキュラソー島からやってきてこの土地に定住したピトレ(Pitre)、ドウエンツ(Dwuentd)、エスコリフエラ(Escorihuela)、キニンドンゴ(Quinindongo)、フォロニエ(Foronieis)たちだったのだ。なお、もともと彼らは言語としてパピアメント(papiamento)を使っていたという。

ちなみに、作家で歴史家のアスドルバル・ゴンサレス(Asdrubal Gonzalez)によるとこのダンスの起源はキュラソー島ではなく、オランダやイベリア半島から来たものだ。「スペインのカーニバルの終わりを告げるイワシの埋葬と関係があり、それらの文化がキュラソー島を経由してプエルト・カベジョに到着したと。

この儀式にはハンモックはもちろんのこと地元で取れる顔料と太鼓も欠かせない。伝統的に、プエルト・カベジョの港周辺で採取した粉末状の物質である黒煙を、油と混ぜて活動に参加する男女の顔に塗ることが慣わしだ。また、ポルテーニョ文化で使われる太鼓のも決まった形がある。アボカドの木が用いられ山羊の皮をつる植物のベジュコ(グアコ)で固定する。

 

この儀式が国の遺産となることで、今まで注目されていなかったサン・ミラン地区はベネズエラの中でも最も文化的に多様性のあるコミュニティのひとつとして認められ、ハンモックの埋葬はサン・ミラン地区のみならずベネズエラ国民の拠り所となる。サン・ミランには異文化の融合であるシンクレティズム、ミセゲーションのサンプルがあり、その結果、ベネズエラを代表する美しい驚異がここから生まれている。

エンティエロ・デ・ラ・アマカが文化遺産となった2017年2月13日、ビジェガス大臣はこの土地にあるカサ・デル・タンボールの修復支援を約束した。それはこの土地の文化的表現を永遠に続けていけるようにするためだ。この約束から4年。カサ・デル・タンボールはどうなっただろう。

 

なお、カラボボ州にはハンモック・ダンス以外にも国全体の誇りとなっているアフロ文化音楽を讃えるグループ「ロス・タンボレス・デ・サン・ミラン(Tambores de San Millán)」を生んだ。40年以上前から国内外のさまざまな舞台でその魅惑的を伝えてきた。

 

参考資料:

1. ENTIERRO DE LA HAMACA RECIBIÓ CERTIFICADO COMO BIEN DE INTERÉS CULTURAL DE LA NACIÓN
2. Entierro de la Hamaca recibe certificado como Bien de Interés Cultural de la Nación (+Fotos)
3. Celebran este Martes de Carnaval en Carabobo 148 años del Baile de La Hamaca

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