ことわざ「猫のも借りたい」について考えた

年末になるとよく耳にする諺「猫の手も借りたい」について大掃除をしながら考えた。

これは、非常に忙しいことから、ねずみを捕ること以外何の役にも立たないとされる猫の手であっても借して欲しい、つまり誰でもいいから手助けが欲しいことを例えるものだ。

元来猫は穀物を食い荒らしたり、ペストの流行源となっていたねずみを駆除することで、人と共生してきたわけだし、その手の使いようをねずみの捕獲以外にとやかく言われる筋合いはないのだが、近松門左衛門による

浄瑠璃「関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)」で「上から下までお目出度と、猫の手もかりたい忙しさ」と表現されて以来、猫の手はさもねずみ取り以外には役に立たないと決めつけられた。

猫からしたら全く遺憾である。

 

見ているだけで5分は過ごせるそのグー型の手。

流血するほどのパンチを繰り出せるその手。(消毒やら止血やらが大変)

片付けた先から部屋を汚していくその無邪気な手。

 

「猫の手を借りたい」

そう思う時こそ、猫の手がそばにあっちゃあ困る。そう思う1日だった。

 

それでは、掃除した先から部屋を汚していく猫をどうぞ。

 

この子たちの餌はゲージ外にちゃんと用意されています。

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