(Photo: @CONAIE_Ecuador)
2025年9月22日より、エクアドル先住民族連盟(Confederación de Nacionalidades Indígenas del Ecuador:CONAIE)が呼びかけた全国ストは18日間にわたり続いており、数多くの先住民族が街頭に立ち、政府の措置に対する不満の声を上げている。今回の全国ストもエクアドルにおける先住民族の存在と政治的影響力を再び鮮明に示す機会となっている。特に、法令126号によるディーゼル補助金廃止に対する抗議行動は、単なる経済的要求を超えた、歴史的かつ構造的な不平等への反発として捉えるべきである。
ストライキの主要な舞台となっているのは、インバブラ(Imbabura)県、トゥングラワ(Tungurahua)県、ピチンチャ(Pichincha)県、カニャル(Cañar)県である。さらに、2025年10月12日には、ボリバル(Bolívar)県にあるワランカ(Waranka)の人々も抗議行動に加わった。これらの先住民は、エクアドルの北部山岳地帯(Sierra Norte)、中央山岳地帯(Sierra Central)、および南部山岳地帯(Sierra Sur)に広く分布している。いずれも、独自の言語、文化、共同体組織、土地との関係性を保持し続けており、それが高い社会的抵抗力の源泉となっている。彼らの多くは、伝統的な経済活動である農業や手工芸を中心に生活を築いており、カビルド(Cabildo, 評議会)を基盤とする自治組織によって、政治的代表性と内部統治を確保してきた。さらにインバブラ先住民族・農民連合(Federación de Indígenas y Campesinos de Imbabura:FICI)、エクアドル・キチュア民族連合(Confederación de Pueblos de la Nacionalidad Kichwa del Ecuador:ECUARUNARI)、CONAIEなどの地域・全国規模の先住民族組織を通じて、国家レベルの交渉においても大きな影響力を持っている。
先住民族による組織的な抵抗は、国家政策への異議申し立てとして機能するだけでなく、エクアドル社会における多民族性と多文化性の再確認を促すものでもある。全国ストライキは、単なる抗議運動ではなく、主権、尊厳、社会的正義をめぐる闘争の一部なのである。この対立の最前線に立っているのが、アンデス地域に居住する、キチュア系プエブロに属する人々である。以下では街頭に出て社会における不正義、不平等を唱える市民、さらにはその人々の属する先住民プエブロの特徴を示している。
国家警察および軍は抗議者に「テロリスト」というレッテルを貼りながら、その「鎮圧」という名の暴力を試みており、これまでに220件を超える人権侵害が記録されている。
カランキ(Pueblo Indígena Karanki)
インバブラ県に位置する先住民プエブロ「カランキ(Karanki)」は、イバラ(Ibarra)、アントニオ・アンテ(Antonio Ante)、オタバロ(Otavalo)、ピマンピロ(Pimampiro)といった複数のカントンに居住している。彼らの母語はキチュア(Kichwa)語であり、スペイン語は第二言語として使用されている。この人々は「カランキス(Caranquis)」という名称でも知られており、この名称は彼らの領主制(señoríos)を指すものである。彼らはカヤンベ(Cayambe)、コタカチ(Cotacachi)、サラウルコ(Saraurco)、ピチンチャ(Pichincha)、インバブラ(Imbabura)といった高峰を崇拝している。
日常生活においては、軽度の病気を癒すために自然の植物を用いる。助産師(parteras)や治療師(curanderos)が存在し、また民間の知識では治癒できない重篤な病気に対しては西洋医学(medicina alopática)も利用されている。
アンデス地域の全先住民と同様に、カランキも植民地時代において民族としての地位を剥奪された。彼らの領土はエンコミエンダ制(encomiendas)により分割され、各エンコミエンダに住民は配属され、先住民に課された貢納(tributos)の履行が強制された。この民族が経験した布教(evangelización)の過程で、スペイン人到来以前に行われていた象徴的かつ遊戯的な慣習はすべて消滅した。
土地の権利の承認を求めての闘争は、地主(hacendados)との対立を意味した。地主は15世代以上にわたって労働してきたこの民族に対し、土地の一部を譲渡することを拒否した。1960年代の国家による農地改革(reforma agraria)によって、彼らは小規模農場の所有者(minifundistas)となったものの、その生産性は低い状態にある。今日においても、ヌスタ・キラソ(Ñusta Kilazo)やベンハミン・ヌカ(Benjamín Ñuca)といった指導者たちの闘いによって、カランキは権利の擁護と文化の再建に取り組んでいる。
カランキはコミュニティによって組織されている。各コミュニティ内の最高権威はカビルド評議会(Concejo de Cabildo)である。これらのカビルドは教区(parroquia)単位の法人を構成し、さらには地域連合体として連携している。また、地域の総会(asambleas comunitarias)、各種協会および協同組合(cooperativas)の理事会も存在する。カランキの仕事は総会(asambleas generales)にて計画される。ここでコミュニティ発展のための活動に関する決定が行われる。毎年、カビルド評議会は計画案を作成し、総会の承認を得るために提示する。カランキのコミュニティは一般的に教区連合体(corporaciones o uniones parroquiales)に組織され、これらが連邦組織(federaciones)に所属している。
イバラの先住民コミュニティ連合(Corporación de Comunidades Indígenas de Ibarra)はイバラ郡(cantón Ibarra)の大多数のコミュニティを統括し、インバブラ先住民族・農民連合(FICI)、ECUARUNARI、CONAIEといった先住民族組織に加盟している。ただし、ラ・エスペランサ(La Esperanza)とアンゴチャワ(Angochahua)教区の一部のコミュニティは、アンゴチャワおよびラ・エスペランサ先住民コミュニティ連合(Unión de Comunidades Indígenas de Angochahua y La Esperanza:UNOCIA)および全国農民・先住民・黒人組織連合(Confederación Nacional de Organizaciones Campesinas, Indígenas y Negras:FENOCIN)の支部である。
ピマピロ郡(cantón Pimampiro)のマリアノ・アコスタ教区(parroquia Mariano Acosta)所属のコミュニティはマリアノ・アコスタ先住民コミュニティ評議会(Consejo Indígena Comunitario Mariano Acosta)に属し、サン・フランシスコ・デ・シグシパンバ教区(parroquia San Francisco de Sigsipamba)のコミュニティはシグシパンバ農民コミュニティ連合(Unión de Comunidades Campesinas de Sigsipamba)に属している。いずれもFICI、ECUARUNARI、CONAIEの支部である。
カランキの人々が生計を立てる主な活動は農業である。高地では寒冷な気候に適した小麦、大麦、ジャガイモ、オカを栽培し、低地ではトウモロコシを栽培する。生産物は自家消費と市場での販売に用いられる。もう一つ重要な活動は陶器、刺繍、織物などの手工芸品の生産である。近年、コミュニティからは蜂蜜、チーズ、ヨーグルト、カタツムリなどの農産物加工を行うマイクロ企業が複数生まれている。
また、山岳観光(turismo de montaña)、冒険観光(aventura)、農業観光(agroturismo)、医療観光(turismo medicinal)も重要な収入源であり、家族やコミュニティによるイニシアティブにより運営されている。国内の移住においてもカランキは重要な存在である。
知識の伝承は実践的に行われている。歌謡(coplas)は知識伝達の一つの手段であり、女性が主要な伝承者として歌い踊りを通じて伝えている。カランキ遺跡などの聖地の回復作業、保護自然区域や領域の復興が進められている。
服装も彼らのアイデンティティを象徴する文化要素である。男性は白いシャツとズボン、赤い羊毛のポンチョ、白いアルパルガタ(麻製の靴)、つばの短い帽子を身に着ける。女性は白い刺繍ブラウス、濃色の巻きスカートまたはオタバロ女性の伝統衣装であるポジェーラ(pollera)、アナコス、金のネックレス、そして鮮やかな色のチャリナ(chalina, ショール)、赤珊瑚製のブレスレット(manilas)、黒い帽子(sombrero negro)、黒いアルパルガータ(alpargatas negras)を身にまとう。これらの要素は、言語・経済・社会組織・文化の各面において、インバブラ県の先住民族が独自の存在を保ちつつ、地域の歴史と現代社会において重要な役割を果たしていることを示している。
カヤンビ(Pueblo Indígena Kayambi)
先住民プエブロ「カヤンビ(Kayambi)」はピチンチャ県、インバブラ県、ナポ(Napo)県にまたがる14の教区に分布し、100を超えるコミュニティを形成している。言語はキチュア語とスペイン語を使用する。
1998年の新憲法によって集団的権利が認められて以来、カヤンビは民族集団としての再構築を進めてきた。その取り組みの一環として設立されたのが、カヤンビ民衆連盟(Confederación Popular de Cayambi)である。この組織には、地域のコミュニティや組合が多数加盟している。
各コミュニティはカビルド(Cabildo)を持ち、協会、協同組合、委員会などを通じて相互に連携している。すべてのカビルドはNGOの労働組合の一員であり、それがさらに先住民連合体を構成する。大多数のコミュニティはFICIに所属しており、その他は独立しているか、ECUARUNARI、CONAIE、エクアドル福音派先住民諸民族評議会(Consejo de Pueblos y Organizaciones Indígenas Evangélicos del Ecuador:FEINE)、FENOCINに所属している。FEINEはキリスト教の福音派である先住民で構成されている評議会で、一方のFENOCINは農民、先住民、アフロ・エクアドル系コミュニティの組織が連携し、社会的・政治的権利の促進を目指す全国的な連合体である。
農業技術や土壌保全に関する知識は、世代を超えて口承により伝えられている。また、伝統医療に関しては「ヤチャク(Yachac)」と呼ばれる知恵者・治療師によって実践的に継承されている。
男性は赤いポンチョと帽子、白いズボン、アルパルガタを着用し、女性は色とりどりのアナコ(anaco, 腰布)、刺繍入りのブラウス、帽子を身につけている。これらの衣装は、地域ごとに細部が異なるものの、共通して文化の中核をなす要素である。
カヤンビは、インカ帝国に対して20年以上にわたり抵抗を続けた歴史を持つ民族である。彼らは独自の音楽文化を保持しており、歴史的にはインカ皇帝アタワルパ(Atahualpa)がカハマルカ(Cajamarca)へ進軍した際、カヤンビをはじめカランキ(Karanqui)、パンザレオス(Panzaleo)、キトゥス(Kitu)、タクンガス(Tacunga)など複数の軍がともに行動していたと伝えられている。当時、アタワルパに随行した音楽と舞踊の一団が、現在のカヤンビの様子に似ていたと記録されている。
現代では、その伝統を象徴的に再現する行事として、インティ・ライミ(Inti Raymi, 太陽の祭り)において、カヤンベ、オタバロ、コタカチ、ピマンピロ(Pimanpiro)などの広場で「トマ(Toma)」という催しが行われる。カヤンビは「XUAN(シュアン)」と呼ばれる独特のリズムを持ち、このリズムはスペインによる征服後に「フアン(Juan)」と呼ばれ、さらにキリスト教の影響で「サン・フアニト(San Juanito)」と名を変えた。
「XUAN」という名称は、伝統的な踊り「アルチコス(Aruchicos)」の足並みが「シュアン…シュアン…」と揃うリズムに由来しており、今日でもカヤンビ族のサン・フアニートとしてその伝統が受け継がれている。
ナタブエラ(Pueblo Indígena Natabuela)
インバブラ県のアントニオ・アンテ(Antonio Ante)およびイバラに17のコミュニティに分かれて主に居住している。ナタブエラの原語はキチュア語であるが、残念ながら現在はこの言語を話しておらず、スペイン語を用いている。
キチュア語の喪失にもかかわらず、ナタブエラは伝統的な衣装、共同労働、自然に基づく医療実践など、多くの文化的特徴を維持している。伝統医療は「ジャンビ・ヤチャク(Jambi Yachak)」として知られ、自然療法に基づいた知識が現在も受け継がれている。また、ナタブエラは音楽と舞踊の伝統も保持しており、これらはコミュニティ内部だけでなく、国内および国際的にも発信されている。ナタブエラの文化は今なお生きており、その多様性と豊かさを表現し続けている。
ナタブエラはシエラ地方の他の民族と同様、スペイン人の到来により土地を奪われ、その状況は共和国時代を通じて続いた。彼らはアナフォ農園(Hacienda Anafo)の土地分割を通じて土地を取得した。この農園では多くの世代にわたり小作人として働いてきたため、各自に小さな土地が与えられた。だが、その土地は相続による分割が進み、経済状況の深刻な悪化を招いている。彼らには共同の土地はなく、所有する土地の面積は500平方メートルを超えない。ナタブエラは歴史を通じて農園の小作人、イバラからキトを結ぶ道路の運搬人(arriero)、および鉄道建設の作業員として働いてきた。
ナタブエラにおいて最も権威ある組織は「アルカルデ評議会(Consejo de Alcaldes)」であり、これは各コミュニティの長老たちによって構成される助言機関である。その次に位置する権威は、「プエブロの総督(Gobernador del Pueblo)」であり、一般には「カシケ(Cacique)」と呼ばれている。組織の最小単位は「コミュニティ(comunidad)」で、そこでは「カビルド」または「コミュニティ代表(Presidente)」が代表を務める。これらの代表者は、地域住民の間で得た尊敬に基づき、住民によって選出される。
ナタブエラの経済は主に農業、木工工芸品の制作、刺繍された衣類の製造に基づいている。他にも、男性による左官業、女性による小規模商業活動、さらに小動物の飼育なども行われている。また、コミュニティの利益のために「ミンガ」と呼ばれる共同作業が行われる。ミンガとは、労働の祝祭であり、道路や灌漑用水路の建設、収穫や播種の際の相互扶助、家屋の建設、結婚準備など、様々な場面で実施される。このようなミンガには、ナタブエラに特有の連帯精神が色濃く表れている。
女性は大きな白いシャツを着用し、黒のアナコ(巻きスカート)を1本の帯で締める。頭と背中には白いファチャリナ(fachalina, 肩掛け布)を纏い、金色のネックレスや多数の「ワルカ(hualcas)」を首にかける。髪は三つ編みにし、淡色のビンチャ(髪飾り, bincha)を使って結ぶ。耳には肩に届くほどの大きな銀のイヤリングをつけ、足元には黒いアルパルガタを履く。手首には赤いマニージャ(manillas、ブレスレット)を装飾する。
男性は袖なしの白シャツとゆったりとしたズボンを着用する。腰には太く織られたウール製の紐を巻き、片側に房飾り(ボンボン)を垂らす。白い帽子をかぶり、赤い紐で装飾する。赤いポンチョを身にまとい、そこには緑色を中心とした複数の色のストライプが縫い付けられている。足元にはカブヤ(cabuya, ケナフ繊維)のアルパルガタを履く。
オタバロ(Pueblo Indígena Otavalo)
オタバロは、先住民ネーションであるキチュアに属し、その起源は古代カランキ(Caranqui)にさかのぼる。母語はキチュア語であり、スペイン語は第二言語として使用されている。インバブラ県の広範囲に居住しているが、その中でもインバブラ火山(Volcán Imbabura)のふもとオタバロ、コタカチ(Cotacachi)、イバラ、アントニオ・アンテといったカントンに集中している。彼らの祖先の領土は、現在のエクアドル北部アンデス地方、インバブラ県のオタバロ郡(Cantón Otavalo)に位置している。オタバロの人々の主な経済活動は商業および手工芸であり、とりわけ織物の生産に特化している。オタバロが制作する織物製品の大半は国外市場向けに輸出されており、一部が国内市場に流通している。
オタバロは他のキチュワのプエブロと同様に、コミュニティを基盤とする社会組織を形成している。各コミュニティは一夫一妻制の家族(familia monogámica)を基本単位とし、結婚形態にはカトリック婚や自由結婚、国家が認めた契約結婚が存在する。コミュニティは土地の権利や手工芸・商業生産の保護を軸に編成され、都市型・農村型の第一次組織として機能している。これらの第一次組織は連携して第二次組織を形成し、代表的なものにインバブラ先住民農民連盟(Federación Indígena y Campesina de Imbabura:FISI)やコタカチ農民組織連合(Unión de Organizaciones Campesinas de Cotacachi:UNORCAC)がある。さらに、これらの第二次組織は地域・全国レベルの先住民連合組織であるECUARUNARIやFENOCINに所属している。
オタバロの人々の経済は主に商業に依存しており、国内外での手工芸品の販売、音楽活動、観光業が中心である。農業も行っているが、その割合は比較的小さい。陶器制作と言えばリンコナーダ(Rinconada)、籠細工と言えばルミパンバ(Rumipamba)などといった名産地もある。これらは特に注目される手工芸品である。
商人としての長い伝統を持つオタバロ族は、かつては「ミンダラエス(mindaláes)」と呼ばれた商人たちが、首長(カシケ)の統制下で活動し、金や毛織物(mantas)、白骨のビーズ(chaquira)によって貢納を行っていた。また、織物職人としての特徴も強い。多くの先住民族が織物の知識を持つものの自給自足のために生産していたのに対し、オタバロは市場を中心に織物を主要な収入源として発展させている。
伝統的にオタバロの男性は、綿のシャツと膝下までのゆったりとしたズボンを着用する。その上に、濃紺の厚手のウール製ポンチョを羽織り、広いつばのフェルト帽を編み込んだ一本の三つ編みの上からかぶる。足元は、布製のサンダル(縄の底付き)を履く。女性の場合は額に巻きつけたショールの上に、刺繍入りの白いブラウスを着る。手織りの帯で締めた2枚重ねのウール製スカートを腰に巻きつける。髪は一本の三つ編みにして、マントで覆うのが一般的である。
オタバロは、人生のあらゆる側面に意味を与える独自の宇宙観(cosmovisión)を持っている。この宇宙観では、宇宙・大地・人間(Pachamama=大地の母、Allpamama=大地、Runa=人間)との調和的な関係が重視されており、光と闇、男と女などの二項対立の概念も重要な位置を占めている。彼らのアンデス的宇宙観の一環として、山々や湖との神秘的なつながりを保っている。たとえば、インバブラ山(Taita Imbabura)やコタカチ山(Mama Cotacachi)は信仰の対象であり、クイコチャ(Cuicocha)湖やペグチェの滝(Cascada de Peguche)などの水場は、浄化の儀式に用いられる神聖な場所である。
チブレオ(Pueblo Indígena Chibuleo)
チブレオは、エクアドル中部、中央アンデス山脈(シエラ中央)に位置する先住民で、トゥングラワ県の南西部に居住している。行政的にはアンバト郡(Ambato)のフアン・ベニグノ・ベラ教区(Parroquia Juan Benigno Vela)に所在する。アンバト市からグアランダ方面へ約18キロメートルの地点に位置している。チブレオは7つのコミュニティから組織されており、母語はキチュア語である。7つのコミュニティとは以下の通りである:
サン・フランシスコ(San Francisco)、サン・ルイス(San Luis)、サン・アルフォンソ(San Alfonso)、サン・ペドロ(San Pedro)、チャカプンゴ(Chacapungo)、サン・ミゲル(San Miguel)、パタロ・アルト(Pataló Alto)
母語はキチュア語である。伝統的な音楽文化も豊かであり、ピングジョ(pingullos)、ロンダドレス(rondadores)、ワンカス(huancas)、ボチナ(bocina)などの民族楽器を用いて歌い踊る習慣が受け
主な経済活動は農業であり、ジャガイモ、メジョコ(melloco)、オオムギ、トウモロコシ、野菜などを栽培している。作物は自給用としてだけでなく、地域内の市場でも販売されている。メジョコは「アンデスの根菜」「ウルコ(学名:Ullucus tuberosus)」などと訳される場合がある。ジャガイモに似た見た目だが、粘り気があり、煮物などに使われる。特にエクアドルやペルーの高地で重要な作物とされている。その他経済活動としては刺繍入りブラウス、シグラ(編みバッグ)、ポンチョ、陶器などの手工芸品の製作にも取り組んでいる。
また、畜産も重要な生計手段であり、主に牛(ganado vacuno)と馬(ganado caballar)の飼育が行われている。さらに、羊、豚、鶏、モルモット(cuye)、ウサギなどの家畜も比較的小規模に飼育されており、これらもまた自家消費および県内市場への販売に供されている。加えて、刺繍入りのブラウス(blusa bordada)、シグラス(shigra)、白地に二色の縞模様をもつリボン付きのショール(rebozo)、ポンチョ、陶器などの手工芸品も生産されており、県内市場のみならず国内および国際市場にも流通している。
近年では、チブレオ相互文化市場(Mercado Intercultural del Pueblo de Chibuleo)が新たに建設され、農産物・畜産物・手工芸品の販売拠点として機能している。この施設は、エクアドル開発銀行(BDE B.P.)の支援により約290万ドルをかけて整備されたもので、敷地面積は13,482.51平方メートル、280の出店スペースを有している。
チブレオの政治構造は、コミュニティ総会(Asamblea Comunitaria)を最高決定機関とし、その下に人民評議会(Consejo de Gobierno del Pueblo)、コミュニティ評議会(Cabildo Comunitario)、調整評議会(Consejo de Coordinación)、および各種協会・協同組合の指導部(Directivas de asociaciones y cooperativas)が組織されている。すべての重要な決定や議論は、コミュニティ評議会によって招集される通常または臨時の総会において、民主的な手続きに基づいて行われる。こうした政治・社会的組織は、チブレオの自治的な意思決定と団結を支える基盤となっている。
また、チブレオはトゥングラワ先住民運動(Movimiento Indígena de Tungurahua:MIT)に組織されており、地域内外における先住民の権利擁護や文化維持のための活動を行っている。「チブレオ」という名称は、かつてこの地に自生していた植物「チブ(Chibu)」に由来するとされている。チブレオの人々は、トゥングラワ県におけるパンサレオ(Panzaleo)文化の子孫であると考えられている。
男性の衣装は、縞模様の赤いポンチョ、白いシャツとズボンを基本とする。女性は黒いバジェタ(bayeta, 厚手の布地)、白い短袖の刺繍ブラウス、黒いバジェタ生地(bayeta)のアナコに刺繍の縁取りが施された衣装を着用し、腰にはカラフルな帯(fajaまたはchumpi)を巻く。白い帽子やトゥプと呼ばれる金属製のピン2本、赤い珊瑚のイヤリング、金色のビーズでできた金属製ネックレスなども身につける。
キサピンチャ(Pueblo Indígena Kisapincha)
キサピンチャはエクアドル中部のアンデス山脈地帯、トゥングラウア県に居住する先住民族であり、アンバト、モチャ(Mocha)、ペリレオ(Pelileo)といったカントンに分布している。母語はキチュア語で、第二言語はスペイン語である。地域住民の大多数がバイリンガルである。
キサピンチャの社会組織は、他のキチュア系民族と同様に、「コムナ(comuna)」と呼ばれる家族単位の共同体を基盤として構成されている。各コムナには、地域の代表機関として「カビルド」が設置されており、地域の運営や代表の選出などを担っている。最高意思決定機関は「コミュニティ総会(Asamblea Comunitaria)」であり、地域の重要事項や施策についてはこの総会において民主的に協議・決定される。このような仕組みにより、住民は主体的に地域の運営に関与している。
加えて、キサピンチャの内部には多様な社会組織が存在しており、たとえば協会(asociaciones)、協同組合(cooperativas)、スポーツクラブ(clubes deportivos)、水道組合(juntas de agua)、さらには手工芸や音楽に関するグループ(grupos artesanales y musicales)などが活動している。これらの基礎組織は、さらに上位の連合体へと結集しており、たとえば「キサピンチャ農村先住民族組織連合(Corporación de Organizaciones Campesinas Indígenas de Kisapincha:COCIQ)」や「ピラグイン農村組織連合(Corporación de Organizaciones Campesinas de Pilahuín:COCAP)」がそれにあたる。これらの団体は、地域全体の利害調整や政治的代表を担っており、トゥングラウア先住民運動(MIT)に所属している。
さらにMITは、地域組織ECUARUNARIを通じて、国家レベルの先住民連合であるCONAIEに加盟しており、キサピンチャは地方から国家レベルに至るまで、複層的な組織ネットワークの中で自らの権利と文化を守り続けている。
キサピンチャは、主として農業および畜産業を営んでいる。主要な農作物には、複数の品種のジャガイモ、タマネギ、ニンニク、ソラマメ(habas)、メジョコが含まれる。農業においては、「作物の組み合わせ栽培(asociación)」と「輪作(rotación de cultivos)」という二つのシステムを採用している。前者は自家消費用に、後者は県内市場向けの販売を目的として行われている。これらの農業活動は、家畜の飼育(活動)によって補完されており、畜産業は主に地域の祭礼時における内部消費および地域市場での販売に充てられている。また、他の多くの先住民族と同様に、キサピンチャも「ミンガ(minga)」と呼ばれる共同作業を実践しており、共同体の発展における根幹となっている文化的実践である。
キサピンチャの伝統衣装は、性別によって明確に区別されている。男性は、濃色のズボンに加えて、黒い縞模様の入った赤いポンチョを着用する。これは、地域の象徴的な装いとされており、儀礼や特別な場面でも見られる。一方、女性は白の刺繍入りブラウスと黒いスカートを身につけており、装飾性と機能性を兼ね備えた伝統衣装として、現在も多くの場面で着用されている。
キサピンチャの社会には、相互扶助(ayuda mutua)を基盤とした伝統的な労働慣行が根強く残っている。その代表的なものが「プレスタマノス(prestamanos)」と呼ばれる制度である。これは、家の建設や農作業など、大きな労力を要する際に、親族や近隣住民、仲間が無償で協力し合う慣習であり、「ミンガ」という共同作業の形式として現代にも受け継がれている。こうした互助精神は、農作業のみならず、祭礼や婚礼などの社会的行事にも発揮される。たとえば、「ホチャ(jocha)」という制度では、祝い事を行う家庭に対して、親戚や隣人が食料や飲み物などの物資を提供し、共同体全体で祝賀を支える。この慣習は、先住民族社会における互酬性(reciprocidad)の具体的な表現である。婚礼の儀式においては、祖先の伝統に由来する特定の登場人物が重要な役割を果たす。たとえば、「マシャ(mashas)」は婚礼の場で料理や食事の配膳を補助する者であり、「カチュナス(cachunas)」はチチャ(とうもろこしの発酵飲料)を準備し、来賓をもてなす役割を担っている。
また、キサピンチャの文化には、スペイン植民地時代に起源を持つカトリック信仰の要素が深く根付いており、現在でも多くの人々がカトリック教会の暦に基づいた祭礼を祝っている。近年では、地域によっては福音派の信仰も見られるようになっており、伝統と外来宗教が複合的に共存している点も特徴の一つである。
サラサカ(Pueblo Indígena Salasaka)
トゥングラフア県、具体的にはアンバト市の東側に位置している。彼らの居住地は分散型の集落であり、サン・ペドロ・デ・ペリレオ(Cantón San Pedro de Pelileo)に属するガルシア・モレノ(parroquia García Moreno)およびサラサカ(parroquia Salasaca)の二つの教区にまたがっている。さらに、サンガイ国立公園(Parque Nacional Sangay)の一部もサラサカの領域に含まれており、その中には複数のコミュニティが存在している。母語はキチュア語、第二言語はスペイン語である。
サラサカの組織の基盤はコムナ(comuna)であり、最高権力は総会に置かれている。総会の下にカビルドが存在し、コミュニティの行政を担う。市長(alcalde)の地位はコミュニティ内で重要な役割を果たす。また、コミュニティのための労働「ミンガ」では集団的な作業が行われる。意思決定は総会にて民主的に実施されている。住民の健康は、ヤチャグ(Yachag, 霊的指導者)、伝統的な産婆、マッサージ師、そして共同体全体に伝承される薬草知識に支えられている。
サラサカ族の経済は主に農業に基づいており、生産物は自家消費のみならず国内市場へも供給されている。彼らの居住地域には複数の異なるエコロジカルゾーン(piso ecológico)が存在し、それぞれの条件を活かして多様な作物が栽培されている。
サラサカは農業を主体とする人々であり、生産物は自家消費だけでなく国内市場にも向けられている。彼らの領土には異なるエコロジカルゾーン(piso ecológico)が存在しており、それに基づき作物を植え付け、家畜を行っている。
[エコロジカルゾーン1]
このゾーンでは、トウモロコシ(maíz)、小麦(trigo)、大麦(cebada)、インゲン豆(fríjol)、ジャガイモ(papas)、キャベツ(col)、レタス(lechuga)、ビーツ(remolacha)、カリフラワー(coliflor)、リンゴ(manzana)、ナシ(peras)、モモ(duraznos)、カプリー(capulí)などが栽培されている。特にチョチョ(chochos)、各種野菜、カプリー(capulí)は市場で販売されており、食料や衣服の補完的資源となっている。
畜産面では、羊と牛が最も一般的な動物である。乳製品の生産は限定的であり、主に地域のメスティソ(mestizos)に供給している。灌漑設備が整えば、質の高い牧草地やアルファルファの生産が可能であり、これらは地方市場に向けられている。
加えて、サラサカは伝統的な織物技術を持ち、地域固有のデザインを用いたタペストリー(tapice)を制作している。これらは一部の人口にとって重要な職業であり、国内外の市場で取引されている。中には自らの工房を小規模企業に発展させた職人も存在している。
[エコロジカルゾーン2]
自然植生はパラモ(páramo)であり、そこでは闘牛用の雄牛(toros bravos)が飼育されている。これらの雄牛は地域や他県の祭典に貸し出されている。また、ジャガイモの栽培も行われている。女性は家事に加え、牛やモルモット、ウサギなどの小動物の世話も担当している。人口圧力により、サラサカは農業以外の生産戦略を模索せざるを得なくなっている。
組織はコムナと地域集会によって構成される。男性はつばの広い帽子、白いシャツとズボン、白と黒のポンチョを着用する。女性は帽子、濃色のブラウス、アナコ、ファチャリナ(fachalina, 肩掛け)を身に着ける。
男性の衣装は、圧縮ウールに粉を混ぜて作られたつば広帽子(sombrero de ala ancha)に、上着としてクシュマ(cushma)またはシャツ(camisa)を着用し、白いリネン製のズボン(pantalón de liencillo)、アルパルガタ(alpargatas、草履に似た履物)を履く。衣装の補完として、白色のポンチョとその上に黒色のポンチョを重ねる。これらは細い布(paño)で作られている。また、ライラック色の「メディア・バラ(media vara)」というスカーフを身に付けている。
女性は似た帽子をかぶり、濃い色のブラウスとネックレスを着用する。背中にはファチャリナ(fachalina)または白地に黒い縞模様のバリエディア(varimedia)が首の下で留め具トゥポによって固定されている。スカート(anaco)は濃色の布で作られている。
彼らの祭り有名で、スペインによる征服の結果として生まれた先住民文化との融合(シンクレティズム、sincretismo)を証明するものである。これらの祭りでは、太陽への神話的な感謝の念が今なお記憶されている。踊り手は、彼らの宗教的表現の中でも最も重要なものである。踊り手たちは、太陽がもたらす穀物に対する感謝の意を込めて踊る役割を担っている。
過去数年間にわたり、ガラパゴス諸島(Islas Galápagos)に居住するサラサカのコミュニティは、ガラパゴスのサン・クリストバル(San Cristóbal)およびサンタ・クルス(Santa Cruz)でインティ・ライミ(Inti Raymi)の祭典を開催してきた。この祭典は、異文化共生(interculturalidad)の文脈において、彼らのアイデンティティを形成する慣習と伝統を示す目的で行われている。
カニャリ(Pueblo Indígena Kañari)
カニャリは、エクアドル南部の山岳地帯、具体的にはアスアイ県およびカニャル県に居住している先住民であり、その文化的・社会的構造を現在も色濃く保っている。母語はキチュア語であり、スペイン語は第二言語として使用されている。
生活は、自然との共生を基盤としており、共同体内では自然療法(medicina natural)が今なお実践されている。信仰、慣習、儀礼は現在も多くの村落で継承されており、文化的アイデンティティの柱となっている。
カニャリの社会構造は、家族単位を基盤とし、その集合体であるコミュニティ(comunidad)が自治の基本単位となっている。各コミュニティにおける最高意思決定機関は「地域総会(Asamblea Comunitaria)」で、ここではインフラの整備、文化行事の企画、社会的課題への対応などが議論・決定される。一方教区や県といった上位レベルでは、大会(Congreso)、指導評議会(Consejo Directivo)、執行評議会(Consejo Ejecutivo)といった第2次組織が形成され、広域的な代表機能や政策、祭礼、文化継承などを監督・実施に携わっている。このような組織構造を通じて、カニャリは自己決定と自治の原則に基づき、文化・経済・社会の自立を保ってきた。
カニャリの経済は、家族単位の自給的な伝統経済と、地域市場および県内市場との関係をもつ商業的経済活動の両面を備えている。農業では、トウモロコシ、大麦、各種野菜や穀類のほか、リニョントマト(tomate riñón)、タマリロ(tomate de árbol)、ババコ(babaco)、ピーマンといった多様な作物が栽培されている。これらは主に自家消費用であるが、一部は地元市場に流通している。また、酪農および肉牛の飼育も盛んであり、その生産物も家族の食糧源であると同時に販売収入の手段となっている。加えて、豚や羊の飼育も一部地域で行われている。小動物の飼育も重要な活動であり、クイやウサギは、地域市場において販売される商品となっている。
近年では、多くのカニャリの家庭が国外からの送金に依存している。アメリカ合衆国やスペインへの出稼ぎが盛んであり、家族の約60%がこうした送金を主要な収入源としている。ほとんどの家庭で一人は国外に在住しているとされ、この移住現象は家族構造や共同体組織に深刻な影響を及ぼしている。
男性はポンチョと羊毛刺繍のズボン(pantalón bordado con lana de oveja)を着用し、女性はフェルト製の帽子(sombrero de paño)、刺繍入りのブラウス(blusa bordada)、スカート(pollera)、ワシュカ(washka, 首飾り)、刺繍入りのブラウスを身に着ける。しかし、こうした伝統衣装を日常的に着用しているのは全体の約40%にとどまっており、都市化や近代化の影響が衣服の実践にも表れている。
都市文化の影響、とりわけ若年層においては顕著であるものの、カニャリのコミュニティは独自の慣習と信仰を保持し続けている。農耕においては、月の周期に基づく種まきの知識、自然と大地への敬意、年長者への尊敬などが今なお大切にされており、世代を越えて伝承されている。とはいえ、都市文化の浸透によりこれらの慣習が脅かされている現実もあり、カニャリ族の指導層は文化的再構築と継承のための戦略を推進している。
信仰の側面では、口承による神話や伝説が文化の根幹をなしている。代表的なものとして、「インコの伝説(la leyenda de guacamayas)」、「小さな蛇の伝説(la leyenda de culebritas)」、「箱の伝説(la leyenda de los cajones)」、「騎士の伝説(la leyenda del jinete)」などが語り継がれている。
ワランカ(Pueblo Indígena Waranka)
ワランカはエクアドルのボリバル県中央部に居住し、標高約2500メートルから最高で3500メートルの高地に位置するグアランダ(Guaranda)、チャンボ(Chambo)、サン・ミゲル(San Miguel)、カルマ(Caluma)といったカントンに居住している。母語はキチュア語、第二言語はスペイン語である。
主な経済活動は農業、畜産、手工芸である。加えて、観光業を活用した商業活動も盛んである。特にグアランダのカーニバル(Carnaval de Guaranda)は重要な観光イベントであり、多数の国内外観光客が訪れてこの祭えりを楽しんでいる。
ワランカ族の社会組織は家族を基盤とし、核家族が中心であるものの拡大家族も存在する。居住形態はコミュニティ内で半集中型や分散型が多く、都市部や教区中心地では集中型かつ線状的な組織形態をとる。コミュニティは教区レベルや県レベルの第2次組織を形成し、これらが連合体(federaciones)として県全体の組織を構築している。社会組織の基礎は家族単位であり、最高権威は地域集会(Asamblea Comunal)で、その前にカビルド(Cabildo)が配置される。
最も多くのコミュニティを擁する組織はボリバル農民連合(Federación Campesina de Bolívar – Bolívar Runacunapac Riccharimui:FECAB-BRUNARI)であり、同連合はECUARUNARI及びCONAIEに加盟している。
男性は腰織りの織機で織られたポンチョと濃色のズボンを着用し、女性はプリーツ入りの幅広いアナコ、白いブラウス、トゥプ(tupu)で留めたショール、イヤリング、首飾り、白い帽子を身に着ける。トゥプは、アンデス地域の先住民女性が伝統的に用いる装飾的な留め具で、主にショールやマンタ(肩掛け布)を固定するために使用される。形状は、長いピンの先に円形または楕円形の装飾が施されたもので、素材には銀、銅、真鍮、さらには骨や木などが用いられる。装飾部分には細かな彫刻や模様が刻まれるが、地域や民族ごとの美的感覚や社会的地位を反映している。つまり実用品としての機能性を超えて、文化的・象徴的な意味を持つ重要な装身具といえる。身分やアイデンティティ、歴史的記憶を表す象徴でもあり、祭礼や儀式など、特別な場面で身につけられることも多く、今日では伝統工芸としても注目されている。
ワランカの伝統的な地域、特にシミアトゥグ(Simiatug)などでは、タピアル(tapial, 土壁)やアドベ(adobe, 泥レンガ)を用いて建てられた住居がみて取れる。屋根は藁またはトタン(zinc)が用いられる場合が多いが、一部では混合材料で建設されることもある。一般的に、一家族は二軒の家を所有しており、一軒目は料理作業に使い、二軒目は寝室および倉庫として利用されている。
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参考資料:
1. Estos son los 10 pueblos indígenas que se levantan contra el Gobierno ¿Qué los distingue?
2. Pueblo indígena Waranka
3. Pueblo indígena de Chibuleo
4. Pueblo indígena Kañari
5. Pueblo indígena de Salasaka
6. Pueblo indígena Karanki
7. Pueblo indígena Natabuela
8. Pueblo indígena de Kisapincha
9. Pueblo indígena Otavalo
10. COLECTIVO DE GEOGRAFÍA CRÍTICA DE ECUADOR
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