[ホセ・プロアーニョのコラム] コトパクシ:正義は紙からではなく、大地から生まれる

(Photo:Evo Morales / X)

起きたことは、単なるニュースではない。それは、境界線であり、鏡であり、そして亀裂である。現代という名のExcelファイルには収まりきらない、もう一つの正義の形が存在するという、生きた記憶のような出来事である。

2025年8月18日から21日にかけて、エクアドルのコトパクシ(Cotopaxi)で起きたことは、単なる警察と地域住民の衝突ではない。それは、動きの中にある先住民の正義の行使であり、自己決定の権利の実践であり、祖先から受け継がれた大地の上に編み込まれた主権的儀式であった。法とは、インクだけで書かれるものではなく、灰、水、そして風によっても刻まれるものなのだ。コトパクシは燃える鏡となった。国家が人々を守らないとき、コミュニティは正義を「代行」するのではなく、それを実行するのである。

 

  1. 発端となった出来事:告発と暗殺未遂

    2025年8月18日(月)、レオニダス・イサ(Leonidas Iza)は、暗殺未遂の疑いがあるとして告発を行った。彼の証言によれば、複数の警察官が彼の自宅周辺で尾行・録画し、さらには轢きかけるという行為に及んだという。彼が住むのはコトパクシ県サン・イグナシオ(San Ignacio)共同体内である。

    この事態に対し、先住民コミュニティは即座に行動を起こした。3名の警察官――カブレラ下士官カルロス・ウビディア(Carlos Uvidia)、一等兵ブライアン・ディアス(Bryan Díaz)、警官ケビン・グアマン(Kevin Guamán)――を拘束し、携帯電話と身分証明書を押収のうえ、コトパクシ北部農村組織連合(Unión de Organizaciones Campesinas del Norte de Cotopaxi:UNOCANC)が組織した先住民裁判に連行した。

    レオニダス・イサは、エクアドル先住民連盟(Confederación de Nacionalidades Indígenas del Ecuador: CONAIE)の元代表であり、先住民運動における重要人物である。彼は国家警察(Policía Nacional)の構成員に、自らのコミュニティ内で追跡され、撮影され、轢かれそうになったと主張した。その脅威は抽象的なものではなく、領土的かつ物理的に現実化した、否定し得ない暴力であった。

    先住民司法の正当性は、エクアドル憲法第171条に由来する。そこでは、領土の侵害があった場合に、先住民の司法権が発動されると明記されている。

  2. コミュニティによる対応:拘束と祖先の法廷

    2025年8月19日(火)、最初のコミュニティ聴聞が開催された。裁判所の構成、調査の開始、警察官の携帯電話から抽出された約3,000〜5,000件のチャットおよび文書の分析、そして警察官の証言との照合が行われた。

    8月21日(木)には、第3回目のコミュニティ聴聞が実施され、先住民の伝統に根ざした象徴的儀式が組み込まれた。すなわち、ナウィンチナ(nawinchina:浄化)、アリチナ(allichina:事実の提示)、およびパカタチナ・クナク(pakatachina-kunak:判決の読み上げと承認)である。これらの行為を通じて、彼らは祖先から受け継いだ主権と司法の在り方を改めて確認した。

    暴力の代わりにあったのは、コミュニティの構造である。コトパクシ北部農村組織連合は先住民裁判所を設置し、拘束された3名の警察官に対し、調査、チャット内容の精査、証言の突き合わせ、そして癒やしの儀式を含む一連の過程を踏ませた。そこにあったのは拷問ではなく、浄化、真実の提示、そして解決であった。

    これは「並行した司法」ではない。これは、国家の不在に直面しても、尊厳、関係性、そして節度をもって行使された祖先の正義そのものである。

  3. 判決:行為としての主権

    この聴聞において、警察官たちは「無許可で領土に侵入した」として有罪とされ、公の場で謝罪すること、および自分たちがレオニダス・イサに誘拐されたわけではないと明言することを求められた。

    一方、レオニダス・イサはその謝罪を受け入れ、3名の警察官は「無事かつ安全に」解放された。

  4. 通常司法との衝突

    国家の司法は、遅く、そして反応的であった。これに対し、ヘイビアス・コーパス(habeas corpus)の申し立てという形で応答した。ここで衝突したのは、二つの異なる法のパラダイムである――一つは国家の中心から記述されたもの、もう一つは大地から織り上げられたものである。

    先住民による祖先的な司法手続きが進行していたその最中、国家警察は拘束された警察官の解放を求めてヘイビアス・コーパスを提出した。これにより、通常司法と先住民司法との間に深い緊張関係が生じた。

    先住民運動側は、この申し立てを「悪意に満ち、無謀なものであり、両司法制度間の対話を脅かすもの」と非難した。

  5. 先住民司法とは、自己決定権の行使である

    自己決定なしに語られる先住民司法は、単なる民族的装飾にすぎない。しかし、コトパクシやその他多くの地域で問題となっているのは、単に「裁くことを許されるかどうか」ではない。問われているのは、どう生きるか、どう癒やすか、どう統治するか、どう命を守るか――それらを自らの価値観に基づいて決定する権利そのものである。

    先住民司法は、国家司法制度の中に取り込まれた「文化的資源」などではない。それは、先住民族が集団として有する自己決定権の具体的な行使である。この権利は、エクアドル憲法(第57条および第171条)によって保障されているだけでなく、国際労働機関(International Labour Organization:ILO)第169号条約や「先住民族の権利に関する国連宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples :UNDRIP)」といった国際文書によっても明確に認められている。

    あるコミュニティが、自らの領土内に入ってきた外部の者を拘束し、独自の規範に従って調査・裁定・解決を行うとき、それは国家への反抗ではない。共同体の主権を行使しているのである。

    先住民司法は、単なる手続きではない。それは、領土的・知的・精神的・政治的な自己決定の、生きた表現なのである。

    エクアドル憲法第171条により保障されている先住民の司法権は、国家がその決定を「承認」したり「正当化」したりすることを前提としない。その根拠は、国家ではなく、大地、共同体、そして祖先から受け継がれた紛争解決・癒やし・回復の独自の権利にある。

    したがって、先住民司法は、通常司法によって従属させられたり、介入されたり、正統性を否定されたりするべきではない。そのような行為は、多民族国家性および自己決定権という、エクアドルの憲法秩序に明記された原則を侵害することになる。

    コトパクシで起きたことは、単なる裁判ではない。それは、司法的主権の政治的な行使であり、儀式的・象徴的・関係的な場において示された自由な自己決定の実践であった。

  6. エクアドルにおける異文化的・多民族的再生のための種子

    ・先住民司法を「代替」ではなく、憲法上の権利として認めること

    憲法は許可を与えるのではない。権利を認めるのである。先住民司法は、存在の許可を求めているのではない。すでに存在しているのだ。

    ・祖先的正義の有効性を可視化すること

    今回のプロセスは迅速で、象徴的で、非暴力的であり、人間関係の修復を果たした。腐敗と遅延にまみれた通常の司法制度と比べると、コミュニティの正義はその対比によって際立って見える。

    ・生きた法的記憶としての記録化

    こうした事例を記録・文書化することは、先住民司法の権利を国内外で擁護する上での重要な法的基盤を強化するものである。

    ・異文化間連携のための実効的な制度づくりを求めること

    形式的な承認だけでは不十分である。現実に機能する手続き・運用体制が必要だ。たとえば、先住民の領域内で事件が発生した場合、通常司法は祖先的プロセスを尊重すべきである。

    ・領土から語ること

    言葉には力がある。それは単に「違法拘束」や「誘拐」ではない。それは主権の行使である。
    物語の枠組みが変われば、「犯罪」は正当な行為へと読み替えられる。

    今回の行為には、キチュア(Kichwa)の世界観に根ざした言葉と概念が用いられた。そこには、何世代にもわたる記憶が宿っており、生きた領土の声が込められている。

    この領土は、祖先の記憶だけでなく、聖なる土地に宿る霊的存在たちの記憶によっても満たされている。

  7. 起きたことは、単なる司法と関係の行為で終わる出来事ではなく、先住民族の自由な自己決定に向けた種がまかれたものである

    コトパクシは孤立した事件ではなかった。それは、記憶と力の火山の歌であった。
    国家が依然として先住民族の知識体系を管理・統制の論理に従わせようとする時代において、これらの聴聞で起きたことは強烈な警告であった。すなわち、正義とは単に行動を規制するものではなく、関係性を修復するものであるということだ。

 

国家が見放したとき、法はどこにあるのか?
法が届かないとき、誰が守るのか?
コトパクシは答えた。それは共同体である。

#ヘイビアス・コーパス

 

参考資料:

1. COTOPAXI: LA JUSTICIA NACE DESDE LA TIERRA Y NO DESDE EL PAPEL – José Proaño

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