※ネタバレ注意
バチカンで行われる新しいローマ教皇の選出方法を描いた映画『教皇選挙(Conclave)』は、歴史的な規則やコンクラーベに関わる独特の儀式や名称などを驚くほど現実に忠実に描いている。これは、多くのハリウッドやヨーロッパの映画作品がバチカンやローマ教皇について知識不足で描くのとは対照的である。映画業界は長らくバチカンに特別な関心を寄せてきた。ナンニ・モレッティ(Nanni Moretti)監督の『ローマ法王の休日(We Have a Pope)』(2011年)やフェルナンド・メイレレス(Fernando Meirelles)監督の『2人のローマ教皇(The Two Popes )』(2019年)など、多少の創作を交えつつも興味深い作品が存在している。しかしながら今回の『教皇選挙』にも細部に誤りがあり、特に作品の質を損なうほどの重大な誤認も含まれている。
本作は全世界で1億ドルを超える興行収入を記録し、興行的にも明らかな成功を収めた。重厚な大人向けドラマが視聴ランキングに名を連ねるのは稀だが、時に意外なヒット作が生まれることもある。本作は、映画『西部戦線異状なし』で知られるドイツ人監督エドワード・ベルガー(Edward Berger)がメガホンを取り、ロバート・ハリス(Robert Harris)の同名小説を原作としている。物語は架空のローマ教皇の死去から始まり、その後の新教皇選出の過程を描いている。
『教皇選挙』における的確な描写
本作は、新教皇選出のプロセスを深く理解したうえで、非常に丁寧に描いている。また、教会運営に関する多くの細部においても、極めて正確である。たとえば、教皇の死去に伴う儀式——カメルレンゴ(枢機卿庁務長官)による死亡確認や、「漁師の指輪」の管理権の移行など——は、実際のカトリック教会の規範に則った描写となっている。「漁師の指輪」は本来、教皇の印章としての役割を果たしてきたものであり、教皇の死後には悪用を防ぐために破壊されることになっている。カメルレンゴは、教皇の死去直後、すなわち教会が「教皇の座が空位(Sede Vacante)」の状態に入った期間を管理する責任を担う人物である。
ラルフ・ファインズ(Ralph Fiennes)が演じる首席枢機卿についても、正確に描かれているようだ。その主な任務には、教皇の死を公式に発表することや、コンクラーベ期間中に日々のミサを執り行うことが含まれている。映画では描かれていないが、通常は前教皇の葬儀ミサも主宰する。実際、2002年から2005年まで枢機卿団長を務めたベネディクト16世(Benedicto XVI)は、ヨハネ・パウロ2世(Juan Pablo II)の葬儀を司式している。
実際のコンクラーベは、映画で描かれているとおり、システィーナ礼拝堂(Capilla Sixtina)で行われ、ミケランジェロの『最後の審判』の前で投票が実施される。なお、投票手順は、教皇ヨハネ・パウロ2世が1996年に定めた使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレギス(Universi Dominici Gregis)』に基づき、詳細に規定されている。
新教皇選出に関する投票は1日最大4回(午前2回・午後2回)実施され、各枢機卿はラテン語で祈りを捧げた後に投票する。3名の監督枢機卿が開票と票の読み上げを担当し、教皇に選出されるには、全体の3分の2以上の得票が必要である。なお、投票に参加できるのは、80歳未満の枢機卿に限られている。
また、映画では、キリスト教、特にカトリック教会における男尊女卑的な思想や家父長制的な姿勢も描かれている。たとえば、女性聖職者を認めているプロテスタント諸教会とは異なり、カトリック教会ではいまだに女性が司祭以上の聖職に就くことは許されていない。映画の中でも、女性が平然と不可視化されたり、搾取されたりする描写が見られ、この制度的な不平等が批判的に表現されている。
映画における最も重大な誤り
映画の冒頭で突如登場するのが、ヴィンセント・ベニテス(Vincent Benítez)という人物である。彼は、亡くなったばかりの教皇から1年前に「イン・ペクトーレ(in pectore)」によって枢機卿に任命され、さらにカブールの大司教にも任命されたと主張する。
「イン・ペクトーレ」(ラテン語で「胸の内に」の意)とは、安全保障上の理由などから任命された人物の名前を公にせず、教皇の胸の内に留めておくという特殊な形式であり、特にキリスト教徒が迫害されている地域などにおいて用いられる。通常、枢機卿への任命は教皇によって公表されるが、「イン・ペクトーレ」で任命された場合、その人物が正式な枢機卿として認められるためには、教皇の存命中にその任命が公にされる必要がある。
本作の重大な誤りはまさにこの点にある。もしその任命が教皇の死までに公表されなかった場合、その任命は自動的に無効となる。したがって、その人物は正式な枢機卿とはみなされず、教皇選挙における投票権も被選挙権も持たない。この点は物語の核心を支える前提を完全に否定してしまうものであり、映画における最も重大な歴史的誤りと言ってよい。
さらに、本作では、明確に男性とは言えない人物が教皇に選出されるという展開が描かれており、これも決定的な誤りである。映画では、インターセックスの人物が新教皇に選ばれるという設定になっている。
米国の神父カーター・グリフィン(P. Carter Griffin)が指摘するように、「カトリック教会の一貫した教えは、女性を司祭に叙階することはできない」というものであり、この立場は教皇ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世、そして現教皇フランシスコによっても明確に再確認されている。
インターセックスとは、生殖器、染色体、ホルモンなどのうち1つまたは複数の要素が、典型的な「男性」または「女性」の定義と一致しない、先天的な身体的状態の総称である。カトリック教会は、聖職者の形成および叙階において、明確で安定した性別認識を不可欠な要件としている。加えて、カトリック神学において司祭は、キリストの「花婿」として教会という「花嫁」に仕える存在とされており、この象徴的構造においても、女性(あるいはその認識が曖昧な人物)は司祭職に就くことができない。
カトリック信者たちによる批判
カトリック信者たちがこの映画に対して批判する大きなポイントの一つが、枢機卿団(コレジオ・カルディナリシオ)の描かれ方である。映画では、枢機卿たちはイデオロギー的な派閥に深く分断されており、教皇職を霊的指導者としてではなく、あたかも政治的なポストであるかのように扱っているように描かれている。
枢機卿たちは「自分たちの候補者」を推すために派閥を形成し、時には対立候補を貶めるような行動にまで出る。また、保守的で正統的な教義を支持する人物が、意図的に疎外されたり「敗北」させられるように描かれていると、専門家たちは指摘する。
スタンリー・トゥッチ(Stanley Tucci)演じるベルリーニ枢機卿(Cardenal Bellini)は、リベラルで進歩的な立場から教会改革を目指すグループのリーダーとして描かれている。一方で、セルジオ・カステリット(Sergio Castellitto)演じるテデスコ枢機卿(Cardenal Tedesco)は、伝統主義的立場に立ちながらも粗野で人種差別的な言動を見せる、否定的なキャラクターとして描かれる。また、ナイジェリア出身の厳格な枢機卿は、非嫡出子の存在が明らかになったことで、教皇候補から外されるという設定となっている。
カトリックメディア「EWTNニュース」のマシュー・バンソン(Matthew Bunson)は、コンクラーベにおいて本来主役となるべき「聖霊(スピリトゥス・サンクトゥス)」の存在が映画では全く言及されておらず、唯一霊的な深みを持った人物として描かれているヴィンセント・ベニテス枢機卿(Cardenal Vincent Benítez)も、制度的に教皇にはなれない設定になっていることを厳しく批判している。
バンソンはまた、同じくカトリック系のニュース機関「CNA(Catholic News Agency)」で以下のように語っている。
映画に登場する枢機卿たちは、凡庸で魅力に欠け、イデオロギーに偏っており、神学的・霊的な深みがまるで感じられない。私は実際に多くの枢機卿を知っているが、彼らはこの映画のような人物ではない。映画で描かれる議論や分裂は、現実のコンクラーベとは大きくかけ離れている。
さらに、米国ウィノナ=ロチェスター教区( Diócesis de Winona-Rochester)のロバート・バロン(Robert Barron)司教もこの映画に対し、世俗的メディアの視点やリベラルなイデオロギーに偏りすぎていると厳しく批判している。
この映画に描かれている教会のヒエラルキーは、野心、腐敗、そして自己中心的なエゴイズムの巣窟のようだ。保守派は極端な排外主義者として、リベラル派は自己陶酔的な操作者として描かれている。霊性や伝統的価値観への敬意がまったく感じられない。
他にもある細かい誤り
他にも、いくつか細かな誤りが映画には存在する。たとえば、衣装の描写である。枢機卿たちが着用する装束は、実際のものとは色や装飾が異なっており、第二バチカン公会議(Concilio Vaticano II)以降に定められた公式な装束とは一致していない。ただし、これは映画の衣装デザイナーであるリジー・クリストル(Lisy Christl)による、意図的な演出とされている。
また、教皇の正式な死亡確認には儀式が伴うがこの点も省略されている。実際には、カメルレンゴが教皇の洗礼名を3回呼びかけ、反応がないことを確認することで、その死が公式に認定される。この儀式は、教皇の私的礼拝堂で行われるのが通例である。
さらに、映画ではカメルレンゴの職務の一部を首席枢機卿が担っているように描かれているが、これは実際の制度とは異なる。
映画『教皇選挙』は予想外のヒットとなった。この傾向は、2025年4月21日に教皇フランシスコが死去したことでさらに顕著になった。ストリーミングプラットフォームでの視聴回数は、教皇の死去発表から数日で3倍に増加した。一方、信仰やカトリックの教義の観点から見ると、敬虔な信者からは好まれる作品とは言えない。なぜなら、本作は教会の最高権威者の選出を、構造的な権力の腐敗や陰謀による合意形成の手段として批判的に描いているからである。
他の映画作品等の情報はこちらから。
参考資料:
1. Los aciertos y el grave error histórico de ‘Cónclave’, la película sobre cómo funciona la elección de un nuevo Papa en el Vaticano
2. ‘Conclave’ fact vs. fiction: What does the hit movie get right and wrong?
作品情報:
名前: 教皇選挙(Conclave)
監督: Edward Berger
脚本: Peter Straughan(原作 Robert Harris)
制作国: United Kingdom、United States
製作会社:House Productionsほか
時間: 120 minutes
ジャンル:ミステリー/サスペンス/政治スリラー
※日本語吹き替えあり
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