映画:「ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~」を見て考えて、それでもヘイトを続けるのかを

「難民」とは、人種、宗教、国籍、政治的意見、または特定の社会集団に属していることを理由に、自国にとどまると迫害を受けるおそれがあるため、他国へ逃れ、国際的な保護を必要とする人々のことである。また、国際的または国内的な武力紛争や戦争から逃れて他国に避難してきた人々も「難民」に含まれる。さらに、紛争などによって住み慣れた家を追われながらも国境を越えず、国内にとどまって避難生活を送っている人々、すなわち「国内避難民」も、難民と同様に外部からの支援を必要とする人々である。

 

2021年、身長約3.5メートルの人形「アマル」が、プロジェクト『The Walk』を通じてその第一歩を踏み出した。「アマル」とはアラビア語で「希望」を意味し、この人形は9歳のシリア難民の少女を模してつくられたものである。彼女は、シリアをはじめとする多くの難民と同様に、自国を離れ、ヨーロッパを目指して旅をする。

この壮大なパフォーマンス・プロジェクトは、社会的責任を重視するアート団体「グッド・チャンス(Good Chance)」によって企画された。グッド・チャンスは、国際的かつ協働的で、地域に根ざしたパフォーマンス作品を手がけており、この旅もまた、政治的不安や環境危機によって増加する難民の現状に注目を集めるとともに、難民を受け入れる国々においてしばしば見られる敵対的な視線や対応に変化をもたらすことを目的としていた。

グッド・チャンスから「アマルを歓迎する創造的な方法を考案してほしい」との呼びかけを受け、ヨーロッパ各地の地域団体や芸術団体が連携し、アマルを迎え、もてなし、称え、交流するためのイベントを組織した。

 

アマルの旅は、決して前向きなものとは言いがたい。彼女には、故郷を離れざるを得ない理由がある。それどころか、彼女の故郷そのものが跡形もなく破壊され、もはや帰る場所すら存在しないと言ってよい状況にある。

しかし、アマルのような旅が特異なものであるかといえば、残念ながらそうではない。現在、世界では1億人以上が国内外で避難を余儀なくされ、難民としての生活を送っている。そのうち約4割が18歳未満の子どもである。戦争は、子どもたちから安心して生きる権利を奪い、親族や家族、友人を奪い、教育を受ける権利を奪い、さらには故郷までも奪ってしまう。彼らは、我々が「当たり前」のように享受している基本的な権利を持たぬまま、子ども時代を過ごしているのである。

 

戦争によってすべてを奪われ、自国から逃れざるを得なくなった人々が、安全に過ごすことのできる居場所を求めることは、果たして罪なのだろうか。それは本当に誤ったことなのだろうか。たとえ命からがら逃げ延びることができたとしても、彼らが安全な状況に置かれているとは言いがたい。事実、中東や中央ヨーロッパを横断する過程においても、彼らの健康と安全は常に深刻な危機にさらされている。

外国人嫌悪やイスラム教に対する偏見に基づく暴力や無理解、そして難民をあたかも罪人であるかのように扱う言説は、社会の至るところに存在している。こうしたまなざしは、逃れてきた人々を精神的にも深く傷つけ、追い詰めている。

そこにあるのは、「もし自分が彼女たちのような立場だったらどうだろうか」という、ごく基本的な想像力の欠如である。難民に向けて投げかけられる「恥を知れ」という言葉の矛先は、本来、まったく別の方向に向けられるべきではなかろうか。

 

『The Walk』は、4人の人形使いによって命を吹き込まれた巨大なパペットによる、単純なロードムービーではない。

物語は、実在する少女アシルの話から始まる。アシルは、戦争によって家族を失い、トルコの児童保護施設に移送されたシリア出身の少女である。彼女は、家族が見つかるまでその施設にとどまることを余儀なくされ、次第に孤独を深め、現実世界との乖離を強めていく。しかし、施設の警備員が見ていたテレビ番組を通じて『The Walk』の存在を知ったとき、彼女の心に再び希望の光が灯る。アシルは次第に、自らをアマルの姿に重ねるようになり、彼女の「新しい家を求める思い」は、アマルがトルコからフランスまで実際に歩いた8,000キロの旅によって象徴的に描かれる。アマルがヨーロッパ各国で受け入れられていく過程は、アシルがトルコで自らの居場所を見つけていく過程と重なり合っている。

アマルを操る人形使いであるフィダー・ジダン(Fidaa Zidan)とムアヤド・ルミー(Mouaiad Roumieh)もまた、移民である。そして、彼らがアマルとして旅をする理由も、この作品を通して語られている。

フィダーは、イスラエル北部、ガリラヤ山脈に位置するベイト・ジャン村で育った。この村には、ドゥルーズ系住民が多く暮らしている。ドゥルーズ教は、11世紀にイスラム教の一派から分かれて成立した宗教である。ドゥルーズの人々は、1950年代にイスラエル政府と宗教指導者との合意により、イスラエル国防軍(IDF)への徴兵義務を受け入れている。フィダーの兄弟は、イスラエル軍の訓練中の事故や、レバノンでの爆撃によって命を落としている。それ以来、家族は「ペアレンツ・サークル(遺族フォーラム)」の一員としての活動を開始した。フィダーが初めてパレスチナ人の語る物語に触れたのも、このフォーラムを通じてである。

イスラエル社会における少数派であり、アラビア語を話す者として、さらに家族や地域の歴史、政治的状況を背景に、フィダーは自身のアイデンティティに疑問を抱くようになったと時、彼女の中に「パレスチナ人」としての自覚が芽生えた。その後、彼女はジェニンにある「フリーダム・シアター」での社会演劇活動を通じて、改めてヨルダン川西岸地区のパレスチナ人たちと深くつながるようになった。

ムアイアド・ルミーは2016年にシリアを離れ、2017年初めからフランス・パリに難民として定住した。2009年にダマスカスの高等演劇学院を卒業し、演劇学の学士号を取得した後、シリアでは複数の独立系演出家と共に舞台や映画に出演し、成功を収めた。さらに、ドラマトゥルク(劇作術)やアクロバットの技術も持ち、国際的に成功した演劇活動にも参加している。しかし、2015年から2016年にかけてのシリア内戦は彼の活動を著しく制限し、安全な環境を失わせた。これが彼を祖国から離れる決断へと追い込み、難民としての新たな生活が始めざるをえなくなった理由である。

 

 

シリア内戦の勃発以降、多くの難民が欧州各地へと流入し、その状況は大きく報道された。しかし、紛争が長期化するなかで現在もなお、多くの人々が危険を冒して欧州を横断し続けている。さらに、コロナ禍は難民や移民の置かれている環境を一層厳しくし、彼らに対する支援や受け入れの体制も大きな困難に直面している。こうした現状は、社会的・政治的な課題として依然として解決が求められているのである。

 

ロンドンのヤング・ヴィック劇場の元芸術監督であり、本プロジェクトのプロデューサーの一人であるデイヴィッド・ランは、リハーサルの合間にこう語った。「『ザ・ウォーク』の意味は明白だ。『私たちを忘れないでほしい』ということだ。」

しかし彼は、この作品が難民の悲惨さだけを描くものではないとも述べている。「彼女は子どもだから、恐ろしい経験や孤独、不安もあるだろう。しかし私たちが注目したいのは、彼女がもたらす可能性と喜びである」。

 

『ザ・ウォーク』は、難民キャンプを舞台にした没入型演劇『ザ・ジャングル』から発展した作品である。『ザ・ジャングル』はロンドンのウエストエンドやブルックリンのセント・アンズ・ウェアハウスで高く評価された。

アマルのパペットは、南アフリカの劇団ハンズプリング・パペット・カンパニー(Handspring Puppet Company)によって丹念に作り上げられた。彼らは、人間工学に基づいた精巧な設計と、豊かな表現力を兼ね備えたパペット制作で高い評価を受けている。彼女の身にまとった赤と紫のスカートは膝のすぐ下で揺れ動き、赤いブーツは建設現場で使われるホッドのように大きく力強い。肩から垂れた髪は赤いリボンで優雅に結ばれており、その細やかな動きからも操演者の技術の高さが感じられるものである。ちなみに同団体は、名作『戦火の馬(War Horse)』の制作でも知られている。全体の芸術監督を務めるのは、アミール・ニザール・ズアビ(Amir Nizar Zuabi)で、本作を『8000キロにも及ぶ、人類共通の祭典』と称している。

アマルは巨大で、群衆の頭上に堂々とそびえ立っていた。しかし、その姿はまるで幼い子どものように繊細で、不安そうに人々の視線を避けているかのようにも見えた。歩みの途中で何度も立ち止まり、身体を小刻みに揺らし、胸を上下させながら、やがて突然、不安定でぎこちない足取りで走り出す場面もあった。

 

『ザ・ウォーク』は他の難民危機を扱ったドキュメンタリー作品と一線を画すものである。普通ならば、この特異な作品は制作の舞台裏に焦点を当てるか、難民問題の解説に偏りがちだが、タマラ・コテフスカ(Tamara Kotevska)監督はこの作品が持つ精神性にふさわしい映画的手法を選んだ。『ザ・ウォーク』の背景を説明するシーンは少なく、制作過程の一部やパペットの設計映像が断片的に挿入される程度だが、それがかえって観客の興味を刺激する。気づけばあなたはトルコの街中でアマルと共に歩き、彼女の壮大な姿に見入っているだろう。

コテフスカ監督は、アマルと『ザ・ウォーク』を本当に理解するには、観客自身が体験することが何より重要だと知っている。そのため、カメラは地上の視点から撮られ、監督と撮影監督ジャン・ダカール、サミール・リュマは、アマルの存在感に驚嘆と神秘を与えている。これが、世界的な危機の中でアマルが希望の象徴となった理由だ。さらに、暴力的な抗議活動やコンクリートの下に張られたテントで暮らすホームレス難民の姿など、痛ましい場面のリアリティを一層際立たせている。

前作『ハニーランド』でリアルな人物像とフィクションの物語手法を巧みに融合させたコテフスカ監督の力量は本作でも発揮されているが、『ザ・ウォーク』は単なる続編ではない。広範な世界的事件を背景に、整然とした物語を描きながらも、アマルの創造の本質を見事に掘り下げている。劇団グッド・チャンスのズアビらが企画した『ザ・ウォーク』は、世界中の人々に子ども難民への共感を呼びかけ、偏見を超える挑戦でもある。

だからこそ、『ザ・ウォーク』は難民たちの声を映画ならではの形で届けることに成功している。観察映画としての洗練度は『ハニーランド』に劣る部分もあるが、独自の視点と見事な表現力により、アマルの深遠な存在にふさわしい記録作品となっている。

アマルのメキシコ訪問について興味のある人はこちらから。また他の映画作品等の情報はこちらから。

 

参考文献:

1. Little Amal’s Touring Team ※寄付もこちらから
2.
The Walk Review: A Larger-Than-Life Look at The Child Refugee Crisis

 

作品情報:

名前:ザ・ウォーク ~少女アマル、8000キロの旅~(The Walk)
監督:Tamara Kotevska
脚本:Dan Crane
制作国:シリア、トルコ、フランス、パレスチナ、ギリシア、UK
製作:Harri Grace、 Orlando von Einsiedel、 David lan、 Tracey Seaward
時間:80分
ジャンル:ドキュメンタリー
 ※日本語字幕あり

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