(Photo:@craquesdofuturoes)
ブライアン・ペレイラ(Bryan Pereira)は、ブラジル出身のサッカー選手であり、「クラケス・ド・フトゥロ(Craques do Futuro)」というチームの10歳以下カテゴリーに所属している。フォワードとしてプレーしているブライアンは最近、試合に全身へ先住民ペイント(タトゥのように見える模様)を施して登場したことで、たちまち話題となった。それは決して流行や反抗心によるものではなく、彼自身の文化への敬意の表れである。
話題になっているのは全身に施されたタトゥにも見える装飾が故である。彼がその状態でカピシャビーニャ(Capixabinha)に登場したことで話題となったというわけだ。知識のない人々はインターネットを介し「こんなにも年齢が幼いのにタトゥをしているのは適切ではない」と批判した。しかし一方で、彼が自身の先住民のルーツを誇りを持って守っているが故に、このような出立でいるということを知っている人々からは称賛の声が多く寄せられている。なぜなら、彼の体に施されている文様は彼のコミュニティであるパウ・ブラジル(トゥピニキム(Tupinikim)の先住民族の村)の伝統的な絵であるからだ。彼は試合のたびに、これらのシンボルを身体に描き、自らの文化を讃えている。
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彼の体に施された「絵」は自然のさまざまな要素に基づいている。それらは彼の感情を表し、身を守る役割を果たしており、また、それぞれの絵は、彼と彼の家族にとって価値のある意味を持ち、また、祖先の声や自然の要素を表し、精神的な保護としての役割も果たしている。これらのタトゥを通して、ブライアンは自分の文化を尊重し、先住民族のルーツとのつながりを保ち続けているというわけである。
ブライアンはまだ幼いながらも、「クルミンス祭(Kurumins)」のような行事に参加している。この祭りは、先住民による525年間の抵抗を記念するものであり、ブライアンのような若者たちは、こうしたイベントを通じて自身のアイデンティティを再確認し、文化と価値観を守るために闘ってきた祖先たちの声を受け継いでいるのである。
アラクルス(Aracruz)出身で、パウ村(Aldeia Pau)にルーツを持つこの少年は、所属クラブにおいて真のセレブリティとなった。クラケス・ド・フトゥロは彼の物語を誇らしげに共有し、先住民族の文化的多様性への敬意を呼びかけている。クラケス・ド・フトゥロの公式ページによると、各模様には意味があり、たとえば長い線はアルマジロの甲羅を表しており、盾としての保護の象徴であるという。他にも、さまざまな意味を持つペイントが施されていると説明されている。ブライアンはただサッカーをするだけではない。彼は一つの民族全体を体現しているのである。
クラケス・ド・フトゥロは、ブラジルのパラー州アナニンデウア(Ananindeua)に拠点を置くサッカークラブであり、正式名称は「Clube Atlético Craques do Futuro」と言う。このクラブは、若い才能の育成と発掘を目的としたプロジェクトとして設立され、特にユース世代の選手たちに焦点を当てている。クラブの公式ウェブサイトによれば、クラケス・ド・フトゥロは、若い才能の育成と発掘を目的としたプロジェクトであり、特にユース世代の選手たちに焦点を当てている。このプロジェクトは、若手選手に対してトレーニングや試合の機会を提供し、彼らの成長と成功を支援することを目指している。また、学校や地域のトーナメントと連携し、地域社会全体で若手選手の育成を支えている。クラケス・ド・フトゥロは、ブラジルのサッカー文化において重要な役割を果たしており、将来のスター選手を育てるための基盤となっている。ブライアン・ペレイラも、このクラブでプレーすることで、自身の才能を磨き、先住民の文化を尊重しながら成長している。
トゥピニキムという人々
トゥピニキン(別称:トゥピニキム、トピナキス、トゥピナキス、トゥピナンキン、トゥピニキンズ、マガヤ、トゥヤー)は、トゥピ語族に属する先住民族である。元来、彼らは沿岸トゥピ語を話していたが、ポルトガル侵攻や、後に起きる工業プロジェクトは彼らの言語消滅につながった。彼らは今日ではポルトガル語のみを使用している。
考古学的証拠によると、紀元前815年にはすでに彼らはゴイタカゼス (Goitacazes/ワイタカ(Waitaká))、タモイオ(Tamoios)、テミミノス(Temiminós)と共に、現在のブラジルの海岸沿いの数千キロメートルにおよぶ地域に居住していた。1500年以降は、ポルトガル人によるブラジル侵略とともに訪れたジェノサイドの影響を受けた。1960年代には、かつての人口のごく一部しか残らず、エスピリトサント州北部のアラクルス市の大西洋岸森林(Mata Atlântica)の一角に居住することになった。そこではトゥピニキンとグアラニ(Guarani)が限られた空間で共に暮らしていた。
1940年から1960年の間にビトリア製鉄会社(Companhia de Ferro e Aço de Vitória:Cofavi)が設立され、木炭生産のために彼らの居住地域である大西洋岸森林の大部分が破壊された。
軍事独裁政権下、特に1967年にはアラクリス・フロレスタル社(Aracruz Florestal)およびアラクリス・セルロス社(Aracruz Celulose※)も進出し、先住民の祖先の土地に侵入、多くの村を破壊し、ユーカリ単一栽培によるパルプ製造のための三つの工場を建設した。これらのことがトゥピニキンとグアラニをさらに小さな空間に閉じ込めた。現在では、約4,000人のトゥピニキンが、アレアル(Areal)、カイエイラス・ヴェリャ(Caieiras Velha)、イラジャ(Irajá)、パウ・ブラジル(Pau Brasil)、コンボイオス(Comboios)、コヘゴ・ド・オウロ(Córrego do Ouro)の各村に分布して居住している。彼らは、生活を再生産するための条件を大きく失ったため、村の外で仕事を求め、都市へ移住し、民族的偏見にも直面するようになった。
1970年代以降、トゥピニキンはグアラニと協力しながら地域間での連携を開始し、アラクリス・セルロース社のユーカリを自ら伐採し、自分たちで領土の境界を定める「自己画定」の活動を行っている。これらが闘争のきっかけとなった。闘争は2000年代まで続き、1981年に連邦政府が彼らの土地として4,492ヘクタールを認定・画定し、1998年にはさらに2,568ヘクタール、2007年には最終的に11,000ヘクタールを画定した。「トゥピニキン=グアラニ先住民地域(Terra Indígena Tupinikim-Guarani)」はこれら合計18,070ヘクタールに及ぶ彼らの領土であり、そこには、カイエイラス・ヴェリャ2、トゥピニキン、コンボイオスの村が含まれている。
彼らの領土として確定したにもかかわらず、アラクルスのトゥピニキンとグアラニは、未だモノカルチャー、産業、造船所、鉄道、港湾事業などの企業との間に多くの紛争を抱えている。また、ミナスジェライス州マリアナ市で発生したヴァーレ/サマルコ/BHPビリトン社によるファンダン・ダムの決壊という重大な環境犯罪によって、ドセ川の流域全体が被害を受け、エスピリトサント州のリニャーレスに至るまで影響が及んだ。その結果、トゥピニキンの生活基盤であった採取活動、家族農業、漁業は大きな打撃を受けた。さらに、2018年から2022年にかけては、ジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)の反先住民政策によって状況は一層厳しくなった。
※後のフィブリア社(Fibria)、現在はスザノ・パペル・イ・セルロース社(Suzano Papel e Celulose)
参考資料:
1. A sus 10 años se ‘tatuó’ todo su cuerpo: la razón por la que joven futbolista se vuelve viral en las redes: “Son voces ancestrales…”
2. Bryan, el niño futbolista que sorprende con los tatuajes de su etnia indígena
3. Bryan, el futbolista Sub-10 que se vuelve viral por sus tatuajes
4. Povos Tupinikim e Guarani: depois de expostos a verdadeiro genocídio, expulsos e humilhados, ainda lutam contra a burocracia para ter seus direitos garantidos
5. Terra Indígena Tupiniquim
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