スペイン:ロベ・イニエスタ死去、スペイン・ロックの象徴的存在が古典となる

スペインのロック界を代表するバンド、エクストレモドゥロ(Extremoduro)の創設者であり精神的支柱でもあったロベ・イニエスタ(Robe Iniesta)が63歳で死去した。予期せぬ訃報に、音楽界とファンに衝撃が走った。昨年、深刻な健康問題のためステージを離れてからわずか1年での逝去である。

1987年にエクストレモドゥロを創設したロベは、粗野で過激なロックから、次第に複雑で詩的、内省的な作品へと進化させた。ハードロックに親しみのなかった層にまで影響を与え、スペイン・ロックの古典的存在として確固たる地位を築いた。

また、作詞家としても時代に刻印を残したロベの歌詞は、個人的な経験や人生の矛盾、存在に関する問いを、直接的かつ感情に訴える詩へと昇華させ、多くのファンの心に深く刻まれた。

 

最後のアルバム『Se nos lleva el aire』に込めたメッセージ

ロベ・イニエスタは常に、「最後に作る曲が一番気に入っている」と語っていた。そして、すでにアンセム(国歌、賛歌)となった「El poder del arte」は、彼の最後のアルバム『Se nos lleva el aire』に収められた楽曲の一つである。

予兆のように思えるが、ロベ自身もまるで「空にさらわれた(se lo ha llevado el aire)」かのように逝った。このアルバムには、彼が歌い、叫び、主張していた「芸術の力が、無気力な人生や悲しい人生、悪い死から私たちを救うかもしれない」というメッセージが込められている。

同作を携えたツアーは、健康上の理由により突然中断となった。アルバムの中でロベは、「人生は何でできているのか(de qué está hecha la vida)」「愛は何でできているのか(de qué está hecho el amor)」と自問し、象徴的な表現で答えを示している。「風で、純粋な風で(de viento, de puro viento)」「身を任せて(de dejarse llevar)」「挑戦して死ぬために(de morir en el intento)」「抱擁の中で溶け合う(de fundirse en abrazos)」「そして再び始める(de volver a empezar)」――それがロベの描いた世界である。

ロベは、その歌が生き続ける限り現在形で語られる存在である。粗野でありながら繊細、下町的でありながら叙情的、激情的でありながら優しい、アウトロー(quinqui)でありながら詩人、制御不能で神秘的、破壊的で暗号めいた存在であった。卑俗から霊性へ、平凡から純粋哲学へと自在に跳躍する、稀有な作詞家である。

 

 

詩人としてのロベは徹底してロマンティックであった。「時を縛る鎖が切れ、豪雨が止み、今や我らは漂う二滴となった(se rompió la cadena que ataba el reloj a las horas, se paró el aguacero ahora somos flotando dos gotas)」や「彼女と夢見る夢を見て、もし地獄で待つなら、蝋のようにその炎に溶けたい(sueña que sueña con ella, si en el infierno le espera, quiero fundirme en tu fuego, como si fuese de cera)」といった詩的表現を残した。しかし別の顔を持つロベは「みんなクソ食らえ(iros a tomar por culo todos)」と叫び、人生を丸ごと「人を苛立たせること(tocando los cojones)」に費やす反逆者でもあった。

さらにロベは「精液の噴流(chorros de lefa)」や「男根(pollas)」に満ちた歌詞を吐き出し、性愛を歌う際には「身分証は嘘をつく、お前の尻こそ俺の土地(miente el carnet de identidad, tu culo es mi localidad)」や「触れられるだけで勃起する(me pongo palote solo con que me toque)」と歌った。彼は「大量のコカイン(mil rayas)」を吸い、トリピス(tripis=LSD)の効果に身を委ね、酒を浴びるように飲んだ。政治的正しさなど存在しなかった時代、ロベは「娼婦(puta)」や「尻軽女(golfa)」と叫び、それらの曲を最後のツアーでも演奏した。常に己の欲するままに生きたのである。

ロベ・イニエスタの歌は、街角やバー、故郷の風景に根ざしたものだけでなく、フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)、パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)、フェデリコ・ガルシア・ロルカ(Federico García Lorca)、マノロ・チナート(Manolo Chinato)らの文学や思想にも深く影響を受けている。

 

2025年12月10日、スペイン音楽史に刻まれた日

この日、ロベとエクストレモドゥロのファンや熱烈な支持者たちは、彼を「神」と崇める多くの人々にとって最悪の知らせ――ロベの死――で目を覚ました。彼が自らの「サタンとの死」を果たしたのかどうかは、本人だけが知ることである。

死がもたらしたのは、思い出を共有する日であった。友人たちは、歌やコンサート、体験を振り返りながら互いに心を通わせた。親子は、ステージの上でしか見たことのない彼の死に涙を流した。元恋人たちは、楽しかった日々と悲しい日々を思い出し、再び言葉を交わした。ギターのリフを覚えていた者たちは、それを弾きながら敬意を表した。車内で彼の好きな曲を大音量で流す者もいた。

ファンたちは、ロベの言葉を借りるなら、「窓を閉めず、ベッドを整えず、扉を開けたまま(las ventanas sin cerrar, la cama sin hacer y la puerta abierta)」にして、彼が現れるかもしれないと願いながら別れを告げたのである。

 

 

その日は、涙の日であると同時に、笑いの日でもあり、思い出を振り返り、自分の人生の全てを見つめ直す日でもあった。2025年12月10日――スペイン音楽史に刻まれる日である。

ロベの音楽は、人を惹きつける場合もあればそうでない場合もあり、魂の奥深くに届くこともあれば届かないこともあった。しかし、音楽業界で彼を尊敬しない者はいなかった。多くのアーティストが、ジャンルを問わず、ロベをアイコンであり、揺るぎない指標として崇めていた。彼は生きているうちにすでに、スペイン・ロックの伝説となっていたのである。

ロベがスペイン音楽にもたらした影響は計り知れず、その功績は限られた者だけが成し得るものである。ファンの心に刻まれた足跡は、消すことなど到底できない。この水曜日、彼らは、唯一自分たちにしか理解できない喪失感に包まれた。

ファンたちは互いに抱き合い、歌詞の一節を聴きながら思いを共有した――「もし人生が階段だとしたら、次の段を探してずっと登り続け、あなたが屋根にいると信じて、そこにたどり着けるか確かめている(y si fuera mi vida una escalera, me la he pasado entera buscando el siguiente escalón, convencido que estás en el tejado, esperando a ver si llego yo)」や、「その間に時は過ぎ、私はあなたのそばで目覚める夢を見て、あなたが一人かどうかを問い、心の中で炎に包まれる(mientras tanto pasan las horas, sueño que despierto a su vera, me pregunto si estará sola y ardo dentro de una hoguera)」といった言葉に、胸を刺されたのである。

ファンは、ロベが何をしても受け入れた。コンサートの途中で体調不良のために退出しても構わない。40分中断して再び舞台に戻っても問題なかった。罵る歌詞でも、美しい詩を朗読しても、それはすべて許された。年齢とともに少しだけ柔らかくなったものの、常に彼に付きまとう神秘的なオーラは失われなかった。

ロベは、騒ぎを起こすことなく去った。しかし、その死は文化に巨大な地震をもたらした。

 

 

愛から周縁へ――純粋な哲学

ロベの歌詞は大文字であり、場合によっては絶対的な深みを持つ。その一節一節が何を意味するのかについて、本物の博士論文が書かれてきたほどである。謎は彼の人生とキャリアを支配した。宣伝を必要とせず、宣伝を持たなかった。

 

ロベは『ラ・レイ・インナータ(La ley innata)』や『マイエウティカ(Mayéutica)』といったアルバムを、最初から最後まで通して聴く必然性を創り出した。楽曲は十数分を超え、終わってほしくない体験を与える。ロサリア(Rosalía)がまだ生まれていなかった頃から、それは宗教的体験であった。

ロベとエストレモドゥロは「トランスグレシーボス(transgresivos)」な賛歌によって、スペイン・ロックの歴史を築いたのである。

ハビエル・ビリュエンダス(Javier Villuendas)が記したように、彼ほど不在や痛み、失恋の苦しみ、待つことの引き裂かれる感覚、そして常に語っていた「居間の軸(eje del salón)」の揺れを歌った者はいない。また彼ほど周縁や反システムを歌った者もいない。さらに人間の条件の最悪を「残酷な子守唄(nanas crueles)」で一つひとつの歌詞に刻み込んだ者もいない。

ロベは歌わない。ロベは怒り、血を流し、膿を出し、泣き、囁き、突き刺し、感動させ、常に破壊する。常にである。彼を聴き、その世界に入る者に痛みを与えるが、同時に絶対的な癒しをも与える。決して中途半端に留まることなく、常に芸術に「破壊的性質」を求めた。「魂を崩壊させ、全身を崩壊させ、魂を爆発させ、内側から爆発させろ(Que me derrumbe el alma, que me derrumbe entero, que me reviente el alma y que me reviente dentro)」と。

ロベ・イニエスタの音楽的進化は、彼自身の人生の歩みに並行していた。その人生には、過剰さ、混乱、制御不能、そしてヘロインの時期もあった。「自分でも多すぎる薬物だった」と彼自身も認めている。しかし、彼は常に過激で破天荒なロックを磨き上げ、歌詞には読書を通して培われた深い影響が色濃く表れている。

ロベは詩を読み、自らも詩人となり、集団的な想像の中に永遠に刻まれる存在となった。彼自身の言葉を借りれば、その芸術は「夢見る腸(tripas soñadoras)」「リズムを合わせたため息(suspiros acompasados)」「歌う涙する柳(sauces llorones que cantan)」に満ち、人生そのものが「白紙の上に書かれる歌詞(hojas en blanco)」である。これは彼自身の人生であると同時に、多くの人々の人生でもある。

 

破天荒なロックから音楽の卓越へ

ニュース記事・文化系コラムの執筆者であるアルベルト・レオン(Alberto León)によれば、『アギラ(Agila)』はロベのキャリアにおける転換点であった。ロベは曲の長さを変えることなく、ますます精緻なタッチで音楽を磨き上げた。時には圧倒的で、とらえどころのない音楽であった。

 

2019年、三つの十年にわたるキャリアと十枚以上のアルバムを経て、エストレモドゥロは解散した。この知らせは彼の「部族(tribu)」に衝撃を与えたが、ロベはソロとして活動を続け、さらに五枚のアルバムを発表した。『マイエウティカ(Mayéutica)』や『セ・ノス・ジェバ・エル・アイレ(Se nos lleva el aire)』では、卓越した歌詞が展開され、ヴァイオリンやクラリネットがギターと共により大きな役割を担うようになった。

この水曜日、ロベは自らの重要性を否定し、政治家たちが彼の死を嘆く大げさな言葉に対して「みんなクソ食らえ(iros a tomar por culo todos)」と放ったであろうことに疑いは少ない。自らの葬儀に出席することもなく、「裏切りの死を前に(ante la muerte traicionera)」と歌ったにもかかわらず、「男根を外に出したまま、鼠に食わせるように(con la picha por fuera pa que se la coma un ratón)」という望み通りに葬られなかったことに身をよじっているかもしれない。まさに天才であり、その姿のままである。

彼はすでに去った。しかし、他の多くの事柄と同様に、それを言葉に残していた。「君が去れば、私はこの行き止まりの通りに残る(Si te vas, me quedo en esta calle sin salida)」と。ロベは虚無に強く抱きつき、ついには消え去った。しかしそれは肉体だけであり、死後に彼の魂はただ広がり続けるのである。

 

アルバロ・モルテによる追悼

人生において、ある人物の死がこれほど多くの人々を打ちのめすことは稀である。今回のロベ・イニエスタの死はまさにその例であり、35年以上彼を聴き続けてきた軍団を完全に打ち砕いた。ロベは、多くの人々が苦しみ、出口を見失い、どうすべきか分からなかった時に命を救った存在である。彼の歌詞は道を示し、愛がすべてを可能にすることを教え、失恋は克服できると示した。たとえ癒えない傷を残しても、人生は最も美しいものであり、彼のように「鳥人(hombre pájaro)」となって飛ぶべきだと伝えた。

彼が残した崇高な作品が慰めになることはない。あまりにも多く心を揺さぶられ、彼を親しい兄のように感じてきたからである。彼の言葉は人生の残酷さを示しつつも、前に立ちはだかる障害を乗り越える力を与えてきた。私たちは彼がもうこの世にいないことを受け入れるために時間を必要とする。彼は決して作られることのなかった多くの歌を抱えたまま去った。ファンはその時間を必要としている。その時間こそ、彼が常に歌の中で語っていたものである。

ロベ・イニエスタはプラセンシア(Plasencia)に生まれたが、普遍的な存在となった。詩人であり、筋金入りのロマンティックであり、ならず者でもあった。すなわち多面体的な人間であり、我々に忘れることのできない遺産を残したのである。ロベは唯一無二であり、我々の骨の髄まで染み込んだ。

その影響を受けた者は多く、俳優アルバロ・モルテ(Álvaro Morte)もその一人である。彼はエスクァイア年間最優秀男性賞2025(Premios Esquire Hombre del Año 2025)の式典において、我々を幸福にした巨匠を追悼した。アルバロはエストレモドゥロの楽曲『ソ・パヤソ(So payaso)』の一節を引用しながら語った。

他の人はどうだか知らないが、少なくとも私は、この先、流れに身を任せるかもしれないし、声を上げるかもしれないし、何も考えずに飛び出してしまうかもしれない。その結果、あとで何を言われようと知ったことではない。

Yo no sé vosotros, pero después de esto yo, personalmente… puede que me deje llevar puede que levante la voz puede que me arranque sin más y a ver qué me dicen después

 

この言葉は、彼がいかに深くロベの芸術に触れ、その精神を受け継いでいるかを示している。

その特別な夜にロベ・イニエスタを追悼したのは彼一人ではなかった。ダニ・マルティン(Dani Martín)もまた感動的なスピーチを行い、イレガレス(Ilegales)のホルヘ・マルティネス(Jorge Martínez)を思い起こした。彼もまた偉大な存在であり、イニエスタ(Iniesta)の死の一日前に世を去ったのである。

さらに作家ダビド・ウクレス(David Uclés)は、エストレモドゥロのアルバム『ヨ・ミノリア・アブソルータ(Yo, minoría absoluta)』に収録された楽曲『スタンド・バイ(Stand By)』の一節を歌い、聴衆の胸に深い感情の結び目を作った。

 

最後のアルバムと中断されたツアー

2023年12月、ロベはソロとして4作目のアルバム『セ・ノス・ジェバ・エル・アイレ(Se nos lleva el aire)』を発表した。 同作に伴うツアーは連日満員であり、長時間に及ぶ公演では新作のほぼ全曲をエストレモドゥロの楽曲と組み合わせて披露していた。 しかし、健康上の理由によりツアーは突然中断され、予定されていたフィナーレを迎えることはできなかった。

ロベは常に感情の表現を何より重視した人物である。最後のインタビューでエル・パイス(EL PAÍS)に対し、彼は明言している。「最優先すべきは、曲が感動を与えることだ」と。

 

参考資料:

1. Robe y el poder de su arte que se llevó el aire
2. El emocionante homenaje de Álvaro Morte a Robe Iniesta de Extremoduro en su discurso final en los Premios Esquire Hombre del Año 2025

 

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