映画:『希望と不安のはざまで』で知る50年に及ぶ独裁と、未だ繰り返される強制失踪

ずっと前、私が訪れたい国のひとつにシリアがあった。しかし、その願いは「アラブの春(Arab Spring)」の後に続くアサド政権による市民弾圧や、独裁政権打倒を目指す市民たちの戦いによって断たれた。2010年にチュニジアで始まった一連の市民革命や抗議運動は、長期にわたる独裁政治や腐敗、経済的困難、社会的不平等に対する市民の不満から生まれ、最終的にエジプト、リビア、バーレーン、イエメンなどへと波及した。

シリアでは、最初は他国と同様、平和的なデモがダマスカス(Damascus)、ホムス(Homs)、ダラ(Daraa)などの都市で始まった。市民たちが求めたのは、政治的自由や民主化、そしてシリア政府の改革であった。しかしその後の展開が他国とはあまりにも異なった。

当時、シリアはハフェズ・アル=アサド(Hafez al-Assad)が築いた独裁体制の下にあり、バッシャール・アル=アサド(Bashar al-Assad)大統領が国を支配していた。バッシャールはダマスカス大学(Damascus University)で医学を学び、シリア陸軍(Syrian Army)で眼科医として勤務していたが、政治には特別な関心を示していなかったとされている。しかし、1994年に父ハフェズが突然死去し、同年に兄バシール(Basil al-Assad)が交通事故で死亡したことにより、バッシャールは後継者として大統領職を継承することとなった。

2000年7月、シリア大統領に就任したバッシャールは、当初は「改革者」として期待され、一部では経済改革や自由化の兆しも見られた。しかしその後は権威主義的政策を強化し、民主化運動に対する弾圧を進める方向へと転じていった。

 

平和的に始まったシリアの抗議活動は、政府による厳しい弾圧と治安部隊の暴力によって大きく様相を変えていった。反政府勢力も一様ではなく、民主化や自由を求める者もいれば、過激派組織、例えばアル=ヌスラ戦線(Al-Nusra Front)やイスラム国(ISIS)なども含まれていた。やがて反政府運動は暴力的な様相を呈していって、ついには内戦となった。この背景には、政府による弾圧のほか、長年続く強力な権威主義体制や、シリアにおける宗派的緊張が関係している。

シリア政府は抗議活動をテロリストの陰謀として位置付け、武力行使を正当化した。これにより事態は悪化し、内戦は次第にシリア全土に拡大した。また、複雑な国際的・宗教的要素も絡み、事態はさらに複雑化した。ロシアとイランはアサド政権を支援し、アメリカ合衆国や西側諸国、サウジアラビア、トルコなどは反政府勢力を支援した。

こうして生まれた何百万人もの難民とともに、シリアは他国の利害や介入が蠢く舞台となった。シリア社会、経済、インフラは壊滅的に破壊されていった。

 

13年以上にわたる武力衝突が終わっても、多くのシリア人が未だアサド政権が法の支配を欠き、免責が蔓延する中で、政治的支配と社会的威圧の手段として組織的に行ってきた強制失踪の重圧の下で生活を続けている。圧倒的な困難にもかかわらず、多くの人々は、近い将来にある程度の正常性が回復することを望んでいる。しかし、現実は毎週のようにその希望を打ち砕く過酷なものである。最近では、イスラエルがシリアの領空を利用してイランを攻撃し、シリア人にとって避けがたいジレンマを生み出している。

ホスピタリティ(おもてなし)が神聖視される文化の中で、現在、多くのシリア人は訪問者にコーヒー1杯以上を提供する余裕を失っている。シリアは深刻な干ばつに見舞われており、その状況は2011年の反乱に関連して語られる干ばつよりも悪化している。この干ばつは国内の小麦の75%に影響を及ぼし、パンの入手を困難にし、食糧不安を一層深刻化させている。物資が不足する社会において、シリア人が唯一不足していないものは希望である。それはほとんどの物資とは異なり、価格が高くなく、国際的制裁を受けることもない、無料で得られる唯一の財である。

 

アサドの復帰を望むシリア人はほとんどいない。しかし、その後任であるアフメド・アル=シャラー(Ahmed al-Sharaa)大統領に対しても懐疑的な意見が多い。元アル=カイダ(al-Qaeda)の指導者であったシャラーは、数年間イドリブ(Idlib)地方を支配し、厳格なスンニ派イスラム法を施行していたからである。彼はその後立場を和らげたが、改革を約束しながらも、第二次世界大戦以来最悪の戦争犯罪者の一人となった穏やかな口調で西洋教育を受けたアサドと同様、依然として謎めいた存在である。

アサドという前任者と同様、シャラーは命令で統治し、透明性はほとんどない。さらに、シャラーのイデオロギー的傾向や経済政策の優先順位は不明確である。そのため、多くのシリア人は単に一人の独裁者を別の独裁者へと置き換わっただけで、世俗的な独裁政権からイスラム主義的独裁政権へと変わったに過ぎないと恐れている。批判者は、彼のアル=カイダ時代を揶揄し、イラクで共に戦った者たちは彼のジハード主義への熱意に疑問を呈している。

シリアの真実と正義(Syrian Truth and Justice:STJ)がまとめた報告書「希望と恐怖の間で生きる(Living Between Hope and Fear)」は、2024年12月のシリア政権崩壊後に発生した強制失踪のパターンを記録している。報告書によると、アサド政権が崩壊したにもかかわらず、強制失踪という名の暴力は終わらず、移行期においても異なる形態で継続している場合があり、時にはその範囲が拡大することもある。証人の証言や失踪者の親族の話によれば、その多くの犯罪は治安機関、特に総合治安局(Internal Security Directorate)や移行政府に関連する武装グループによって行われており、いくつかの事件には宗派的な動機が存在することも見受けられる。このような行為の再発は、シリアで過去数十年にわたり目撃された最も重大な人権侵害のパターンを再生産する可能性があるという懸念を引き起こしている。

シリアの真実と正義(STJ)の報告によると、新政府に変わった後に発生している強制失踪にはいくつかのパターンが確認されている。具体例は以下の通りとなっている:

  1. 自宅での家宅捜索および捜索活動
    軍や治安部隊がジャブレ(Jableh)、ホムス、ダマスカスの住居に突入し、司法令状や明確な告発なしに家族全員を逮捕する事例がある。その後、親族は被拘束者と連絡を取れなくなるケースが報告されている。
  2. 治安チェックポイントでの出来事
    ラタキア(Latakia)、ホムス、タルトゥース(Tartous)の農村部に設置されたチェックポイントが強制失踪の罠となる場合がある。市民は昼間に停止され、治安機関はその拘束を否定するか、被拘束者の運命について矛盾する説明を与えることがある。
  3. 治安センターおよび新設機関によるもの
    公式に「尋問のため」と召喚された後、完全に失踪するケースもある。ホムスの公務員の例があり、召喚した当局が後に彼の行方について知らないと否定した。
  4. 公共の場所での事例
    強制失踪は閉鎖された施設に限らず、公共の場所でも発生している。ラタキアのティシュリーン広場(Tishreen Square)では、公共の場での逮捕後に失踪が行われ、犯人たちは責任を問われない自信を見せている。

 

シリアの真実と正義(STJ)が強制失踪者の家族を通じて認識しているのは、法的枠組みと現場での実践との間に危険なギャップが存在することである。移行期に発行された憲法宣言(Constitutional Declaration, 第18条)や「行方不明者国家委員会(National Commission for the Missing Persons)」設立のための立法令第19号(Legislative Decree No.19)は、強制失踪に対する効果的な保護を十分に提供していないことを示している。証言によると、当局はすべての記録されたケースを調査することも、犠牲者の運命を明らかにすることもなく、家族からの訴えに真剣に対応していない。これが免責の風潮をさらに強化している。

シリアの真実と正義(STJ)は、政府の責任はその軍や治安機関による直接的な違反にとどまらず、国家が知識を持ち、あるいは関与している武装グループによる行為にも及ぶことを強調している。国家はすべての市民を保護し、すべての事件を調査し、加害者に責任を追及する義務を有しているが、それが適切に履行されていないのが現状である。

 

国連の専門家機関(UN Expert Mechanism)によると、移行期のシリア当局(Transitional Syrian Authorities)と密接に関連する武装グループが数百人を誘拐しており、その中にはドゥルーズ(Druze)やアラウィ派(Alawite)の女性も含まれていると報告されている。南部のドゥルーズや、アサド政権の長年の支持基盤であるシリア沿岸のアラウィ派は、宗派的・民族的対立もあり、新政府を受け入れようとしないことが知られている(ドゥルーズについてはこちらも参考のこと)。

ドゥルーズの精神的指導者であるヒクマト・アル=ヒジリ(Hikmat al-Hijri)は、シャラーとその同盟者を「彼らは偽善者だ」と表現した。これは、ムハンマドのメッセージに反発した者を指す宗教的に強い言葉である。「中央集権には反対だ」と述べるアル=ヒジリや同宗派の者たちは、自らの遠隔地にある州を支配する能力を持たない弱い中央政府を前提としており、彼らの権力と自治の要求はこの現状に強く影響されている。

一方、アラウィ派は異なる問題に直面している。シリアの元支配的少数派である彼らは、隣国イラクで米国によって転覆されたスンニ派エリートとの共通点が少ない。スンニ派はアラブ世界およびイスラム世界全体で多数派を占め、イラクのスンニ派少数派はシーア派多数派に対して支配する権利があると信じ、その正当な地位の回復を求めて声を上げた。シリアのアラウィ派は、同様の野望を持つことができない。それでも、一部の者は、2003年の米国によるイラク侵攻後にイラクのスンニ派少数派が行ったように、反乱を起こそうと試みている。しかし問題は、アラウィ派少数派がイラクのスンニ派少数派よりもはるかに小規模であり、歴史的に分裂しているため、統一された戦線を形成することが困難である点にある。

政府とこれらの少数派グループとの最近の衝突はシリアを揺るがし、新政府への国民の信頼を損なっている。しかし、宗派間の対立にもかかわらず、シャラーは多くのアラブのスンニ派の支持を得ている。熱心なムスリムは、無神論的なバアス党(Ba’ath Party)が崩壊したことで宗教が再び公的生活に戻ったことを支持し、彼を支持している。また、彼が物価を下げたことを理由に支持する者もいるが、シャラーが米国のドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領のように市場を動かすことができるという証拠はほとんどない。

反米主義(Anti-Americanism)と強烈な反イスラエル主義(Anti-Israelism)は、アサド独裁時代のバアス主義(Ba’athism)の中心的な柱であった。アサドとその父親は、この過激な教義を、国内の失敗や少数派支配から国民の目をそらす手段として採用した。

アサド政権下では、シリアはイスラエルによるイランへの攻撃を最初に非難し、イスラエルと戦う意志を持つ者に対して声高に、また物資的に支援を提供すると予想されていた。しかし今日、シリア人はより内向きになり、地域的な出来事よりも国内の癒しに関心を持つようになった。アサドの退陣以来、イスラエルはシリア領土にますます侵入しているが、多くのシリア人は隣国として通常の関係を維持できることに満足している。

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参考文献:

1. Between Fear and Hope in Syria
2. “Living Between Hope and Fear”: Testimonies Documenting the Persistence of Enforced Disappearance in Post-Assad Syria

 

作品情報:

名前:Syria: Between Hope and Fear(希望と不安のはざまで)
監督:Jahouar Nadi、Yael Goujon、Apolline Convain
制作国:フランス
製作会社Les Films du Balibari
時間:52分
ジャンル:ドキュメンタリー

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