映画:「ペルー、水と巡る道」で触れる環境保護のための先住民の叡智

(Photo:difusión)

水は、すべての生命にとって不可欠な存在であり、人間を含むいかなる生物も、それなしに生存することは不可能である。しかしながら、今日においてこの根源的資源の存在は、深刻な脅威にさらされている。監督フアン・デュラン・アグルト(Juan Durán Agurto)は、自身の作品に関するプレスリリースにおいて「水は命の源であるということを、今こそ私たちは自覚すべきである」と述べている。

ペルー社会は、伝統的に水と大地への敬意を基盤として発展してきたが、同時に「水は今や緊急の資源となっている」と監督は指摘する。すなわち、水資源は無秩序な森林伐採や、責任を欠いた鉱業・工業活動の影響を最初に被る存在であり、それによる汚染は生命そのものを脅かす要因となっている。現代社会においては、水に対する敬意が希薄になっている。その結果、水資源は搾取され、汚染されている。こうした状況は、持続可能な社会の構築にとって重大な課題であるといえる。

 

 

映画作家フアン・デュランは、本作を通じて、先住民族が祖先より受け継いできた知識体系を再評価することにより、水資源、ひいては環境全体の保護に対する批判的かつ責任ある思考の喚起を目指している。そして、それらの伝統的知の中に、現代社会が学ぶべき価値があることを訴えようとした。こうして完成したのが、ドキュメンタリー映画『ペルー、水と巡る道(Yakuqñan Caminos del agua)』である。

ドキュメンタリー作品が、硬直化したメッセージや、しばしば善悪二元論的な構図に陥ることなく観客の心に訴えるのは容易なことではない。しかし、本作においては、それが巧みに実現されている。その理由に環境保護という主題が、広範な観客層にとって共感を得やすい普遍的関心事であること、さらには映像作品としても高い完成度を備えていることが挙げられる。監督はその主題を多様な手法を通じて表現する点においても優れている。

クスコ出身の俳優タニア・カストロ(Tania Castro)は、本作において、先住民族の世界観における精霊的存在である「水(アプ)」の声を担っている。彼女のナレーションは、観客をアンデスからアマゾンへと至る旅へと誘う。物語の中心となるのは、川と山の資源に依存して暮らす諸共同体である。物語は海から始まり、雪を戴く山岳地帯やアマゾン河川流域の風景へとダイナミックに移行しながら展開していく。そこでは、漁に従事する人々や、高地アンデスで農作業に励む農民、アマゾン密林を行き交う住民の生活風景が描かれる。

観客はまた、毎年6月に再建される吊り橋ケスワチャカ(Queshuachaca)をはじめとした儀礼的な実践や、各地の祭礼、さらに鉱業・林業資本、そして違法業者の脅威に対して抵抗を続けるアワフンの家族の姿を目の当たりとする。山岳地域では、近代化によって消滅したと見なされていた神話的存在であるアラリワ(Arariwa)とその妻の伝説が紹介されるが、それはクスコ高地の共同体の中において今もなお生きている。一方、豊かな水資源を有するアマゾン地域においては、へレミアス(Jeremias)とオリンダ(Olinda)という二人の人物が、自らの森や川、そして受け継がれてきた文化的遺産を汚染から守ろうとする姿が描かれる。

本作には、ナレーションに加え、クスコ出身のソプラノ歌手ソニア・カワナ(Sonia Ccahuana)も参加しており、聴覚的表現においても作品の美的完成度に寄与している。

 

 

先住民コミュニティに属する男女の証言は、監督フアン・デュランの提示する主張に具体性と説得力を与えている。本作が、いかに正論であっても陥りがちな押しつけ的なメッセージ性に依存することなく、説得力ある構成を実現している背景には、ケチュアやアワフンをはじめとする先住民族の声を主軸に据え、彼らの語りを尊重しながら描写している点が挙げられる。本ドキュメンタリーは、彼らを単なる語り手としてではなく、祖先からの知を継承する者として、さらにはその知識に基づいた環境保護の実践者・専門家、そして自然の守護者として位置づけている。こうした視座は、しばしば先住民が直面している構造的暴力――鉱業、石油・ガス開発、大規模農業など、合法・違法・非公式を問わない搾取的経済活動に伴う影響――に対する現実認識とも結びついている。

特筆すべきは、本作の脚本が都市的・近代的な視点からありがちな「先住民=被害者」という一元的構図を脱却している点である。もちろん、先住民が被害を受けているという事実そのものが否定されているわけではない。しかしながら、それに焦点を限定するのではなく、彼らを能動的な主体として描いている。本作はむしろ、「日々大地とともに生き、生命の権利のために闘う人々への賛辞」であり、「彼らは私たちに、水について思索すること、水を意識し、敬意を払い、保護すべき存在として大切にすることの必要性を訴えている」と、デュラン自身も述べている。

デュランはまた、1970年代に自身が記録として撮影した白黒映像を、作品の中に効果的に挿入している。これらの映像は、当時のドキュメンタリー映画に典型的なスタイルを持ちつつも、本作の脚本と自然に調和しており、映像作品としての構成において、視覚的二部構成を形成する要素として機能している。カラー映像の場面では、ドローン技術の可能性が十全に活用されており、監督の優れた審美眼が、対象となる風景や人々の営みに宿る色彩を最大限に引き出している。こうした映像表現の完成度は、本作が単なる記録映像の域を超えた、美術的・思想的達成を伴う作品として成立していることを示している。

 

 

本作は、先住民族が保持する知識体系を「科学的知」として評価しつつ、それが信仰・神話・儀礼といかに不可分な関係にあるかを明示している。作中において「専門家」あるいは「科学者」として位置づけられるのは、各コミュニティに属する賢者や祭司であり、観客は彼らの語りを通じて、それぞれの民族が有する独自の世界観と自然観に触れることになる。

こうした知識は、しばしば外部からは魔術的、あるいは宗教的な空想として片付けられがちであるが、本作はそれを単なる神話的言説としてではなく、実践的・経験的知として再評価する視座を提供する。そのことは、我々が依然として無自覚のうちに抱える植民地主義的思考の残滓――すなわち、非西洋的知を非合理・非科学的として切り捨てる傾向――に対する批判的省察を促す。

また、本作は、監督が選定した地域に居住していない観客にとっても、環境認識に関する新たな知見を与える。たとえば、「強い日射は雹の発生を伴う可能性がある」といった自然現象における因果関係の観察、あるいは「農地は輪作するべきである」「水は飲料や灌漑にとどまらず、建築においても不可欠な要素である」といった実践的知識は、いずれも世代を超えて蓄積されてきた経験に基づく知であり、現代においても高い妥当性を持つ。

さらに、「水とは、アプ(山の霊的存在)が私たちの幸福のために放つ尿である」「最初に産まれた鶏の卵(ドンセジャ・ルントゥ)は水の到来と結びついている」といった語りは、先住民族の宇宙論的想像力と象徴体系の一端を示すものであり、自然環境と霊的存在、共同体と人間との間に存在する不可分の連関を明らかにする。そこでは、労働行為は単なる経済的営為ではなく、宗教的儀礼として再解釈され、神聖化される。

先住民族の知識と世界観は、近代科学とは異なる認識論的枠組みに基づきながらも、自然との共生を基盤とする高度に洗練された知的体系である。このような視点は、国際連合(国連)においても繰り返し強調されており、たとえば国連食糧農業機関(FAO)や国連先住民族問題常設フォーラム(UNPFII)は、先住民族が保持する伝統的知識が生物多様性の保全や持続可能な資源管理において極めて重要な役割を果たしていることを認めている。

他の映画作品等の情報はこちらから。

#ペルー映画祭

 

参考資料:

1. “Yakuqñan, caminos del agua”: el nuevo documental peruano que puedes ver en streaming
2. [Festival de Lenguas Originarias 2023] «Yakuqñan, caminos del agua»
3. Yakuqñan, caminos del agua, por Sandro Mairata

 

作品情報:

名前:  ペルー、水と巡る道(Yakuqñan. Caminos del agua)
監督:  Juan Duran
脚本:     Juan Duran
制作国: ペルー
時間:  82 minutes
ジャンル: ドキュメンタリー
 ※日本語、スペイン語字幕あり

 

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