映画:『私はタニア』でしるタニアは一人ではないと言うことを

ジャーナリストで作家のブルネラ・ティピスマナ(Brunella Tipismana)は、EmpoderArteのブログにおいて本作を次のように分析している。

フィクションとドキュメンタリーの境界は、すでに長らく修辞的かつ相対的なものである。映画言語を創造的に操作することで、映像にさまざまな「作為」の度合いが加わり、ドキュメンタリーに期待される「自然さ」や「介入のなさ」の感覚を弱めたり、変化させたりすることが可能である。部分的にはフィクションのように見えることもあれば、その逆もまた然りである。その一例が『私はタニア(Con el nombre de Tania)』である。

 

ペルー出身のマリー・ヒメネス(Mary Jiménez)とベルギー出身のベネディクト・リエナール(Bénédicte Liénard)によって制作された本作は、まるで抜け殻のようになってしまった登場人物とそのオフナレーションによって始まる。主人公の名前は「タニア」と言う。しかし、それが本名かどうかは明かされず、彼女のアイデンティティはすでに失われている。

タニアは、自らを育ててくれた祖母の葬儀費用として500ソルを必要としていた。そのため、その金銭の貸与と引き換えに、仕事のオファーを受け入れることとなる。仕事をすれば借金は減少し、その労働に対する対価が支払われるはずであった。しかし、ペルーの鉱山地帯などで蔓延する売春や人身売買のビジネスは、「働けば働くほど借金が増える」仕組みになっている。

膨れ上がる彼女の借金を誰かが肩代わりしてもらうということは、彼女自身の「所有権」を担保として差し出すことを意味する。こうして少女たちは「所有物」として人から人へと売買され、どこまで行っても搾取の対象であり続ける。このような「ビジネスモデル」は、金鉱山や石油開発など、自然資源の搾取を前提とする経済活動と深く結びついている。

このようなビジネスの中で、若い女性が突然失踪したり、衰弱しきった姿、あるいは数日後に水路でうつ伏せに発見されるといった現実は、残念ながら決して稀なものではない。名もなき少女たちに対するフェミニサイド(女性に対する殺人)や失踪は、時にニュースでセンセーショナルに報じられるが、その多くは不可視のままであり、やがては統計の数字の一つに過ぎなくなってしまう。

本作は、そのようなビジネスに巻き込まれた人々の過酷な経験や現実を描いている。ドキュメンタリーとフィクションを掛け合わせて制作されたが、ここで語られる「タニア」の物語は、同様の体験を経た多くの少女たちの証言をもとに構成されたものである。作中においては、断片的なフレーミングを通じかつての喜びと現在の悲しみを目撃することとなる。監督たちはピントを外すことで、安易な身体の消費的描写を避けている。

 

 

映画作成の背景

監督たちは映画作成の背景を以下のように語っている:

『私はタニア』の核心には、貧困のスパイラルがある。このスパイラルは男女を問わず、性やその他の形態の奴隷労働の罠へと引きずり込み、最終的には肉体的・精神的な崩壊に至らせるものである。

私たちは前作『Sobre las brasas(熾火の上で)』の制作のためにペルーに滞在していた際、アンデスの先住民たちが金鉱山地帯で搾取されている実態、そしてそこに連れてこられた若い少女たちが鉱夫たちの“相手”を強制されている状況を知った。

強制売春から逃れた少女たちの証言を何十件も読んだ。そこには、言葉では表現しきれない恐怖が、荒々しい表現で綴られていた。しかしその下層には、まるでひとつの世界が目の前に現れるかのような、強烈な臨場感があった。

人間が人間に対して行いうる野蛮さ、痛み、絶望——それでもなお存在し続ける「生きたい」という意思。そうした要素が、映画としての強烈なドラマ性を備えていた。

私たちは、それらの証言をひとつに束ね、いくつかの物語を組み合わせたうえで、ひとりの少女の旅という形で映画を構成した。

彼女の物語は、多くの少女たちの物語の象徴である。本作は、そうした少女たちを飲み込むシステムの歪みと、それによって引き起こされる苦しみの諸相を明らかにすることを目的としている。

 

報道も映画も、人身売買の生存者たちが内包する広大な苦しみや複雑な経験のすべてを表現することはできない。この作品はこうした暴力について語る際に直面する語彙の限界に対するまなざしでもある。

本作は、一人の女性の人生における決定的な瞬間を描いている。彼女は生き延びるために、自らを「消し去る」ことを選ばざるを得なかった。しかし、救出された現在においては、「生きるために」自らを再構築することが求められている。

主人公はそのことを理解しており、だからこそ物語の終盤では、彼女自身と、生存のために創り上げたもう一人の自分「タニア」が一つに統合されていく。終盤直前のシーンでは、川――過去の象徴であり、未来への道でもある――が彼女の前に開かれる。

#ペルー映画祭

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参考文献:

1. Con el Nombre de Tania

 

作品情報:

名前:私はタニア(Con el nombre de Tania)
監督:Mary Jiménez、Bénédicte Liénard 
脚本:Mary Jiménez、Bénédicte Liénard制作国:ベルギー、オランダ、ペルー(合作)
製作会社:Clin d’oeil films(プロデューサー:Hanne Phlypo) 時間:85 分 ジャンル:ドキュメンタリー(ハイブリッド形式:ドキュメンタリーとフィクションの融合) 
※日本語字幕あり

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