『アイム・スティル・ヒア(Ainda Estou Aqui)』は、ブラジル映画として初めてアカデミー賞最優秀国際映画賞を受賞した作品である。さらに、最優秀作品賞にもノミネートされ、主演女優フェルナンダ・トレス(Fernanda Torres)の演技は評価され、ゴールデン・グローブ賞を獲得した。
本作品は、マルセロ・ルーベンス・パイヴァ(Marcelo Rubens Paiva)が2015年に出版した著書(同名)を基にしている。マルセロは失踪したルーベンス・パイヴァ(Rubens Paiva)の息子であり、映画は1970年代のブラジル、特に軍事独裁政権下でパイヴァ家に訪れた悲劇的な物語に関するものである。物語は、ルーベンスの妻ユニス(Eunice Paiva)とその子供たちがどのようにして彼の失踪や、その後の苦しみに向き合い、戦っていったのかに焦点を当てている。映画と小説の主人公は、マルセロ・ルーベンス・パイヴァの母親であるユニス・パイヴァである。ユニスは弁護士であり、夫ルーベンスの最期の真実を明らかにするために果敢に戦ってきた。彼女はその過程で12日間も投獄されることとなったが、最終的にはブラジルの軍事政権に対する抵抗の象徴となった。ユニスは2018年に86歳で亡くなるまで、その闘いを続けた。一方のマルセロは「文学は敗者の証言である」と述べ、70年代の苦しい時代を生きた自分たちがその歴史を語り継ぐ役割を果たすべきだと語っている。この言葉は、同じ時代を生きた多くのブラジル人の心情を代弁している。ブラジルの過去の痛みを忘れることなく、記憶を守れるようにと映画は作成されている。
ユニスの夫でマルセロの父ルーベンス・パイヴァは、1950年代にエンジニアとしての職業を持ちながら、1962年にブラジル労働党(PTB)から連邦議員に選出された。しかし、1964年の軍事クーデター後、彼は議員の職を失い、自ら亡命することとなった。亡命先で政治活動を続け、帰国後もかつての仲間たちとの連絡を絶やさなかった。しかし、1971年、元軍人のカルロス・ラマルカ(Carlos Lamarca)で、ブラジルの革命的ゲリラ組織「革命的人民前衛(Vanguardía Popular Revolucionaria)」の指導者との関係を理由に、再び軍事政権に逮捕されてしまうのである。
軍事政権の成り立ち
『アイム・スティル・ヒア』は、上述の通り、連邦議員であったルーベンス・パイヴァの失踪事件をきっかけに変わりゆく家族や、彼に何が起きたのかを知ろうと闘う人々の物語である。軍事政権下での「失踪」は、数十年経った今もなお解決を見ていない。ルーベンス・パイヴァは1971年1月20日、ブラジル軍事独裁政権の治安部隊によってリオデジャネイロの自宅から強制的に連行された後、一度も帰宅することはなかった。彼の死亡証明書は、失踪から25年後の1996年に家族に渡されるが、その証明書には死因が記載されていなかった。パイヴァの家族は、彼が拷問を受けて死亡したことを強く信じており、その後の長い年月にわたって彼の失踪の真相を求める闘争を続けてきた。ルーベンス・パイヴァの物語は、ブラジルの軍事独裁政権時代における最も劇的なエピソードの一つとして語られてるが、このような失踪事件は、多くの市民が直面した不正義と人権侵害の一部であり、現在もその記録と真実を追求する動きが続いている。
軍事政権は、1964年3月31日から4月1日にかけて起きた軍事クーデターによって始まった。その後、ブラジルは実質的に一党支配の軍事政権下に置かれることとなる。クーデターでできた政権は当初予想されたよりも長期間続くこととなった。政権はナショナリズムと反共産主義を基盤にして21年間にわたり強化され、次第に権威主義的な体制が築かれていった。
1967年には1946年の憲法が改正され、新たな憲法が施行された。これにより、議会の解散、市民的自由の抑制、そして新たな軍事刑事手続法の創設が行われた。1968年に公布された第5号機密法(AI-5)は、政権の権力を一層集中させ、反体制派に対する徹底的な弾圧を可能にした。この法案により、軍と警察は疑わしい人物を追跡し、自由に逮捕・投獄する権限を得ることとなり、司法の監視や介入が排除された。
軍によるクーデターは1964年4月2日、国民議会が大統領の空位を宣言することから始まった。その後軍事政権(いわゆる革命最高司令部)が結成され、4月4日にジョアン・グラル(João Goulart)大統領が亡命を余儀なくされ、代わりに下院議長であったラニエリ・マジッリ(Ranieri Mazzilli)が一時的に大統領の職務を引き継いだ。その後、1964年4月15日にはアンベルト・デ・アレンカール・カステロ・ブランコ(Humberto de Alencar Castelo Branco)将軍が議会によって正式に大統領に選ばれ、軍事政権の支配が本格的に始まった。この時代はブラジルにとって最も悲劇的な時代であり、言論の自由が制限され、メディアへの検閲が徹底的に行われた。さらに、拷問や亡命が常態化し、ギルベルト・ジウ(Gilberto Gil)、チコ・ブアルキ(Chico Buarque)、カエタノ・ヴェロゾ(Caetano Veloso)など、ブラジルを代表するアーティストたちも国外追放されることとなった。
軍事政権は、ラテンアメリカの他の独裁政権にも影響を与えた。軍事介は「国家安全保障ドクトリン」という理論に基づき、人権侵害や軍事的弾圧は「国家の安全を守るために必要不可欠な行動」として正当化された。実際、アルゼンチン、チリ、ウルグアイなど、他の南米諸国でもこの理論を採用し、独裁政権が強化されることとなった。この時期は「鉄の時代」つまり「アニョス・デ・チュンボ(años de chumbo)」として知られ、最も抑圧的な時代として記憶されている。
このような背景のもとで、多くの市民運動家、政治活動家、知識人が弾圧の対象となり、拷問や失踪、暗殺が続き、ブラジル社会には深い傷が残った。軍事政権下での政治的弾圧と社会的不安定の中で、ルーベンス・パイヴァを含む多くの政治家や活動家は、1971年にカルロス・ラマルカとの関係を理由に逮捕され、拷問の末に命を落とした。
死亡証明書の修正
映画がオスカーにノミネートされた同じ時期、ルーベンス・パイヴァの家族は新しい死亡証明書を受け取ることとなった。この新しい証明書は、国家司法評議会(Consejo Nacional de Justicia:CNJ)の決定に基づいて発行されたものである。この修正は、ブラジル国家が1964年から1985年までの独裁政権下で行われた拷問と殺害の事実を認め、その記録を訂正するよう義務づけた決定に基づいて行われた。
死亡証明書の修正は真実委員会(Comissão Nacional da Verdade)の活動の一部でもある。真実委員会は、2011年に設立され、2014年に解散したブラジルの重要な機関で、その目的は、ブラジルの軍事独裁政権下で発生した人権侵害の事実を調査し、被害者の証言を集めることであった。委員会は、州政府、政府機関、人権団体、そして被害者の家族などで構成されていた。その調査によると、軍事政権下で少なくとも434人が犠牲となり、また行方不明となったとされていた。国家司法評議会の決定は1970年代に軍事政権によって殺害された202名の被害者の死亡証明書の訂正と、さらに行方不明者232名の公的記録が公開である。なお拷問を受けた者の中には、元大統領のジルマ・ルセフ(Dilma Rousseff)もいた。
死亡証明書の変更は、各地の戸籍事務所で行われるべきとされており、過去の不正義に対する認識と、歴史の修正を求める動きが続いている。初めて死因が記載されていたパイヴァの死亡証明書には「死因は不自然で、暴力的であり、ブラジル政府によって引き起こされたもので、1964年に権力を握った軍事政権に対する弾圧の一環として、政治的に異議を唱える者を体系的に迫害した結果としての死」と明記されている。
ヴラディミール・ヘルツォグ(Vladimir Herzog)研究所の所長であるロジェリオ・ソッティリ(Rogério Sottili)は、ルーベンス・パイヴァをはじめとする多くの犠牲者の家族の闘争が、ブラジルの民主主義の基盤を形成する重要な要素であることを強調している。特に、ユニス・パイヴァやヘルツォグの妻クラリス(Clarisse Herzog)などの女性たちが、この歴史的な闘争を牽引してきた英雄として讃えられている。この死亡証明書の訂正は、ブラジルの過去の圧政に対する一歩前進を意味し、社会的な正義を求める活動の重要な成果といえる。また、この取り組みは、ブラジル社会が歴史の闇を直視し、過去の不正義を認めて償うための重要な一歩となっている。
真実を求めて
1980年代、この地域の他の軍事政権と同様、ブラジル独裁政権も、経済を刺激し、インフレを抑制し続けることができなくなり、揺らぎ始めた。将軍たちが権力を離れるまでに、インフレ率は231%に達した。そこで民主化運動が生まれ、政権による、また政権に対する政治犯罪を赦免する恩赦法が可決され、1985年には初の民主的選挙が実施され、文民と軍人の候補者が立候補した。その後、1988年に新憲法が制定され、民主主義への道が完全に開かれた。
これらの過程で、真実委員会の活動は過去の痛みを再確認し、ブラジル社会の歴史的な和解への第一歩を象徴する重要な役割を果たした。また、その調査結果と証言は、今後のブラジルの人権運動や政治的対話において重要な指針となっている。
1985年にはブラジルで民間人と軍人が候補者となる最初の民主的選挙が実施され、軍事政権から民主主義への移行が果たされた。しかし、民主化の過程で、過去の軍事政権下での政治犯に対する免責を保障するアムネスティ法(特別赦免)が制定され、独裁政権時代に政治犯罪を犯したとして告発されたすべての人(政治的反体制派と軍人の両方)に対する責任が免除された。この法律は、また、「独裁政権時代に行われた抑圧行為に関与した人たちの自己慰謝の一形態」に相当するものとなった。
1988年には新憲法が制定され、ブラジルの政治体制は完全に民主化され、市民の権利と自由を保障することが定められた。この憲法は、軍事政権下で失われた民主的自由を取り戻すための法的枠組みを提供し、今日のブラジルの政治と社会の基盤を形成している。
軍事政権時代の正義は今もブラジル社会で議論を呼んでいる。ジルマ・ルセフ政権下で設立された真実委員会(2011年~2014年)は、数多くの被害者と証人の証言を集め、一部の加害者にも聴取を行い、377人の責任者を特定した。それにもかかわらず、そのいずれもが有罪判決を受けていない。ブラジル軍は委員会に対し拷問や殺害があったことさえ否定した。ルーベンス・パイヴァの事件も、これまで法廷で正義が果たされたことはない。2014年、連邦検察庁(Ministerio Público Federal:MPF)は、すでに退役した5人の軍人、ホセ・アントニオ・ノゲイラ・ベルハム(José Antônio Nogueira Belham)、ジャシー・オクセンドルフ・エ・ソウザ(Jacy Ochsendorf e Souza)、ルーベンス・パイム・サンパイオ(Rubens Paim Sampaio)、ジュランディール・オクセンドルフ・エ・ソウザ(Jurandyr Ochsendorf e Souza)、レイムンド・ロナウド・カンポス(Raymundo Ronaldo Campos)を、彼の殺害で起訴した。しかし、この事件は現在、連邦最高裁判所(Supremo Tribunal Federal:STF)で停滞している。最新の動きとして、アレクサンドレ・デ・モラエス判事が2023年11月にこの事件の資料を検察総局に送付したものの、まだ返答を受け取っていないという状況である。この事件が連邦最高裁判所に持ち込まれたのは2021年であり、それまでにあった上級裁判所(Superior Tribunal de Justicia:STJ)の決定が覆され、検察の上訴が行われた。
こうした進展の中で、映画『Todavía Estoy Aquí』の成功が新たな光を当て、社会的な注目を集めている。この映画は、ブラジルの歴史的な傷に対する正義の実現に向けた一助となり、多くの人々がその影響を受け、正義を求める声がさらに強まっている。特に、国立歴史文化遺産院(Instituto del Patrimonio Histórico y Artístico Nacional:IPHAN)は、リオデジャネイロの内部防衛情報センター(Centro de Operaciones de Defensa Interna:DOI)を記念碑として登録する計画を発表した。この施設は、軍事政権時代に数百人が拷問され、殺された場所であり、ルーベンス・パイヴァもその犠牲者の一人であった。
2度と同じことが繰り返されないために
若い世代にブラジルの近現代史を学ばせ、同じ過ちが繰り返されないようにすることを目的としたマルセロ・ルーベンス・パイヴァの本書籍は、ブラジル北東部のピアウイ州とバイーア州の公立学校で無料配布されている。この取り組みは、教育を通じて軍事政権の歴史とその影響を次世代に伝える重要なステップであり、過去の誤りを再び繰り返さないための予防策として位置づけられている。
また、軍事政権の被害者の子孫や孫たちがSNS、特にTikTokを活用して「記憶の運動」を広めている。彼らは、自身の親や祖父母が軍事政権によってどのように迫害され、失われたのかを公表し、社会全体にその歴史を再認識させようと試みている。これらの活動は、過去の痛みを乗り越えるための重要な一歩であり、正義を求める声を上げ続けている。彼らはブラジル社会が、今こそその正義を実現する準備が整ったと信じており、社会全体での認識の変化を期待している。
先住民族コミュニティも声を上げ始めている。独裁政権に関する真実委員会が公表した調査の中には、アマゾンの先住民族であるワイミリ・アトロアリ(Waimiri-Atroari)に対する、長らく忘れ去られてきた虐殺事件も含まれている。1960年代から70年代にかけて、軍事政権はアマゾン地域をその政策の柱の一つと位置づけ、アマゾン横断道路BR-174(マナウス〜ボア・ヴィスタ)の建設が進められた。その過程で、およそ2,000人が殺害されたとされている。真実委員会の最終報告書は、軍事政権下で8,000人以上の先住民が殺害されたと推定しており、その影響は甚大だった。このため、報告書では先住民真実委員会の設立が勧告されたが、これまで一度も実現していない。
ブラジル先住民連合(Articulación de Pueblos Indígenas de Brasil:APIB)の政治顧問であるパウリーノ・モンテホ(Paulino Montejo)は、「私たちにとって状況は依然として深刻である。今日でも、国会によって事実上合法化された形で、私たちの領土への侵入、搾取、略奪が続いており、私たちはその犠牲になっている。現在の国会は、ブラジル社会、特に私たち先住民族に対して敵対的な存在である」と、「移行期正義、賠償、そして独裁政権が先住民族に対して犯した犯罪の再発防止」に関する集会で語った。また、先住民族女性全国連合(Articulación Nacional de Mujeres Indígenas)のブラウリナ・バニワ(Braulina Baniwa)は、「教育、保健、土地の境界画定について議論するのと同じように、記憶と正義についても私たち自身が議論する必要がある。そうしなければ、常に他者が私たちの代わりに発言することになる。この歴史の一章を語るということは、子どもたちのために、痛みのない未来を考えることなのだ」と述べた。
マルセロ・ルーベンス・パイヴァの姉であり、現在サンパウロ大学で教鞭を取っているヴェラ・パイヴァ(Vera Paiva)は、映画『アイム・スティル・ヒア』の成功を「私たちが何千ものブラジルの家族と共に経験してきた多くの瞬間に対する償い」だと感じていると語っている。彼女自身もまた、ジャイル・ボルソナロ(Jair Bolsonaro)元大統領に対して強い批判を繰り広げており、彼を「凡庸な人物」と評した。さらに、2014年に彼が国会議員だった頃、国民議会に設置された父親の胸像の除幕式当日に、それに唾を吐きかけたことを思い出して語った。
ヴェラは映画のオスカーへの「このノミネート(候補入り)は、愛する人を迫害され、拷問され、殺されたすべての何千もの家族、そして何よりも、私たちのように遺体を埋葬する機会すら与えられなかった人々へのオマージュ」と語った。
この映画とその背後にある物語は、ブラジルの歴史における最も暗い時代—軍事独裁政権時代—における家族の苦しみと闘いを再評価させ、現在のブラジル社会に強いメッセージを発信している。映画は単なる過去の記録にとどまらず、暴力と抑圧によって失われた命への記憶を保持し、正義を求め続ける重要性を再確認させるものだ。
『アイム・スティル・ヒア』のアカデミー賞は映画とその俳優たちを称えるだけでなく、これまで歴史の中で正義を与えられることのなかった人々に、新たな声を与える可能性を秘めている。
他の映画作品等の情報はこちらから。
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参考資料:
1. El caso real de desaparición retratado en la película brasileña ganadora del Oscar a mejor filme internacional y que sigue sin resolverse décadas después
2. El asesinato de Rubens Paiva, diputado brasileño que inspiró la película ganadora del Oscar
3. Actualizan certificado de defunción de Rubens Paiva: “muerte violenta”
4. La historia del diputado brasileño asesinado en dictadura que inspiró la película “Todavía estoy aquí”, nominada al Oscar
5. Marcelo Rubens Paiva, la memoria indomita
6. 映画『アイム・スティル・ヒア』の裏にある軍事政権の悲惨な歴史
作品情報:
名前: アイム・スティル・ヒア(Ainda Estou Aqui)
監督: Walter Salles
脚本: Murilo Hauser、 Heitor Lorega
制作国: ブラジル、フランス
製作会社:VideoFilmes、RT Features、MACT Productions、Arte France Cinéma、Conspiração Filmes、Globoplay
時間: 138 minutes
ジャンル:政治的伝記ドラマ
※日本語字幕あり
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