アレキパ(Arequipa)出身のジャーナリスト、ダンテ・E・セガラ・ロペス(Dante E. Segarra López)の著書『魂の恩恵者(El Benefactor del Alma)』を基に制作された歴史宗教ドキュメンタリー「勇気と聖性:ソル・アナ・デ・ロス・アンヘレス(Coraje y Santidad: Sor Ana de los Ángeles)」は、多くの聖人を題材にした作品を数多く手がけてきた監督ルベン・エンジアン(Rubén Engian)が監督した作品である。
主人公のアナ・モンテアグド・ポンス・デ・レオン(Ana Monteagudo Ponce de León)は、ペルー・アレキパ出身のカトリック修道女で、ドミニコ会に属していた。彼女は「アナ・デ・ロス・アンヘレス・モンテアグド(Ana de los Ángeles Monteagudo)」としても知られている。
アナは3歳の時、教育と指導のためにサンタ・カタリナ修道院(Monasterio de Santa Catalina)に預けられた。当時の修道院での教育は、主に道徳や宗教に関するものであった。アナが14歳頃になると、両親は彼女が結婚適齢期に達したと考え、サンタ・カタリナ修道院から連れ戻し、社会生活に戻すことを決めた。しかし、家に戻ったアナは、これまで修道院で送っていた生活を変えることなく続けた。自室を祈りと労働の場とし、毎日黙々と祈り、家事も怠らずにこなしていた。
ある日、アナが自室で瞑想していたところ、幻視の中にシエナの聖カタリナ(Santa Catalina de Siena)が現れ、神の言葉を伝えた。聖カタリナは「アナ、わが娘よ。この修道服はあなたのために用意されたものである。すべてを捨てて神に従いなさい。私は約束する、何も不足することはない」と告げたという。これは、霊的な戦いに備えるようにとの示唆であり、敵(悪魔)の策略があっても、神の助けにより最終的には勝利を得るという慰めでもあった。
この幻視に力づけられたアナは、再びサンタ・カタリナ修道院へ戻る最も確実な方法を探し始めた。両親は彼女を説得しようとし、宝石などを贈って翻意させようとしたが、アナはすべてを拒絶した。父親はやがて娘の決意を受け入れて支持するようになったものの、母親は強く反対し、ついに彼女の家出を禁じた。アナは1616年にドミニコ会に志願者として加わり、1618年には正式に修道女となった。
本作品は、『魂の恩恵者』に加え、1686年に行われたソル・アナの列福審査過程の証人宣誓書をまとめた文書『Positio super virtutibus』など、これまで公開されてこなかった資料も取り入れられ作られた。また、アレキパ大司教ハビエル・デル・リオ・アルバ(Javier del Río Alba)や、ソル・アナの列聖推進者ローザ・エルビラ・カセレス(Rosa Elvira Cáceres)修道女など宗教関係者や歴史家の証言、さらに列福者のもとを訪れ病気や事故を乗り越えた人々の証言も収録されている。観る者は本作を通じて、ソル・アナの生涯や精神性、教え、さらには彼女による奇跡に触れることができる。
アナは、一部の証言や研究によれば、1604年7月26日に生まれたとされている。しかし、正確な生年月日は確認されていない。なぜなら、彼女の洗礼証明書は1620年にアレキパの大教会(La Catedral de Arequipa、現在のカテドラルの前身)の聖具室で発生した火災によって焼失したからである。
彼女は8人兄弟の4番目であり、父はスペイン人のセバスティアン・モンテアグド・デ・ラ・ハラ(Sebastián Monteagudo de la Jara)、母はペルー人のフランシスカ・ポンス・デ・レオン(Francisca Ponce de León)である。兄弟姉妹の名前は、フランシスコ(Francisco)、マリアナ(Mariana)、カタリナ(Catalina)、アナ(Ana)、フアナ(Juana)、イネス(Inés)、アンドレア(Andrea)、セバスティアン(Sebastián)で、判明している限りでは、フランシスコは司祭となり、マリアナはガブリエル・ロペス・デ・パストラナ(Gabriel López de Pastrana)と結婚、カタリナはゴンサロ・タマヨ(Gonzalo Tamayo)と、イネスはベルナルディノ・デ・メネセス(Bernardino de Meneses)と結婚した。その他の兄弟姉妹については記録がなく、当時アレキパを襲った疫病によって亡くなったものと考えられている。
奇跡と予言
アナ・デ・ロス・アンヘレス修道女は、煉獄にある魂(las almas del purgatorio)との深い結びつきを持っていたとされている。彼女の予言は主に死に関するものであり、親しい人物の病気や死を予見することがあった。ある者には回復を予言し、別の者には死の訪れを告げた。
こうした予言は多くの場合、周囲から否定的に受け取られ、不信や懐疑の目で見られることもあった。しかし、生前に彼女を知っていた者たちは、彼女の予言が68件にのぼり、すべてが的中したと証言している。
さらに、彼女の生涯には予言にとどまらず、さまざまな超常的現象や奇跡が伴っていた。アナ修道女は、ただ信仰に生きただけでなく、その存在そのものが神秘的であり、多くの人々の信仰と尊敬を集める存在であった。
晩年
アナ・デ・ロス・アンヘレス修道女は、晩年を視力を失ったまま過ごした。歩行も困難であったが、そのことを一切嘆かず、不運だと感じることもなかった。どんな治療もその激しい痛みを和らげることはできなかったが、彼女はすべてを主の御心(la voluntad del Señor)として謙虚に受け入れ、揺るぎない献身と神への完全な信頼の模範として生きた。
彼女の姿を描いた肖像画は一枚だけ残されている。それが後世に伝わる唯一かつ真正の彼女の顔の記録である。彼女が生前、世俗的な栄誉を避けていたためである。
この絵を描いた画家は、数日間苦しんでいた激しい痛みと全身のむくみがありながらも修道院を訪れ、キャンバスに彼女の姿を描いたという。絵を描き終え玄関に向かう途中、画家の病が突如として癒えたというエピソードが残っている。これはまるで奇跡のような出来事であったという。
アナ・デ・ロス・アンヘレスは、1686年1月10日に帰天した。遺体は芳香を放っていたため、防腐処置のは必要なかった。彼女は生涯を過ごした修道院の聖歌隊席の土の床に埋葬された。
アナの信仰心と勤勉さ、そして純粋さへのこだわりは非常に強かった。時には司祭たちに対してさえ、神を敬うようにと注意を与えたほどであった。彼らに心の清さと魂の純潔を保つよう謙虚に願い出た彼女はまた、ミサの前に手を清めるための香り水を用意するなど、祭壇に関わるすべてにおいて極めて丁寧な準備を行った。アナは自分が聖トマス・デ・ビリャヌエバ(San Tomás de Villanueva)の血縁であることを知ってからは、彼に対する深い信心を抱くようになった。
アナが他界した1月10日は祝日となっている。その理由は、アレキパ出身の母親、マリア・ベラ・デ・ハリン夫人(María Vera de Jarrín)の末期の子宮がんが、医学的に説明不可能な方法で治癒したという出来事に基づく。この奇跡は、アナ修道女の列福への道を開く決定的な出来事となった。この物語は、1931年11月2日、マリア夫人が頻繁に発生する出血のため検査を受けたことから始まる。彼女の健康状態は悪化し、翌年1932年3月10日にはアレキパのゴジェネチェ病院(Hospital Goyeneche)でさらに詳しい検査が行われた。手術の際、医師たちは第3期の悪性腫瘍を確認しており、それが子宮だけでなく骨盤全体に広がっていることも発見している。もはや治療の見込みはなく、治療を断念せざるを得なかった状態だった。ところが、手術からわずか2日後、マリアの容体は急激に回復し始めた。彼女の回復は非常に早く、1か月後には日常生活に復帰できるまでになった。担当医師たちはこの驚くべき回復を「医学的に説明できない(curación inexplicable médicamente)」と診断し、マリア本人や家族、知人たちは、アナ修道女への信仰と祈りがもたらした奇跡的な癒しであると信じた。マリア夫人は1966年に亡くなるまで健康に暮らし、がんの再発は一切なかった。
アナ修道女の聖なる生涯と奇跡の証言は、彼女の死からわずか半年後の1686年7月16日、修道女たちによって列聖調査が開始されるに従って、広く人々に知られるようになっていた。そして、300年近い時を経て、1985年2月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世がペルーを訪問した際、アレキパの地で正式にアナ修道女を列福したのである。
その際、教皇は「今日、アレキパ、そしてペルー全体の教会は、神が謙遜な修道女、アンヘレスのアナ(を通してその民に与えてくださった恵みに対して、特別な形で神を賛美したいと思う」と語っている。
アナ修道女は、その生涯を通じて、祈り、克己、隣人愛に満ちた生活を送った。特にアレキパを襲った疫病の時期には、病人の看護に献身的に尽くした。彼女は苦しみの中でも忍耐と穏やかさを失わず、深い神への信頼と喜びを持ち続けた。その姿勢は多くの人々の信仰を強め、ペルーの霊的遺産の中で今日まで語り継がれている。そのため今も多くの人々が、病気の治癒や子どもが授からなかった夫婦の願い成就を願い、彼女のもとを訪れている。
ソル・アナを演じるのは、青春期、若年期、成人期をそれぞれマリソル・ロドリゲス(Marisol Rodríguez)、アマリス・ペーニャ(Amaris Peña)、ベロニカ・ミランダ(Verónica Miranda)が担当している。撮影は、ソル・アナが生涯を過ごし、亡くなったサンタ・カタリナ修道院で行われた。
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参考文献:
1. SOR ANA DE LOS ÁNGELES
2. Beata Sor Ana de los Ángeles Monteagudo
作品情報:
名前: CORAJE Y SANTIDAD: SOR ANA DE LOS ÁNGELES
監督: Rubén Enzian
脚本: Rubén Enzian
制作国: Peru
製作会社: Enzian Realización Cinematográfica
時間: 90 minutes
ジャンル: Historical Religious Documentary
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