ボリビア:大統領選挙決選投票に進んだのはパスとキロガ、20年にわたるMAS政権は終止符

(Photo:EFE)

左派勢力は、ボリビアの選挙で20年ぶりに敗北し、2人の保守系候補が決選投票に進むこととなった。これは、ボリビア政治における重大な転換点である。2009年に決選投票制度が導入されて以降、これまでのすべての大統領選は第1回投票で決着してきた。

今回決選投票に進んだロドリゴ・パス(Rodrigo Paz)とホルヘ・キロガ(Jorge Quiroga)の顔合わせは、約20年にわたって続いた社会主義運動政権(Movimiento al Socialismo:MAS)の時代を終え、国民が初めて「左派以外の大統領」を選ぶ可能性を示す、歴史的な変化の兆しでもある。

2025年8月17日に実施された総選挙では、左派政党である社会主義運動は、実質的に政治地図から姿を消す結果となった。

 

日曜日に実施されたボリビアの大統領選挙は、きわめて意外な結果となった。まるで終盤に猛追して順位を上げるマラソンランナーのように、中道右派でキリスト教民主党(Partido Demócrata Cristiano)の候補、そして元大統領ハイメ・パス・サモラ(Jaime Paz Zamora)の息子でもあるロドリゴ・パス・ペレイラ(Rodrigo Paz Pereira)が、政治分析の多くで「検討に値しない存在」とまで見なされていたにもかかわらず、得票率32.08%で第1回投票を制した。

ロドリゴ・パスは57歳。1989年から1993年まで大統領を務めたハイメ・パス・サモラの息子であり、2020年からはタリハ県(Tarija)選出の上院議員を務めている。それ以前は2002年から2010年まで下院議員を務め、2015年から2020年にかけてはタリハ市の市長としても活躍した経歴を持つ。

10月19日の決選投票でパスと争うのは、得票率26.94%で2位となった保守派候補、自由連合(Alianza Libre)のホルヘ・「トゥト」・キロガ(Jorge “Tuto” Quiroga)である。国民にとってはおなじみの存在であり、かつて大統領を務めた経験を持つキロガは、右派の中でも最も急進的な立場を代表する人物である。

左派の代表であるアンドロニコ・ロドリゲス(Andrónico Rodríguez)は、得票率8.15%で4位に沈んだ。最大の失望となったのはサミュエル・ドリア・メディナ(Samuel Doria Medina)である。すべての世論調査で首位を維持していたにもかかわらず、得票率は19.93%にとどまり、3位に終わった。与党・社会主義運動(Movimiento al Socialismo:MAS)は歴史的な大敗を喫し、得票率3.14%で6位に沈んだ。

なお、この情報は選挙管理機関である最高選挙裁判所(Tribunal Supremo Electoral:TSE)が発表した、90%以上の開票結果に基づく暫定集計によれば、パスは156万1,000票超、キロガは131万1,000票超を獲得している。

 

今回の選挙は、深刻な経済危機、野党勢力の分裂、そして左派および与党・社会主義運動の内部の亀裂が顕著となる中で実施された。これは、エボ・モラレス(Evo Morales)が創設した政治勢力であるMASの分裂と衰退を如実に示すものである。MASは分裂した状態で選挙戦に突入し、過去20年間にわたりボリビア政治に影響を与えてきた支持基盤を大きく下回る得票にとどまった。

一方で、ロドリゴ・パスとホルヘ・キロガの決選進出は、野党陣営内部の分裂も浮き彫りにした。数か月前には統一候補の擁立を目指す動きがあったものの、最終的には各勢力が分かれて戦う結果となった。

両候補は、経済危機の克服とMAS時代の政治に終止符を打つことを望む有権者の支持を競っているが、そのアプローチには大きな違いがある。パスは刷新志向かつ穏健なスタイルを体現しているのに対し、キロガはより政治的・イデオロギー的かつ保守的なメッセージを打ち出している。

 

投票率は78.55%であった。選挙当日の投票は大きな混乱もなく実施され、米州機構(OEA)および欧州連合(EU)の選挙監視団は、本選挙が平穏かつ「民主的な姿勢」で行われたことを高く評価している。また、ボリビアのルイス・アルセ(Luis Arce)大統領は、選挙の円滑な実施を称賛し、「平和的かつ透明性のある選挙プロセスを保証するために、あらゆる努力を尽くした」と述べた。

ロドリゴ・パス・ペレイラ(Rodrigo Paz Pereira)候補は、支持者を前にした初の演説で、喜びをあらわにしつつ次のように語った。「この結果を実現させてくれたすべての男女に感謝したい。われわれは、世論調査に姿を見せず、存在しないものとされ、声を持たなかった人々の代表である。ボリビアには、これまで顧みられることのなかった人々が存在するのだ」。

一方、ホルヘ・「トゥト」・キロガ(Jorge “Tuto” Quiroga)は、ロドリゴ・パス・ペレイラの選挙戦を称賛し、次のように述べた。「これから先、ボリビアは永遠に自由である。われわれは力と信念、希望、尊厳をもって語った。投票によって、民主主義への信頼をすべての人々に取り戻し、この国が投票の力によって変えられることを証明した。妨害や妨害工作に屈せず、今日はボリビアの民主主義が勝利した」。

 

ロドリゴ・パス・ペレイラの位置付け

今回の選挙戦において、ロドリゴ・パス・ペレイラ(Rodrigo Paz Pereira)は、既存の政治家とは一線を画す「変革の選択肢」として自身を位置づけた。彼は、父ハイメ・パス・サモラ(Jaime Paz Zamora)が軍政期の亡命中に滞在していたスペイン・サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)で生まれた。

パスは政治一家に生まれたが、その一家は軍事政権下のボリビアを離れざるを得なかった。1964年、レネ・バリエントス将軍(René Barrientos)によるクーデターを受け、父ハイメはヨーロッパへ亡命した。そこで子どもたちが誕生し、その後、一家はラテンアメリカに戻ったが、ボリビア、チリ、アルゼンチンなどで続発するクーデターを避けて各国を転々とする生活を送った。

選挙戦中、パス・ペレイラは自身の出生地に言及し、「自分は父を通じてボリビア国籍を有しており、大統領候補としての資格には何ら問題はない」と説明した。「私は“3人の親”に育てられた──父、母、そして兄のハイメである。兄は亡命生活のなかで、父であり母でもあった」と、2025年7月に地元メディアのインタビューで語っている。

高校卒業後はラパス(La Paz)を離れて米国に渡り、経済学と国際関係を学んだ後、ワシントンD.C.のアメリカン大学(American University)で公共経営の修士号を取得した。

2002年、パスは父の所属していた革命左翼運動(Movimiento de Izquierda Revolucionaria/MIR)から下院議員として政界入りを果たした。2010年にはタリハ市の市議に立候補し、5年後には同市で最多得票を得て市長に就任した。2020年には、元大統領カルロス・メサ(Carlos Mesa)が率いる連合政党「市民共同体(Comunidad Ciudadana)」に参加し、その枠組みでボリビア上院議員に選出された。

ロドリゴ・パス・ペレイラ(Rodrigo Paz Pereira)が今回の選挙で好成績を収めた背景には、副大統領候補であるエドマンド・ララ(Edmand Lara)の存在が大きく影響している。「ララは、予想外の“アウトサイダー”であり、最後になって現れた驚きの存在だ」と語るのは、ボリビア国立選挙裁判所(Corte Nacional Electoral)の元議長、ホセ・ルイス・エセニ(José Luis Exeni)である。エセニによれば、当初アンドロニコ・ロドリゲス(Andrónico Rodríguez)に流れると見られていた“隠れた票”の多くが、結果的にロドリゴ・パスへの支持に転じたという。さらに、サミュエル・ドリア・メディナ(Samuel Doria Medina)やマンフレッド・レジェス・ビリャ(Manfred Reyes Villa)の潜在的支持層の一部を取り込むことにも成功した。「この中道ポピュリストの候補者(ララ)は“反体制”票を代表しており、ロドリゴ・パスとともに民衆層の支持を惹きつけることに成功した。MASの旧支持層の多くもこのコンビを選んだ」と、エセニは分析する。この候補ペアの最大の強みは、極端な立場に偏らず、「政治的中道」に自らを位置づけた点にある。MASとは距離を取りつつも、長年MASに対抗してきた従来の野党候補たちとも一線を画しており、このスタンスが有権者にとって新鮮に映ったと考えられる。

 

トゥト・キロガの位置付け

ホルヘ・キロガは現在65歳である。2001年から2002年にかけて、当時の大統領ウゴ・バンセル(Hugo Banzer)の辞任を受けて、憲法に基づき大統領職を務めた。現在は、MAS(社会主義運動)に対して最も厳しい姿勢を取るベテラン政治家として広く知られており、その硬派なスタンスが急進的な反MAS層の支持を集める一方、穏健派や政治に幻滅した有権者には訴求しづらいという指摘もある。

キロガはボリビア中部の都市コチャバンバ(Cochabamba)の出身である。父のホルヘ・キロガ・ルイサガ(Jorge Quiroga Luizaga)は技術者であり、息子の「トゥト(Tuto)」という愛称も父から受け継いだものだという。キロガ自身は「父は尊敬すべき人物であり、私にすべてを与えてくれた。その中には、今では私の名前となったあだ名も含まれている」と語っている。

高校卒業後、キロガはアメリカに渡り、テキサスで工業工学を学んだのち、経営学修士号(MBA)を取得した。その後、IBMに入社し、システムエンジニアとして民間セクターでキャリアをスタートさせた。

「私はボリビア出身だ。だから、いつかは祖国に戻って貢献したいという想いが常にあった。IBMで企業人としてのキャリアを積むか、それともボリビアに戻って公共のために働くか。私は後者を選んだ」と、かつてのインタビューで述べている。その後、ハイメ・パス・サモラ政権下で政界入りし、外務省の技術顧問を皮切りに、まもなく公共投資・国際協力担当の副大臣に就任した。しかし当時の彼自身は「まだ政治家ではなく、あくまで大臣の技術スタッフとして見られていた」と振り返っている。

「当時の私は、まだ“閣僚の技術ブレーン”としてしか見られていなかった」と、ホルヘ・「トゥト」・キロガ(Jorge “Tuto” Quiroga)は述懐している。しかし、1992年に財務大臣に就任したことで、政界の中枢に本格的に足を踏み入れることとなった。翌1993年には、保守政党である国家民主行動(Acción Democrática Nacionalista:ADN)に加わる。ADNは、1971年から1978年にかけてボリビアで独裁政権を敷いたウゴ・バンセル(Hugo Banzer)によって創設された政党である。ADNの内部において、キロガは「刷新派」としての立場をとっていた。1997年には、民主的な方法での政界復帰を目指すバンセルの副大統領候補として出馬し、当時37歳で副大統領に当選した。2001年8月、バンセルが健康上の理由で辞任したことを受け、キロガは憲法の規定に基づき大統領職を引き継いだ。その在任期間は約1年間で、2002年8月まで続いた。大統領としての任期中、キロガは違法なコカの栽培削減に注力したが、この政策は当時のコカ農民組合や、その中にいた農民指導者であるエボ・モラレスらから強い反発を受けた。

2005年、キロガは再び大統領選に出馬したが、エボ・モラレスに敗北した。この選挙結果により、モラレス率いる社会主義運動は政権を掌握することとなった。その後、キロガは長らく公職から離れていたが、2019年12月、暫定大統領ジャニネ・アニェス(Jeanine Áñez)によって国際社会との対話を担当する大統領特使に任命された。しかし、この職務はわずか数週間で終了した。2020年の大統領選にも立候補したが、支持率が低迷していたことから、選挙の約1か月前に撤退を表明している。

キロガは社会的には保守的でありながら、経済面では自由主義的な路線を掲げる政治家である。豊富な政治経験を持ち、「国家運営のプロ」としてのイメージも定着している。政治アナリストのルシアナ・ハウレギ(Luciana Jaúregui)は、「トゥトには政治を動かす技術がある。それは大統領候補による討論会でも明らかだった」と評価している。一方で、批判的な見方も根強い。反対派の間では、キロガを「過去の象徴」とみなし、「国民の広範な支持を欠いたまま政権を担ってきた時代への逆戻り」と懸念する声も存在する。

 

経済危機と政治の分裂

今回の選挙は、過去40年で最悪とされる経済危機を背景に実施された。ボリビアでは、年間インフレ率が約25%に達し、燃料不足やボリビア通貨(ボリビアーノ)の闇市場での価値下落、ドルへのアクセス困難といった深刻な問題に直面している。アナリストは、こうした社会的不満が投票の分散を招き、第一回投票でどの候補者も33%を超えられなかった主因であると指摘している。

また、もう一つの決定的要因として、社会主義運動の分裂が挙げられる。ルイス・アルセ(Luis Arce)大統領は5月に選挙戦から撤退し、元内務大臣エドゥアルド・デル・カスティジョ(Eduardo del Castillo)をMAS–IPSPの候補者として支持したが、期待外れの得票にとどまった。上院議長であり左派の新星であるアンドロニコ・ロドリゲス(Andrónico Rodríguez)は独自の連合を結成して出馬したものの、MASの票を十分に取り込むことができなかった。

さらに、司法当局により出馬を禁じられたエボ・モラレスは、自身の選挙参加が「排除」されたと非難し、無効票を呼びかけた。この影響もあり、無効票は116万5,000票に達し、全体の18.9%となった。これは過去の選挙の平均3.7%を大きく上回る数字である。とはいえ、無効票の多さやモラレスの呼びかけを踏まえても、暫定結果は左派勢力が大統領選の主要な争点から遠ざかっていることを示している。

今回の8月17日の総選挙では、大統領、副大統領、36名の上院議員、130名の下院議員、さらに国際議会機関に派遣される9名の代表者が選出された。最高選挙裁判所(Tribunal Supremo Electoral:TSE)のオスカル・ハッセンテフェル(Óscar Hassenteufel)裁判長は、選挙日について「平穏で大きな事件もなく、すべての投票所が正常に機能した」と評価した。あとは、10月19日に行われる第二回投票を待つばかりである。

この決選投票では、社会主義運動への反対という一点で共通する二つの対立的な政治勢力が対決することになるが、その政策や方向性には違いがある。いずれにせよ、次期大統領は、近年の同国における最悪クラスの経済危機が続くなかで、新たな政治サイクルを切り拓くという難題に直面することになるだろう。

#RodrigoPaz #JorgeQuiroga #EvoMorales #ボリビア大統領選挙2025

 

参考資料:

1. Así le contamos las elecciones en Bolivia de agosto 2025
2. El senador Rodrigo Paz y el expresidente Jorge Quiroga se disputarán la presidencia de Bolivia en segunda vuelta, poniendo fin a 20 años de gobierno del MAS

 

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