[マルコス・ロイトマン・ロゼンマンのコラム]中米における社会学およびラテンアメリカ情勢

(Photo:Asociación Centroamericana de Sociología)

以下はチリ系スペイン人の学者・社会学者・政治アナリスト・エッセイストであるマルコス・ロイトマン・ロゼンマン(Marcos Roitman Rosenmann)のコラムの翻訳である。1974年、アウグスト・ピノチェト将軍による軍事独裁政権下で亡命した彼は、現在はスペインに住んでいる。


中米社会学協会(Asociación Centroamericana de Sociología:ACAS)は、ホンジュラス・テグシガルパにて2025年8月4日~7日、「中米およびラテンアメリカにおける社会学の課題」と題された第19回大会を開催するものである。この見出しは示唆的である。デジタル資本主義の変革の中で我々の社会を思考するとは、資本の蓄積構造、国際分業、製造・市場プロセスへの従属性の下に生きる大陸全体の社会構造および権力構造の変化を可視化することである。

中米・ラテンアメリカ諸国は、原料輸出国としての地位を有し、多国籍企業の支配が広範に及び、民主的・民衆志向の政府に対して主権の制約をもたらしてきた。また、これら地域は帝国主義的干渉の歴史を有している。スペイン、フランス、イギリス、アメリカ合衆国による侵略、クーデター支援、経済封鎖、政治的暗殺および国家指導者の暗殺などが頻繁に発生してきた。現在では、ドナルド・トランプ(Donald Trump)前米大統領の時代を超えて、我々の“アメリカ”はポピュリズム的政策への圧力によってさらに脆弱化している。社会学者はそのような環境の中で思考を発展させてきた。単に既存の社会学概念を受け入れるのではなく、国家の社会構造や権力構造を分析するために必要な理論的枠組みを構築し、新たなカテゴリーを創出してきた。具体的には、社会変革の構想、資本主義の類型、寡頭制、中心‐周辺構造、内的植民地主義、経済的依存体制、官僚的権威主義体制などが論じられてきた。そしてこれらは、しばしば独裁政権、反乱鎮圧政策、低強度紛争といった条件下で生み出された理論である。

 

困難な時代にも、中米・ラテンアメリカの社会学は課題に応えた。それを可能にし、力を与えた一因は、マルクス思想が宿る古典への深い理解であった。今日ではその思想はしばしば軽視され、通俗化されているが、当時は知的基盤として機能していた。ここで二つの重要な例を挙げよう。エデルベルト・トーレス=リバス(Edelberto Torres-Rivas)は、1969年にチリのPLA出版社から『中米社会発展の解釈(Interpretación del desarrollo social centroamericano)』を出版したが、この書は当初中米地域では流通しなかった。その2年後、EDUCA(中米大学出版会)が再版する。彼はマルクス主義的な理論的道具立てと深い歴史的知識を用いて、中米が依存的社会構造を持つことを明らかにした。この分析のため、彼は依存理論の形成者であるテオトニオ・ドス・サントス(Theotonio Dos Santos)とマウロ・マリーニ(Mauro Marini)という2人の著名なブラジル人マルクス主義者に依拠した。しかしながら、トーレス=リバスは後にラテンアメリカにおけるマルクス主義的批判を放棄し、近代化理論の立場に傾倒する。彼のエッセイ『中米の肌:その歴史75年の表層的視点(La piel de Centroamérica; una visión epidérmica de setenta y cinco años de su historia)』はその転換の証左である。また1985年には、コスタリカ人とエルサルバドル人の2人の社会学者、ダニエル・カマチョ(Daniel Camacho)とラファエル・メンヒバル(Rafael Menjívar)が、中米における民衆運動の起源・展開・進化について最も包括的な研究を編纂し、EDUCAから出版された。

とはいえ、挫折を経ながらも、中米社会学は数々の重要な貢献を成し遂げてきた。ホンジュラスの軍隊に内在する軍国主義の特性と、米国への従属関係を明らかにした先駆者がレティシア・サロモン(Leticia Salomón)である。モニカ・バルトダノ(Mónica Baltodano)は2010年に『サンディニスタ闘争の記憶(Memorias de la lucha sandinista)』という現代ニカラグアに関する三巻構成の大著を刊行した。また今世紀に入り、コスタリカ出身のナンシー・ピエドラ=ギジェン(Nancy Piedra Guillén)とモンセラット・サゴト=ロドリゲス(Montserrat Sagot Rodríguez)は、それぞれ独自にジェンダー社会学とフェミニズム運動の立場から、家父長制および男性暴力を鋭く批判した。さらに、コスタリカに拠点を置いたドイツ人神学者・社会学者のフランツ・ヒンケルアメルト(Franz Hinkelammert)は、市場経済と「死のイデオロギー」に対する辛辣な批判を展開した。彼の著作は中米・ラテンアメリカの社会科学者たちに深い影響を与えてきた。パナマにおいては、マルコ・ガンダセギ・ジュニア(Marco Gandasegui hijo)の研究が不可欠である。彼はパナマの民主主義および米国の地域支配について重要な業績を残した。このように、中米の社会学者たちは平和プロセス、地域統合、移民、環境、若者、人権など、いかなる分野においても際立った役割を果たしてきた。しかし今日、彼らは逆風の中で奮闘している。マルクス的伝統思想に対する本能的な拒否反応が社会科学を矮小化している。ゆえに、中米およびラテンアメリカの社会学は、古典への回帰と依拠が必要である。もっとも、これは容易なことではない。「赤子を汚れた水と一緒に捨ててしまった」現在の状況では、なおさらである。

中米およびラテンアメリカの社会学は、大学や研究機関の閉鎖、政治的迫害、亡命、あるいは研究者自身の物理的な抹殺をくぐり抜けて生き延びてきた。しかし、それでもなお、思考する力そのものを解体してしまう「新皮質的戦争(guerra neocortical)」に比べれば、これらの困難は及びもしない。この戦争とは、アメリカ大陸をひとつの統一体として研究することへの拒否、ラテンアメリカ社会理論への軽視、そしてラテンアメリカの批判的思考の無視によって表出している。たとえば、生産様式、資本主義または封建主義、開発スタイル、社会変動、周縁化、階級、内部植民地主義といった主題に関するかつての大論争が、現在では顧みられていない。このような状況の中、我々は自らに問いかけるべきである――「ロドルフォ・スタベンハーゲン(Rodolfo Stavenhagen)の『ラテンアメリカに関する七つの誤ったテーゼ』を知らずに、どうして中米やラテンアメリカで社会学者でいられるのか?」と。また、ホセ・アリコ(José Aricó)の『マルクスとラテンアメリカ(Marx y América Latina)』、アグスティン・クエバ(Agustín Cueva)の『ラテンアメリカにおける資本主義の発展』や、パブロ・ゴンサレス=カサノバ(Pablo González Casanova)の『メキシコにおける民主主義(La democracia en México)』といった著作も忘れてはならない。これらの書物は、ラテンアメリカ社会学のあり方を永遠に変えてしまった。

今日の課題は、反マルクス主義的な姿勢や、古典への軽視という態度を振り払い、我々を社会学者たらしめる諸概念やカテゴリーへと立ち返ることである。ここで私が言及している古典とは、マックス・ウェーバー(Weber)、ゲオルク・ジンメル(Simmel)、ソースタイン・ヴェブレン(Veblen)、ピトリム・ソローキン(Sorokin)、C.ライト・ミルズ(Mills)、リチャード・セネット(Sennett)、テオドール・アドルノ(Adorno)、そしてヘルベルト・マルクーゼ(Marcuse)である。彼らは現在、「植民地主義的で抑圧的な理論を推進した」として非難されている。現在は「切れ端(retales)」から継ぎ接ぎして作られたような社会学が支配的であるが、それは創造性を欠いた不毛なものである。中米社会学会の第19回大会の主催者にとって、中米およびラテンアメリカ社会学を再活性化することが喫緊の課題である。保守的な時代にあってこそ、闘うことが求められる。ただ耐えるだけでは不十分である。「勝つために考える」ことこそが、彼らの目指すべき目標である。

#社会学 #コラム

参考資料:

1. Centroamérica en la sociología latinoamericana

 

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