エクアドル:アヤワスカ・ツーリズムは先住民や環境にとって害である

(Photo:Awkipuma

以下はサラヤク(キチュア・ネイション)のニナ・グワリンガ(Nina Gualinga)およびエリサベス・ヴィルキナ(Elizabeth Virkina)によるコラムである。エクアドルでは「サイケデリックによる癒し」という名のもとに観光が人気になっているが、彼女たちは「アヤワスカ観光」は先住民族文化の搾取と生物多様性への脅威を助長していると指摘している。


エクアドルのアマゾンの世界では、人間、植物、動物は親族であり、古代の物語は土地との深いつながりに根ざした実際の生態学的な関係や先住民族の知識を反映している。しかし、そのつながりの一つである儀式用の薬であるアヤワスカは、現在、癒しと啓発への神秘的な近道として市場に出されている。この「癒しのリトリート」の背後には、文化的な抹消、言語の歪曲、そしてウェルネスとして偽装された継続的な植民地化という深い物語が隠れている。

「アヤワスカ(ayahuasca)」の世界的な人気は、先住民族の文化をロマンチックに歪め、精神的な観光の新しい形態を生み出した。この成長する産業は、先住民族をエキゾチックに描き、先住民族の言語、慣習、そしてアイデンティティを消費可能な幻想へと変えていく。神聖な儀式は文脈を取り去られ、精神的な役割は商業化され、植物の名前さえ誤用され、複雑な文化的なシステムが単純化され、市場向けの体験として扱われている。

アヤ(aya)とは死者の魂、骨、または死体を意味する。アヤワスカ(ayahuasca)は、現代において発明されたものであり、主に精神的な観光で使用されている。アマゾン・キチュアの言語では、アヤワスカを飲むことを「アヤカタ・ウピナ(hayakata upina)」と言う。アヤク(hayak)はアヤワスカの略で、直接的には「苦い」という意味であるため、この翻訳は「苦いつるを飲む(bitter vine)」という意味になる。これに対して、「アヤタ・ウピナ(ayata upina)」と言うと、「死者の魂を飲む」という意味になり、誰もそんなことを言わない。だから、私は正しい言葉を使う。すなわち、ハヤㇰワスカ(hayakwaska)である。

 

薬の名前さえも歪められている。これを正しく理解するには、私たちの社会、その構造、言語、そして土地との深い結びつきを理解しなければならない。英語やスペイン語とは異なり、私たち(アマゾン・キチュア)ルナシミの言語は、場所に根ざしている。現代科学と同じように、私たちの知識は観察に基づいているが、それは関係を通して得られるものである。私たちは土地との社会的・感情的な関係を通じて生きている。

熱帯雨林では、すべての存在が人間を含むもっと大きな存在としての役割と責任を持っている。伝統的なヒーラーであるヤチャク(yachaks)は個人を治療することがあるが、真の役割はコミュニティ内のバランスを保ち、人々、森林、すべての存在との関係の中で調和を保つことにある。私たちの世界観における癒しは集団的なものであり、私たちはすべてが相互に結びついていると考えている。ヤチャクが「アヤワスカ(ayahuasca)」ツーリズムによって利益を追求し、この神聖な責任を放棄するならば、私たちは彼らは何になってしまったのか?と、尋ねなければならない。観光客向けの癒しのセンターでは、個人的な経験、成長、エゴの克服、プライベートな啓示が優先され、コミュニティ、土地、そして相互の関係が切り離されている。癒しがその集団的な基盤を失うと、それはもはや真の目覚めを育むものではなくなる。代わりに、それは自己を高めるパフォーマンスとなり、全体ではなく個人を中心に据えることになる。これは、関係、謙遜、そして共通の幸福に根ざした先住民族の癒しの本質に反している。

それは単なる悲しいことではなく、危険でもある。精神的な実践が外部の人々に喜ばれるために変えられるとき、それはアヤク(hayak)の意味と私たちとの関係を変えてしまう。これらの変化は、若い世代が私たちの伝統をどのように理解するかを再構築してしまう。それは、長年の経験や先輩からの指導ではなく、観光向けのパフォーマンスを通じて行われることになる。かつて神聖で本物だったものが、脚本通りになってしまうのだ。危険なのは、私たちの儀式の本質が失われることだけでなく、私たちの集団的な記憶、価値観、役割が歪められてしまうことにある。癒しがエンターテイメントとなり、文化が見世物となると、コミュニティを支える霊的な糸がほころび始めるのである。

ハヤㇰワスカ(Hayakwaska)観光は、違法な狩猟行為の促進剤でもある。伝統的な狩猟は尊重と相互の関係に根ざしているが、今日では動物の部位に対する商業的な需要が種や先住民族の生活様式を脅かしている。この成長する観光産業は、文化を歪めるだけでなく、生物多様性への脅威を加速させている。最近の研究では、ジャガーがすでに絶滅危惧種であるにもかかわらず、観光客の需要に応えるために搾取されていることが強調されている。ジャガーの歯のペンダントや皮のブレスレットなどのアイテムは、アヤワスカの体験を神秘的に高めるための道具として売られ、野生動物と神聖なバランスの両方を危険にさらしている。

 

先住民の知識と薬を用いることには、深い社会的および環境的責任が伴う。この責任がなければ、それは単なる資源搾取に過ぎず、精神的な言葉で装飾された新たな形の植民地主義である。真の問いはこうである:
アヤワスカ観光客たちは、何を還元しているのか?
彼ら観光客は先住民族の権利を支援しているのか?
祖先の土地を守っているのか?
この知恵を大きな危険を冒してまで守っている人々と連帯しているのか?

 

あまりにも多くの人々が、先住民族の薬による癒やしを求めながら、それを生み出す植物、知識、土地を守る人々の現実を無視している。これらの共同体は、鉱山開発、石油採掘、アグリビジネスの脅威の中で闘いを続けている。もし真の癒やしがあるとするならば、それは正義、相互扶助、そしてこの薬が育まれる人々と土地との連帯を含んでいなければならない。


キチュア・サラヤク(Sarayaku)のニナは、昔からの物語と自らの経験から着想を得て、『Waska: The Forest is My Family(ワスカ:森はわたしの家族)』という映画を制作した。この映画を通じて彼女は先住民族や森からの搾取を描いている。ヤチャクの孫娘として、シャーマンであった祖父の記憶を受け継ぎながら、文化の盗用、環境破壊、自民族の周縁化が続いていることについて映画を通じて語るとのべる彼女は「癒やし」への欲望と地球との関係そのものを問い直している。ハヤㇰワスカと土地とのつながりの中で生きるとはどういうことかを本作を通じて伝えたかったとニナは述べている。

エリ・ヴィルキナはナポ川流域に暮らすキチュア・ナポでベネシア・デレチャ(Venecia Derecha )出身。視覚的インパクトを重視する映像ストーリーテラーであり、先住民族の権利および環境・気候正義の擁護者、そしてコミュニティ・オーガナイザーである。彼女とその家族は、生命と文化の多様性に富んだ森林を保護しながら、「スマク・カウサイ(sumak kawsay)」、すなわち「良く生きる」というキチュアの哲学を育んでいる。この哲学は、家族と森とが互いに世話をし合うという相互扶助の思想に根ざしており、その中心には、命を育み、世話をする存在である女性たちの役割がある。彼女は、家族が主導する教育拠点「イヤリナ学習センター(Iyarina Center for Learning)」を通じて、先住民族の言語と文化の保存に献身しつつ、アマゾン熱帯雨林の未来に向けた公平かつ持続可能な解決策を探求している。また、ヴィルキナは「If Not Us Then Who?」のインパクト・ストーリーテラーであり、「アマゾン熱帯雨林防衛のためのユース・コレクティブ」の共同設立者として、自然とのつながりを基盤とした調和的かつ持続可能な未来を構想している。彼女は、人類が自然と深く結びつき、共に支え合うという認識に立脚し、その実現に向けて責任を分かち合うことを呼びかけている。彼女の活動は、自然とのつながりの中に生きる人類の未来を描く証であり、先住民の知とテクノロジー、西洋科学との架け橋を築くストーリーテリングと関係構築の力を活用している。そして、コミュニティおよび自然に根ざした解決策の拡張と実施を通じて、レジリエントな語りと肯定的な変革に導かれる世界を形づくることを目指している。

なおエリサベスは、「森林伐採に立ち向かう太陽光カヌー(Solar Canoes Against Deforestation)」、「生産的なフードフォレスト(Productive Food Forests)」、「熱帯雨林バーチャル・リアリティ(Rainforest Virtual Reality)」、および「NSFエコロジカル(NSF Ecological)」といった複数のプロジェクトを主導しており、先住民族の人々にとって代替的な収入源を創出することで、彼女たちの故郷の領土破壊を食い止め、持続可能な未来への道を築くことを目的としている。

#Kichwa #Sarayaku #NinaGualinga #ElizabethVirkina #IndigenousDataSovereignty #Extractivismo

 

参考資料:

1. ‘Ayahuasca tourism’ is a blight on Indigenous peoples and our environment
2. Eli Virkina
3. If Not Us Then Who
4. La Amazonía es mi hogar”, dice Elizabeth Virkina, la integrante ecuatoriana en el ‘TikTok Change Makers’

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