(Photo:Vatican News )
教皇としての初めてのメッセージにおいて、レオン14世は「私たちは共に、宣教的な教会、橋を築く教会を目指さなければならない。そして常に対話の扉を開き、すべての人を、私たちの慈しみと私たちの存在を必要とするすべての人々を迎え入れる教会でありたい。」と述べた。これはLGBTQコミュニティなど、虐げられてきた人々を不可視化することなく、一様に平等に含まれたメッセージなのであろうか。本記事はレオン14世教皇が13年前ににロバート・プレヴォスト(Robert Prevost)枢機卿としてLGBTQコミュニティに関して語った意見を取りあげ、またレオンという名前の由来、そして母との関係について取り上げている。
LGBTQコミュニティに関する過去の発言が、レオン14世教皇の選出後、世界中のメディアによって再び取り上げられている。新教皇は、フランシスコ(Jorge Mario Bergoglio)教皇といくつかの点で意見を一致させており、移民問題やシノダリティ(共同体としての意思決定)に関しても同様である。レオン14世教皇はスペイン語を話し、ペルーで働いた経験を持ち、彼の家族は「アメリカンドリーム」を求めてアメリカ合衆国へ移住した経緯がある。また、環境問題に関しても両者は似た意見を有していた。枢機卿団報告書(Reporte del Colegio Cardenalicio)によると、当時アメリカ出身の枢機卿であったプレヴォストは、「教皇フランシスコによる、離婚し再婚した信徒が聖体拝領を受けることを認めるという司牧的実践の変更を支持した」と述べられている。
しかし、最近の報道によれば、レオン14世教皇がフランシスコ教皇と完全には一致していなかった点が存在し、それはLGBTQコミュニティに関する問題であるとされている。
新しい教皇とLGBTQコミュニティ
2025年5月8日木曜日の朝までに枢機卿であったプレヴォストについて、いくつかのメディア、たとえばUHN Plusはニューヨーク・タイムズを引用して、次のように伝えている。すなわち、彼は「2012年に、メディアが福音に反するライフスタイル、特に『同性愛のアジェンダ』や『代替的家族』のモデルを推進しているとして批判した」と報じている。
Reporte del Colegio Cardenalicio(collegeofcardinalsreport.com)というサイトは、彼のことを「フランシスコよりもLGBTQロビーの支持を得ることに対して好意的ではない」と描写している。
また、アルゼンチンの新聞 Clarín も、プレヴォストがLGBTQコミュニティとの関係において、フランシスコとは異なる立場にあると報じている。
La Opinión Austral 紙は、「プレヴォストのこの問題に関する立場について公に知られているのは、2012年に『ニューヨーク・タイムズ』に対して行った声明のみである」と伝えている。
13年前、彼は「ポップカルチャーが、福音に反する信念や慣習に対する『共感』を生み出した」と主張した。
報道によれば、プレヴォストは、メディアに対して「失望感」を示し、「同性愛のライフスタイル」および「同性カップルとその養子から成る代替的家族」に疑問を呈したとされている。
意見が変わる可能性はあるのか?
13年が経過し、その間に彼はフランシスコ教皇のもとで共に働いてきた。新教皇は69歳であり、フランシスコ教皇が88歳であることと比較すると、かなりの年齢差がある。果たして、LGBTQコミュニティについての意見は変わったのであろうか。
レオン14世(Robert Francis Prevost Martínez)教皇は2025年5月8日午後、教皇としての最初のメッセージを発表し、「私たちは共に、橋を架け、常に対話の扉を開き、すべての人を迎え入れる教会を目指すべきである」と語った。
時は流れた。この13年間、彼はフランシスコ教皇(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ/Jorge Mario Bergoglio)の話に耳を傾け、アルゼンチン出身の教皇の近くで共に働いてきた。
新しい教皇は、まだ若い人物である。69歳であり、フランシスコ教皇(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ/Jorge Mario Bergoglio)が88歳であったこととは大きな開きがある。LGBTQコミュニティに関する彼の意見は変わったのだろうか。
ロバート・プレヴォストが「レオン14世」という名前を選んだ理由
ロバート・フランシス・プレヴォスト・マルティネスは、2025年5月8日に教皇に選出され、アメリカ合衆国出身者としては史上初めての教皇となった。また、彼はアメリカ大陸出身の教皇としては2人目であり、アルゼンチン出身のフランシスコ教皇に続く歴史的な選出であった。
彼の選出に伴い、プレヴォストは教皇名として「レオン14世」を採用した。この名前は1903年以来用いられてこなかったものであり、象徴的な選択といえる。
レオン14世という教皇名を選んだ背景には、教会の伝統への回帰がある。このような命名は現代の教皇においてはあまり一般的ではない選択である。この決定は、教会の歴史と強さを象徴し、教会が果たすべき社会的責任についての明確なメッセージを発信するものである。
最後に「レオン」の名を持った教皇のはカトリック教会の第256代ローマ教皇であるレオン13世、つまりジョアッキーノ・ヴィンチェンツォ・ラファエーレ・ルイジ・ペッチ(Gioacchino Vincenzo Raffaele Luigi Pecci) である。彼は1810年3月2日にイタリアのカルピネート・ロマーノで生まれ、1878年2月20日に教皇に選出され、1903年7月20日に死去するまでその座にあった。在位中、レオン13世は労働問題や社会問題に取り組み、1891年に発表された回勅『レールム・ノヴァールム(Rerum Novarum)』では、労働者の権利を擁護し、資本主義と社会主義の両極に対してバランスの取れた社会教説を打ち出した。この回勅は現代カトリック社会教説の基礎を築いた文書として極めて重要である。レオン13世はまた、知性と外交に長けた教皇としても知られ、教会と現代世界との関係改善や教会の社会的教義を推進したことで知られている。
プレヴォストがこの名前を選んだ背景には、彼がこの偉大な先人の遺産と社会的使命に敬意を示したいという意志があるとされている。それと同時に、現代の社会的・政治的課題に立ち向かう教皇としての自身の姿勢を示したと言われている。
教皇名の発表は、サン・ピエトロ大聖堂の象徴的なバルコニーから、プロトディアコノのドミニク・マンベルティ(Dominique Mamberti)枢機卿によって行われた。「ハベムス・パパム(新教皇が選ばれた)」という伝統的な言葉の後に教皇名が公表された。
レオン14世の選択は、教会の歴史との深い繋がりを示すとともに、伝統と刷新を融合させる新たな教皇職の始まりを示唆するものである。彼は、人道主義的で社会的な視点から現代の課題に取り組む信仰の未来を築こうとしていることが窺える。
「私たちは共に、宣教的な教会、橋を築く教会を目指さなければならない。対話の扉を常に開き、すべての人を迎え入れる教会でありたい。私たちの慈しみと、私たちの存在を必要とするすべての人々に対して、開かれていなければならない」と彼は語っている。
レオン14世と母ミルドレッド・マルティネス
ロバート・プレヴォストは1955年9月14日に生まれ、アメリカ合衆国シカゴの郊外ドルトンで幼少期を過ごした。彼の歴史の中心には、母親であるミルドレッド・マルティネス(Mildred Martínez)がいる。ミルドレッドは1911年に生まれ、スペイン系移民の孫娘であった。彼女の父親はドミニカ共和国サント・ドミンゴ出身のジョセフ・マルティネス(Joseph Martínez)であった。彼女はカトリック信仰と教会への奉仕が日常生活の重要な部分である家庭で育った。というのも、彼女の二人の姉妹は修道女だったからである。
マルティネスは、熱心な宗教活動と教区生活への参加に加え、知性でも注目された。34歳の時、当時は少数派だった女性が高等教育を受ける時代に、デポール大学(DePaul University)で図書館学の学位を取得し、その後教育学の修士号も取得した。この知識を活かして、学校の図書館だけでなく、教区内のプロジェクトにも貢献し、自らの家庭の教区図書館の設立にも協力した。
ミルドレッドの人生は、積極的な奉仕の精神に満ちていた。合唱団で歌い、信徒のグループを指導し、教区の活動に尽力した。彼女の夫であるルイ・マリウス・プレヴォスト(Louis Marius Prevost)はフランス系とイタリア系のカトリックで、カテキスタ(教義指導者)であり、学校の指導者でもあった。二人は、信仰と奉仕を中心とした生活を子どもたちに伝えた。ロバート・プレヴォスト、現在のレオン14世は、習慣、日々のミサ、教会活動に囲まれて育った。
ルイ・マリウスとミルドレッドは、カトリック信仰に深く結びついており、サンタ・マリア・デ・ラ・アスンシオン教区(Santa María de la Asunción)において活発な信者であった。ミルドレッド・マルティネスは1990年に亡くなった。
参考資料:
1. Esta es la opinión del papa León XIV sobre la comunidad LGBTQ, lo dijo hace 13 años siendo el cardenal Robert Prevost
2. Papa León XIV nombra a obispo peruano en su primer acto episcopal
3. Quién era Mildred Martínez, la madre del papa León XIV
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