エクアドル:ロバート・F・ケネディ・ジュニア、ハイメ・ロルドス元大統領の死にCIA関与を示唆

アメリカ合衆国保健福祉長官のロバート・F・ケネディ・ジュニア(Robert F. Kennedy Jr.)は、エクアドル元大統領ハイメ・ロルドス(Jaime Roldós)の1981年の死亡の背景にアメリカ中央情報局(CIA)の関与を示唆した。

この発言は、2025年5月25日にキトで行われたグアヤキルの日刊紙『エル・ウニベルソ(El Universo)』のインタビューで述べられたもので、ケネディ・ジュニアはダニエル・ノボアの大統領就任式に出席するため同地を訪問していた。ハイメ・ロルドス(Jaime Roldós)は、ちょうど44年前の1981年5月24日に飛行機事故で死亡したとされているが、それは現在に至るまで事故と断定されているものの、真相は依然として明らかにされていない。事故はペルーに近い国境の町ロハへ向かう途中で発生し、ロルドスの妻であり、元大統領アブダラ・ブカラム(Abdalá Bucaram)の姉であったマルタ・ブカラム(Martha Bucaram)を含む随行していた閣僚や関係者、航空機の乗務員も全員死亡した。

ロバート・F・ケネディ・ジュニアは、ノボア一族の個人的な友人でもある。2024年6月にはケネディ・ジュニアが米テレビ局「ユニビジョン(Univisión)」に対し、「ダニエル・ノボアは自分の家で育った」とも語っている。そして、エクアドル大統領の父である億万長者アルバロ・ノボア(Álvaro Noboa)との関係についても1994年のニューヨークでのビジネス会議で始まったものだと、これまで何度も言及されている。2025年5月24日に行われたダニエル・ノボアの大統領就任式に出席したケネディ・ジュニアは「ロルドスに起きたことに私は非常に心を痛めた。おそらく彼はCIAの支援によって暗殺されたのだろう」と述べている。この発言は、1963年と1968年にそれぞれ暗殺された彼の叔父ジョンおよび父ロバート・F・ケネディ(Robert F. Kennedy)に対する見解と一致しており、両事件にもCIAの関与を疑っている。

 

1981年の事故と継続する疑念

1981年5月24日、当時エクアドル大統領であったハイメ・ロルドスは、ロハ県で航空機事故により死亡した。事故機はエクアドル空軍(FAE)のアブロ748型機であり、ワイラプンゴ山(ケチュア語で「風の門」)に墜落し、乗員・乗客全員が死亡した。
公式調査ではこの事故は「不運な事故」と結論付けられたが、暗殺の可能性を指摘する陰謀論は数十年にわたり続いてきた。ケネディ・ジュニアは、インタビュー中に具体的な証拠は提示しなかったものの、CIAの関与の可能性に言及することで、こうした疑念をさらに強めた。

ケネディ・ジュニアは、1979年にロルドスと知り合い、1980年にロルドス本人の招待で、アンデス山脈地域のいくつかの地域を訪れたと語っている。ケネディ・ジュニアによれば、ロルドスはそのカリスマ性と社会的献身から「ラテンアメリカのジョン・F・ケネディ」と見なされていたという。

 

ジョン・F・ケネディとロバート・F・ケネディの死

ロバート・F・ケネディ・ジュニア(Robert F. Kennedy Jr.)は、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)の甥であり、彼もまた1963年に暗殺された。また、ロバート・F・ケネディ(Robert F. Kennedy)の息子でもある。父ロバートは司法長官、上院議員、そして大統領予備選候補であり、1968年に暗殺された。彼は、叔父ジョンと父ロバートを暗殺したとされるリー・ハーヴェイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald)およびサーハン・サーハン(Sirhan Sirhan)が「単独で犯行を行った」とする公式見解に常に疑問を呈してきた。複数のインタビューやポッドキャストにおいて、彼はCIAが関与していたと語っている。「CIAが暗殺とその隠蔽に関与していたという証拠は圧倒的である」と、ケネディ・ジュニアは2023年に雑誌『ピープル(People)』に語っている。

2025年1月、米国のドナルド・トランプ前大統領は、ジョン・F・ケネディ、ロバート・F・ケネディ、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)の暗殺に関する文書の機密解除を命じた。これを受けて、3月以降、米国立公文書館(National Archives and Records Administration)がこれらの文書をウェブサイト上で順次公開しているが、ロルドスの事件に関する具体的情報は今のところ開示されていない。

 

ハイメ・ロルドスとその遺産

1979年、エクアドルが民政に復帰した際に大統領に就任したハイメ・ロルドスは、社会正義および周縁化されたコミュニティの権利保護に尽力した人物として記憶されている。享年40歳での死は、エクアドル政治史における大きな転機となった。彼の政権に対する外部勢力の干渉や影響を巡る憶測は、特に彼の国家主権擁護の姿勢から常に取り沙汰されてきた。

エル・ウニベルソによると、ケネディ・ジュニアはノボアとロルドスの人格を比較し「政治的な観点では必ずしも同じではないが、その性格、思いやり、貧困層や先住民族コミュニティへの献身、決意、規律、知性において共通点がある」と語った。さらに、「私はロルドスに起きたことに非常に心を痛め、絶望した。おそらく彼はCIAの支援を受けて暗殺されたのだろう」と付け加えている。

ケネディ・ジュニアの発言は現時点で文書による裏付けがなく、CIAからも公式なコメントは出ていない。エクアドル国内では、1981年の事故に関する記録を再調査すべきかどうかを巡る議論が再燃する可能性がある。
一方、米国で進行中の文書開示により、今後ラテンアメリカ地域に関連する歴史的事件への新たな光が当てられる可能性もある。ただし、ロルドス事件がその対象となるかは、現時点では明らかになっていない。

ハイメ・ロルドスの死には、公式には未解明の疑念が付きまとっている。彼の死が、エクアドルおよびラテンアメリカの大企業や支配層にとって「不都合な存在」であったことによる暗殺だった可能性は、いくつもの出版物やドキュメンタリーで提起されている。その中でも最も注目されたのは、マノロ・サルミエント(Manolo Sarmiento)監督による『ロルドスの死(La muerte de Roldós)』であり、同作品はエクアドル全国の劇場で記録的な観客動員を記録し、複数の国際的な映画賞も受賞している。さらに、2004年にはジョン・パーキンス(John Perkins)による著書『エコノミック・ヒットマンの告白(Confessions of an Economic Hit Man)』が出版されている。著者は本書をオマル・トリホス(Omar Torrijos)およびハイメ・ロルドスに捧げ、「彼らの飛行機は墜落したが、それは単なる事故ではなく、世界的な帝国を追求する企業・政府・金融の指導者たちのネットワークに反対したための暗殺だった」と記している。

#DanielNoboa #JaimeRoldós #CIA

 

参考資料:

1. Robert F. Kennedy Jr. sobre la muerte de Jaime Roldós: Me sentí muy descorazonado y desesperanzado con lo que le pasó, probablemente fue asesinado con la ayuda de la CIA
2. Tal vez la CIA ayudó a matar a Jaime Roldós en 1981: John F. Kennedy Jr
3. Robert F. Kennedy Jr. sugiere implicación de la CIA en la muerte del expresidente Jaime Roldós

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