チリ:法務大臣、調査中のネルーダの死因に関する途中経過を家族に伝える

(Photo: Biblioteca del Congreso Nacional de Chile)

チリの法務大臣ハイメ・ガハルド(Jaime Gajardo)は、木曜日、ノーベル文学賞受賞者パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)の親族と会談した。会談の目的はネルーダの死に関する検証の途中経過を伝えるためであった。ガハルドは未だを分析している最中であること、そして「いまだに解明されていない」としながらも、新たな解剖結果が「詩人は自然死ではなかった」とする説を裏付けになりうることを明らかにした。「何が本当に起きていたのかを我々自身で解明できることが非常に重要である」と法務大臣は強調している。

 

現在の調査は2024年2月のサンティアゴ控訴裁判所による「捜査は尽くされていない」と言う言葉とともに発令された捜査再開を背景とする。司法の判決はネルーダの死因が前立腺がんの進行によるものだったのか、それとも独裁政権によって毒殺されたのかを真に明らかにすることを目的とする。この命令は、裁判官パオラ・プラサ(Paola Plaza)が2023年9月に本件の訴訟記録を終了し、死亡証明書に記載された内容、つまり彼の死因は「転移を伴う前立腺がんによる癌性悪液質(かくえきしつ)」であることを覆す発見がないと結論づけた数か月後に出されたものである。プラサは同年12月、検証の再開をも拒否していた。しかし詩人の遺族(本件の原告)と、ネルーダが若い頃から所属していた共産党の双方がその決定を不服として控訴した。

 

長年、ネルーダの死は進行した前立腺がんによるものとされていた。しかし、掘り起こされた遺体に対する最新の鑑定では「異常な濃度の有毒物質」が検出されたと、法務大臣は断言している。

ネルーダの死はアウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)がサルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)の社会主義政権を軍事クーデターを通じて打倒してから12日後の1973年9月23日に訪れた。サンティアゴのサンタ・マリア診療所(Clínica Santa María)で死去した詩人は『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』の著者として、そして外交官としても著名であった。ネルーダは自らの死の翌日にメキシコへ亡命する予定であったにも関わらず、息を引き取った。

ネルーダの死に関する「公式」見解は、38年間にわたって疑問を呈されることがなかった。しかし2011年、彼の運転手兼助手であったマヌエル・アラヤ(Manuel Araya)が、ノーベル文学賞作家ネルーダは入院先の診療所で致死性の高い物質を注射されたことによって暗殺されたと証言した。アラヤ自身は2023年6月に死去している。

この証言がきっかけとなり、ネルーダがかつて所属していたチリ共産党が告訴に踏み切り、2013年には詩人の遺骨を発掘するなど、12年に及ぶ捜査が開始された。

それ以来、ネルーダの死をめぐっては、数年にわたる証言検証、法医学的調査、司法捜査が続けられてきた。しかし、それによって彼の死に関する謎はむしろ深まる一方でもあった。  新たに命じられた捜査措置は、この事件が終結には程遠いことを示すものとも言える。

上述の通り毒殺説が公に提起されたのは、詩人の運転手であり個人秘書であったマヌエル・アラヤの告発をきっかけとする。彼はネルーダが生前に接触した最後の人物の一人であった。彼の証言は、共産党による告発の中核を成し、遺族の一部の支持を受けており、2011年に始まった捜査の出発点となった。

 

マリッツァ・ビジャダンゴス(Maritza Villadangos)大臣、エルサ・バリエントス(Elsa Barrientos)大臣、そして弁護士ホルヘ・ゴメス(Jorge Gómez)から成る裁判所が命じた7つの新たな捜査措置の中には、「死亡証明書に関する新たな筆跡鑑定」が含まれていた。この証明書はバルガス・サラサール(Vargas Salazar)医師によって作成されたとされている。証明書に記載された癌性悪液質は医学的にみれば、体重の著しい減少を意味する。しかし、詩人ネルーダが死去した時の体重は90キログラム以上であったことが確認されており、この点もまた専門家や関係者の間で疑問を呼んでいる。

この捜査には、3つの国際的専門家パネルが参加した。2017年には大きな転機が訪れた。第2の専門家グループが、前立腺がんが死因であるという公式見解を否定し、詩人の歯から「クロストリジウム・ボツリナム(clostridium botulinum)」というバチルス菌を発見したからである。この菌は土壌中に一般的に存在し、ボツリヌス症の原因となるものであり、神経系に深刻な障害を引き起こし、死に至らしめる可能性がある。

第3の専門家グループは、カナダのマクマスター(McMaster)大学およびデンマークのコペンハーゲン大学(Copenhague)から成るが、2023年に「その菌由来の“アラスカE43株”が死亡時にネルーダの体内に存在していた」ことを明らかにしている。家族にとってこの見解はネルーダが「入院中に毒殺された」ということの動かぬ証拠と解釈された。

裁判所は「メタ鑑定(metapericia)」も命じている。これは、カナダのマクマスター大学およびデンマークのコペンハーゲン大学の法医学チームが行った一連の研究結果を再検討し、解釈することを目的としたものである。この研究では、ネルーダが癌で死んだのではないこと、そして彼の奥歯の1本から危険な毒素を生成することのあるクロストリジウム・ボツリナムが発見されたことが明らかになっている。

専門家たちはこのボツリヌス毒素がどのようにネルーダの体内に入り込んだのか―自然由来か、意図的なものか―という謎をいまだ解明してはいない。しかし、「第三者の関与」の可能性もまた排除していない。

調査官らは、これらの研究の再検証は「マクマスター大学およびコペンハーゲン大学によって提案された専門家のみ」によって行われるべきであると要請している。

この方針に沿って、裁判所はエドゥアルド・アドルフォ・アリアガダ・レーレン(Eduardo Adolfo Arriagada Rehren)を、クロストリジウム・ボツリナムを用いた諜報活動に関する彼の関与や、また彼が有罪判決を受けた被害者アルチバルド・モラレス・ビジャヌエバ(Archivaldo Morales Villanueva)に関する同様の事件について、司法証言のために召喚している。

モラレス・ビジャヌエバはラジオのアナウンサーであり、ピノチェト政権の職員により拘束され、尋問と拷問を受けたのち、最終的にアリアガダによって「致死性の注射」を打たれ死亡した。この死は「拘束中の死(muerte en custodia)」とみなされている。

アリアガダについて、裁判所はまた「1973年当時の年齢への回帰的鑑定(peritaje de regresión de edad)」を実施すること、さらに「警察による分析(análisis policial)」を通じて、ネルーダ事件とモラレス・ビジャヌエバ事件の間に「類似点が存在するかどうか」を確認するよう命じている。

さらに、チリ文書化プロジェクト(Proyecto de Documentación de Chile)所長のピーター・コーンブルー(Peter Kornbluh)も、証人として召喚されている。

 

「長年にわたる困難な取り組みだったが、現在は彼の死を取り巻く状況について真実を明らかにするために、まったく異なる立場にある。遺族としては、ネルーダの死が暗殺に相当するものであると断言できている」と、彼の大甥のパオラ・レジェス・サラス(Paola Reyes Salas)は家族を代表して述べている。

「我々のノーベル賞受賞者であるパブロ・ネルーダの死の状況はいまだに解明されていない。そしてこの件は現在も捜査中であり、パブロ・ネルーダの家族をはじめとする原告側からも新たな証拠が提出されており、それを法務人権省として、また訴訟を支援している内務省と共に分析しているところである」とガハルドは説明をしている。

ガハルドは専門家によるパネルがメタ鑑定を実施するよう命じ、それはすでに3月末に司法手続きに受理され、原告側はその詳細の一部にアクセスしていることを明らかにしている。「これらの証拠は、パブロ・ネルーダの遺体に異常な濃度の有毒物質が存在していたことを示しており、彼が自然死ではなかったという説を支持する可能性がある」と彼は強調している。

「これはクーデターのわずか数日後に起こったことであり、それゆえ、弾圧がひどかった状況の中で、我が国では人々が殺され、拷問され、ビクトル・ハラ(Víctor Jara)の手がへし折られるような事態があった。そのため、パブロ・ネルーダにも同様のことが起こった可能性を我々は否定できない」と、ガハルドは断言している。

このような状況の中で、同大臣は、事実解明に対する政府の強いコミットメントを改めて強調し、「これは歴史にとって、記憶にとって、そして彼に実際に何が起こったのか、彼が軍事独裁政権の犠牲者だったのかどうかを知るためにも、極めて重要である」と述べた。

一方で、人権次官であるダニエラ・キンタニジャ(Daniela Quintanilla)は、政府が本件に対して当該省庁の弁護士チームを提供したことを発表し、「彼らは抑圧的な体制構造や、強制失踪という現象にとどまらず、これら抑圧機関全体の行動に共通するマクロ犯罪的なパターンについて広範な知識を有している。私たちはそれを家族のために提供し、この象徴的な事件が真実と正義に到達できるようにしたいと考えている」と締めくくった。

 

弁護士でもあり家族の代理人を務めている詩人パブロ・ネルーダの大甥にあたるパオラ・レジェス・ロメロ(Paola Reyes Romero)は「2011年に始まったこの非常に象徴的な事件が、再び法務省に戻ってきたことを、私たちは非常に満足しており、感謝している」と述べている。

「確かに、これまでの年月は困難なものであった。しかし、私たちは今、死の状況とその周囲の事情について真実を明らかにするために、まったく異なる立場に立っていると信じている。家族にとって、パブロ・ネルーダは殺害されたのだ」。「願わくば、近いうちにこれらの結果を確固たるものとして確立し、真実と正義を明らかにする力を示すことができればと思う。それはチリのためだけでなく、世界中の人々のためでもある。世界は我々のノーベル賞受賞者に注目しており、真実を知る必要があるのです」とレジェスは断固たる口調で締めくくった。

#VíctorJara #AugustoPinochet

 

参考資料:

1. Ministro de Justicia avaló la tesis de que Neruda “no murió por causas naturales”
2. Por qué la justicia de Chile decidió reabrir el caso de la muerte del poeta Pablo Neruda
3. El Gobierno chileno respaldó la tesis de que a Pablo Neruda lo mató la dictadura de Pinochet

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