映画:「Valentina o la serenidad」子どもたちに死をどう伝えるか

「幼少期から、私の文化の一部である沈黙ではなく、死について語りたいという衝動に駆られていた」と、アンヘレス・クルス監督は、モレリア国際映画祭(FICM)で新作『Valentina o la serenidad』を上映した後、会見で語った。

ミステカ(民族)にルーツを持つこの監督によると、彼女の文化では大人は、愛する人を失った悲しみについて子どもたちに話すことを避けることがある。その背景を彼女は幼い子どもたちが愛する人の死に直面した時どのような反応をし、それに対し大人たちはどう対処すればいいのか、対処することが怖いのかもしれないと語る。なぜならそのようなデリケートな瞬間に直面した大人ですら恐怖を感じるからである。

年齢や成熟度に関係なく、愛する人を失うということに対し、誰も準備はできていない。しかし、アンヘレス・クルスの新作映画には、それに向き合い、同化し、美しい記憶を永続させ続けるという、感動的であると同時に心揺さぶるアイデアがある。喪失は普遍的なテーマであり、歴史を通じてさまざまな形で映画で探求されてきた。しかし、子供の視点から見ると、死はユニークな方法で経験され、しばしば大人とは異なる方法で理解される。

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本作の主人公は撮影地でもあるオアハカのビジャ・グアダルペ・ビクトリア(Villa de Guadalupe Victoria)村の十人から選ばれた。ダナエ・アウハ・アパリシ(Danae Ahuja Aparicio)が主人公バレンティナを演じる。

陽気で冒険好き、熱心で好奇心旺盛、そして自然を愛するバレンティナは突然父親を失う。父親は、バレンティナが何よりも欲しがっていた贈り物を持って戻ってくると約束して家を後にした。しかしそれが、父との最後の時だった。バレンティナは約束を守る父が、戻ってこないなどと言ったことを信じることができなかった。

ヴァレンティナは父親の不在を母親(Myriam Bravoが演じる)から、「父親は川に連れて行かれた」と教えられる。ヴァレンティナはその説明を父親は川に住んでいると解釈する。彼女は小学校の同級生にミステカ語を教えてくれるよう頼み、父親と「話す」ために川を訪れ始める。

ヴァレンティナとその友人ペドロはスーパーヒーローになったつもりで毎日遊んでいる。彼らは自分たちの超能力のひとつである稲妻と雷について常に話している。その要素は、最初は無意味であるかのように思えるが、映画が進むにつれ意味を持つようになってくる。父親を失ったことは、少女とその家族を突き刺す稲妻なのだ。そして監督にとって、バレンティナは間違いヒロインである。どんな布でもマントとして身につける彼女はマントを羽織ることで、自然を征服するスーパーパワーを持てるようになる。なお衣装にはクラウディア・サルガド、メイクにはミリィ、美術にはハビエル・エスピリトゥとディナザール・ウルビーナが参加した。チーム全員でバレンティナのルックを完成させた。

ダナエ・アフア・アパリシオは、この役を演じるためにアンヘレス・クルスからミステカ語を学んだ。「私たちと祖先をつなぐもの、この音の領域を再び取り上げることが重要だった」とアンヘレスは言う。アンヘレスによるとダナエは非の打ち所がない。監督が出した宿題はきちんとこなし、彼女が指定したテキストは、ミクステコ語のものでさえきちんと覚えた。リハーサルのために祖母の家に通い、いつも準備をしていた。彼女には学ぶことへの驚くべきハングリー精神があり、それが彼女を成長させた。

ヴァレンティナが作品を経験するプロセスは、他の文化ではセラピーや祭り、儀式で解決するのかもしれない。監督によるとミステカでは沈黙を使って解決する。監督は自分がほとんど言葉を発しない文化から来たこと、そして物事が異なる方法で理解されることを理解させることが重要だった述べる。すべての文化には、魂を受け入れるさまざまな方法がありますが、愛する人を亡くした人はみな、不在に直面したとき、魂を受け入れるプロセスを経ますと彼女は続けた。

 

監督によるとこの手の映画は、メキシコの豊かな文化的多様性を強調し、メキシコの先住民コミュニティへの理解を深めるための強力なツールであり続けている。アンヘレス・クルスは、視聴覚映画製作を通じて自文化保護を進めている。映画産業における重要な発展は、メキシコにおける先住民映画の出現である。そこでは、先住民コミュニティ自身が、彼ら自身の経験や視点を反映した映画の製作や監督に携わっている。これらの映画はしばしば、文化的アイデンティティ、土地をめぐる闘い、伝統の保護を探求しており、彼女が出版したように、これらのプロジェクトを支援し、普及させることで、より質の高い映画の先例を作ることができる。

この物語は監督自身の人生と被る。オアハカ州タルシアコ出身の監督もまた9歳で父親を亡くしており、悲しみの中を生きてきた。父の死は彼女のは人生観を大きく変えた。父の喪失感は彼女を動揺させ、弟以外の誰とも分かち合うことのできない沈黙の中に彼女を追いやった。

COVIDの健康危機が、監督をこの物語に駆り立てた。多くの人々にとって 「運命的で、大流行し、痛みを伴う 」2020年、「もう誰も失いたくない」「パンデミックのせいで、愛する人を失うというとてつもない恐怖を再び感じた」と彼女は述べている。

 

ダナエはミステカ・コミュニティ出身の少女として初めて、アリエル2024の「新人賞」部門にノミネートされ、歴史に名を刻んだ。

他の映画作品等の情報はこちらから。

 

参考文献:

1. ‘Valentina o la serenidad’: El duelo y la pérdida vistos desde los ojos de la infancia
2. ‘Valentina o la serenidad’, un abrazo de la infancia a la vida y a la muerte
3. Reseña: Valentina o la serenidad es honesta y de gran corazón #FICM

 

作品情報:

名前:  Valentina o la serenidad
監督:  Ángeles Cruz
脚本:     Ángeles Cruz
制作国: México
製作会社:IMCINE
時間:  86 minutes
ジャンル:Drama

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