(Image:Scemoso / flickr)
アルゼンチン人の巨匠フリオ・コルタサル(Julio Cortázar)の有名な短編作品のいくつかをウェブ上で出会うことができる。本ブログはスペイン語版のリンクを紹介するもである。
フリオ・コルタサルとは
フリオ・コルタサルはアルゼンチン系フランス人の作家で、短編、小説、詩を手がけ、20世紀ラテンアメリカ文学史上最も重要な人物の一人である。フリオ・デニス(Julio Denis)の別名も用いながら手がける彼の作品はしばしば、時間、記憶、アイデンティティ、幻想的なものをテーマにしている。
アルゼンチン人の両親のもと、ベルギーのブリュッセルで生まれる。アルゼンチンで育ち、ブエノスアイレス大学で哲学と文学を学ぶ。卒業後、教師、翻訳家として働く。1951年、初の短編集『ベスティアリオ(Bestiario)』を出版し、権威あるカサ・デ・ラス・アメリカス(Casa de las Americas)賞を受賞。コルタサルは、1960年代から1970年代にかけて台頭した文学運動「ラテンアメリカ・ブーム」に大きな影響を与えた。彼の作品は30以上の言語に翻訳され、映画化、テレビドラマ化、オペラ化されている。彼の作品はボルヘス(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo)にも認められている。
フリオ・コルタサルは1981年8月、胃出血で倒れ、奇跡的に一命を取り留めた。彼の執筆活動は死の直前まで続けられた。
晩年はパリで、マルテル通りとエペロン通りの2軒の家で暮らした。1軒目はエレベーターのない3階の小さなアパートで、快適で明るく、本や音楽のレコードがたくさんあり、愛猫フラネルを伴って、街を行き交う他の作家たちの訪問を親切にも受け続けた。
妻のキャロル・ダンロップ(Carol Dunlop)は1982年11月2日に亡くなった。妻キャロルの死はウイルスによる未知の病気だったとされている。それによりコルタサルは深い憂鬱に陥っていたと言われている。1984年2月12日、コルタサルは白血病で亡くなったとされている。しかし、2001年、ウルグアイの作家でコルタサルの友人であるウルグアイの作家クリスティナ・ペリ・ロッシ(Cristina Peri Rossi)は、この作家に関する著書の中で、白血病はコルタサルが南仏で輸血中に感染したとされるエイズが原因だったのではないかと考えていると述べている。
「キャロルと私は休暇中、とてもひどい目に遭った。エクス近郊のトロネにある一人暮らしの家に身を寄せてからわずか1カ月後、私に恐ろしいことが起こった。アスピリンのせいで私は死にかけた。エクスですぐに入院できたことと、立派な医師がいたことで私は救われた。とても大変で30リットル以上の輸血をされました。少しずつ井戸から出てきて、今は10月の初めにパリに戻るまで、親友の家で療養生活を送っている」。
ペリ・ロッシに宛てた手紙の中には「出血の原因が見つからなかった。それでも出血は続いている。3日目に潰瘍を探して胃を開けたが(それも)見つからなかった。もちろん白血病の恐怖はあったが、すぐに完全に(その可能性を)否定された。その後、アスピリンの乱用が原因だと推理された(…)どんな雲にも明るい兆しがあるように、最大13,000個あった白血球が、130,000個になっていた。もちろん白血病の恐怖はあったが、それを完全に否定するのに時間はかからなかった。そこらじゅうに針が刺され、鼻にプローブが刺され、ホラー映画並みの器具で線維内視鏡検査や気管支内視鏡検査が行われている話は割愛する」。
数年後、赤十字から送られてきた血液が汚染されていたことが発覚し、公衆衛生大臣が罷免される大スキャンダルとなった。血液は貧しい移民から買ったものだった。エイズという病気が知られていなかったので、検査も分析もされなかった。
ペリ・ロッシは2014年に『クラリン(Clarín)』誌に掲載されたインタビューで、このテーマについて次のように詳しく語っている。「フリオがエイズに感染したとき、エイズは特定されていなかった。エイズは正体不明のレトロウイルスから成っていた。彼がエイズに感染したのは、1981年8月、南フランスに住んでいたときに胃出血を起こしたからだ。彼は入院し、数リットルの輸血を受けたが、後にその血液が汚染されていたことが判明した」。フリオが苦しんでいた病気は、まだ診断されておらず、特定の病名もなく「免疫防御の喪失」と呼ばれていた。どうやって感染するのか、医師は誰も知らなかったのです」とペリ・ロッシはインタビューで付け加えた。
死後、キャロル・ダンロップが眠るモンパルナス墓地に埋葬された。墓碑と彫刻は、彼の友人である芸術家のフリオ・シルヴァ(Julio Silva)とルイス・トマセロ(Luis Tomasello)によって作られた。彼の葬儀には、多くの友人たち、そして彼の元パートナーであるウニエ・カルヴェリス(Ugné Karvelis)とアウロラ・ベルナルデス(Aurora Bernárdez)が参列した。
コルタサルは1984年に他界した。享年69歳だった。
1. Casa Tomada(邦題:奪われた家)
1947年にホルヘ・ルイス・ボルヘス編集の雑誌『ロス・アナレス・デ・ブエノスアイレス(Los Anales de Buenos Aires)』に掲載された作品で、コルタサル初の短編集『ベスティアリオ(Bestiario)』(1951年)の冒頭を飾る作品。現実的な背景から徐々に幻想的な要素を導入していく作者の作風が見事に現れている。物語は、古い家の世話をする二人の兄弟を中心に展開する。この物語自身コルタサルの見た悪夢からヒントを得て書かれた作品と言われている。彼の満たされた日常が急転する。何よりも、この作品は空間の存在感が強い物語である。
2. La señorita Cora
現代社会における孤立、疎外、つながりを求めるというテーマを探求している。物語の中心は、寄宿舎に住むコーラという名の若い女性で、平凡な存在に意味を見出そうと苦闘している。
コーラは、人とのつながりを求めながらも、他人と意味のある関係を築くことができない、孤独で孤立した人物として描かれている。彼女は毎日、周囲の人々を観察し、彼らの生活を空想し、社会からの深い疎外感を浮き彫りにしている。
コルタサルは物語全体を通して、鮮やかなイメージと超現実的な要素を用いて、コーラの内面の混乱と離人感を映し出す夢のような雰囲気を作り出している。物語は、コラの断片的な自己意識を反映する断片的でバラバラなシーンとともに、非線形の形で展開する。
物語が進むにつれ、コーラの精神状態は悪化し、現実からどんどん離れていく。彼女はさらに自分の心の中に引きこもり、実存的絶望に対処するために手の込んだ空想や妄想を作り出す。
結局、意味とつながりを求めるコーラの探求は解決されないまま、読者には不安と不確かさが残る。この作品は人間存在の複雑さと、しばしばバラバラで疎外感を感じる世界で真のつながりを築くことの難しさについて、痛切な瞑想の役割を果たしている。
3. Final del juego(邦題:遊戯の終わり)
1956年に出版されたアルゼンチン人作家の2冊目の短編集のタイトルとなった物語を特徴づけているのは、内面を抱える3人の姉妹、列車、そしてめくるめく青春の恋である。バンフィールドで過ごした幼少期の体験にインスパイアされたこの物語は、包み込むようなプロット、意外な展開、作者独特の語り口で登場人物の場所や仕草を描写する方法で際立っている。
全体として本作品は現実と自己に対する私たちの認識を覆す、謎めいた、心を揺さぶる一連の物語を通して語られる、人間の条件についての示唆に富んだ複雑な探求である。
4. La continuidad de los parques(邦題:続いている公園)
コルタサルの最も古典的な物語のひとつ。一つの物語の中でフィクションと現実を交差させる彼の能力の見本としてよく紹介される作品である。
5. El perseguidor(邦題:追い求める男)
コルタサルの古典とされるもう一つの作品。前衛ジャズ・ミュージシャンのジョニー・カーター(Johnny Carter)と彼の伝記作家ブルーノの複雑な関係を描いている。ブルーノの視点を通して、ジョニーの芸術的プロセスと内面の混乱、特に彼の創造的天才と自己破壊的行動に関して掘り下げている。退廃期を迎え、サックスも持たずにホテルの一室で暮らすアーティストをインタビューするジャーナリストの視点から語られる。ジャズを嗜む音楽愛好家であったコルタサルは、リズム、反復、言葉をソロのように奏で、持ち前の文学的妙技の限りを尽くして繰り広げる。
本作品は、芸術的インスピレーション、現実と虚構のあいまいな境界線、創造性の破壊的性質といったテーマを探求している。また、アイデンティティーの概念や、芸術に捧げた人生を送ることで生じる葛藤についても掘り下げている。芸術表現の複雑さと、それが個人の精神に与える影響について示唆に富む作品であり、痛烈な探求をしている。文学、音楽、そして創造性と狂気の交差に興味のある人には必読の書となっている。
6. La isla a mediodía (邦題:正午の島)
飛行機の乗務員として働く男性は、上空から見える亀の形をした島を空想する。島を巡り、島の住民と話をし、温かい海で水浴びをする自分を想像する。ミステリーはコルテーゼ文学の特徴だからだ。夢と欲望と現実の間をさまよう。もちろん、コルタサルは読者が望むものを決して与えないからだ。常に余談がある。彼自身が言ったように、「物事の裏側」である。
7. La noche boca arriba (邦題:夜、あおむけにされて)
卓越したクロス・ストーリー。構造化されていないテキストの代表作。音楽と同じように、再び時間がファクターとなる。間断なく、激しい事故の後、担架に横たわる若者から、花の戦争でメヒカ族に捕らえられ、ピラミッドの頂上で神々に生贄を捧げるという避けられない道へと導かれる人物へと移り変わっていく。1956年に『エンドゲーム』の一部として発表されたこの作品は、今日でも、平面の変化、時間性の扱い、読者を驚かせる能力において、ベンチマークとなっている。
8. Bestiario
コルタサルの初期の物語には、壊れた家族関係、秘密、近親相姦など、閉ざされたドアの向こうの物語への関心がある。コルタサルの処女作の名前の由来となった物語は、この種のテキストの一例である。少女イザベルが親戚の家で夏を過ごすが、そこにはトラが潜んでいた。その存在が、兄弟を対立させ、明かせない秘密のある家族として他の住人の行動を制限していた。トラの襲撃によって、決して安全とはいえない空間の呪縛がついに解かれる。虎の存在が緊張と謎の要素を加えている。
9. La autopista del sur (邦題:南部高速道路)
この物語は、単にエンジニアと呼ばれる名もなき男が、フォンテーヌブローとパリを結ぶ南部高速道路の大渋滞を中心に展開する。立ち往生した運転手たちは渋滞が続く中、閉じ込められた運転手たちは社会の縮図を形成し、老若男女が資源を分配し、病人の世話をしなければならない中で、互いに連帯と安らぎを見出す。やがて渋滞は解消され、登場人物たちはバラバラになり、慌ただしい現代生活に戻っていくが、これは混沌の中で共同体を目指す人間の傾向を象徴している。コルタサルは物語全体に象徴主義を用いる。登場人物は個人の名前で呼ばれる代わりに、車のモデルを用いて会話される。
10. Instrucciones para John Howell (邦題:ジョン・ハウエルへの指示)
演劇の世界を舞台にしたこの物語では、不可能な状況が展開する。ある意味、コルタサルは現実と虚構、強迫観念と不可解さの狭間で戯れている。
芝居の観客ライスは最初の休憩時間にグレーの服を着た謎の男に舞台裏に招かれる。彼は衣装とカツラを渡され、架空の人物ジョン・ハウエルの役を演じるよう指示される。
芝居を通じ彼は次第に孤立し、日課に支配されるようになり、最終的には自己の感覚を失っていく。途中決められた筋書きに縛られることに抵抗し、即興を始める。この物語は、厳格な規範と期待に支配された社会における現代生活の非人間的な性質と、個人の主体性の喪失についての解説である。そして、読者を現実と人生における役割に疑問を抱かせる作品と言える。
参考資料:
1. 10 grandes cuentos de Julio Cortázar para leer en líne
2. Cristina Peri Rossi, el amor imposible de Julio Cortázar
3. La “enfermedad sin nombre” que mató a Cortázar: abuso de aspirinas, 30 litros de sangre contaminada y un cáncer que no fue
4. Julio Cortázar Died Of AIDS, Not Of Cancer, Claims Writer’s Ex-Lover
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