シリーズ:「ホアキン・ムリエタの首を観る」で主人公に興味を持ってみる

Amazon Prime Videoを通じて「ホアキン・ムリエタの首を観る」を鑑賞したこともあり、興味を持ってホアキン・ムリエタ(Joaquín Murrieta)について調べてみることとした。なお、ネタバレの可能性も大いにあることをドラマ鑑賞予定者はその旨ご留意いただきたい。

 

ホアキン・ムリエタは、1829年~1853年7月25日に現存していた人物だ。カリフォルニアのゴールドラッシュ時代に生き、時に無法者、時に自由の戦士と称される彼に関する伝説は様々ある。ムリエタは一説によると1830年にメキシコのソノラ州アラモスで洗礼を受け、1853年にアメリカ・カリフォルニア州で死去したとされている。彼の生涯に関する情報がほとんどなく、とらえどころがない。彼のイメージは生産され不朽の神話となっている。

10代で結婚した彼は、1848年に妻と共にカリフォルニアに移住したとされている。この土地は元々メキシコのものだった。アメリカは侵略によってメキシコ領土の55%を奪った。その広さと言えば現在のカリフォルニア州、コロラド州、ニューメキシコ州などを含む250万㎢で、「グアダルーペ・イダルゴ条約(Tratado de Guadalupe Hidalgo)」を通じて土地をメキシコに「譲渡」させ、これに対し米国は1500万ドルを支払うとした。条約の締結は1848年2月2日のことだ。新州にやってきた入植者(ほとんどが白人)と、昔からそこに住んでいたメキシコ人や先住民の間で暴力が頻発するようになっていた。

その後、この土地にゴールドラッシュが訪れた。ムリエタは他の何千もの移民ソノラ人と同様、金を探し求めたとされている。その一方米鉱夫はメキシコ人を追い出そうと、1850年にサクラメントの議会に圧力をかけることでグリーサー法(Greaser Act)と外国人鉱夫法(Foreign Miners Act)を成立させている。伝説によると、ムリエタはこうした圧制に対抗して、サンホアキンやサクラメント渓谷などを縦横無尽に駆け回り、無法者の集団を率いて金鉱労働者を強奪していたとされている。カリフォルニア州知事が、生死を問わずムリエタの逮捕に報奨金を出すというのも、この伝説に共通する要素とされている。

上述の通り彼に関する伝説は様々なバージョンがある。ムリエタに関する物語を初めて綴ったチェロキー(Cherokee)族の小説家兼ジャーナリスト ジョン・ロリン・リッジ(John Rollin Ridge)ことイエロー・バード(Yellow Bird)は小説『The Life and Adventures of Joaquín Murieta, the Celebrated California Bandit』を1854年に発表している。そこではムリエタは白人の群衆に馬を盗んだと濡れ衣を着せられ、妻が輪姦され、弟が木に吊るされるのを見せつけられている。復讐を誓ったムリエタは英米人から盗みを働き続け、警察によって殺された。

ムリエタに関する物語で最も有名なのは、ウォルター・ノーブル・バーンズ(Walter Noble Burns)が1932年に書いた小説史『The Robin Hood of El Dorado: The Saga of Joaquin Murrieta, Famous Outlaw of California’s Age of Gold』だ。これは1936年になるとウィリアム・ウェルマン(William A. Wellman)監督によって映画化された。その際に題名は『Robin Hood of El Dorado』に改名されている。

チリのノーベル賞作家パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)は戯曲『Fulgor y muerte de Joaquín Murieta』(1966年)を通じムリエタはチリのキロタ出身だったとしている。彼の作品では切り落されたムリエタの首は馬に乗り、チリに帰郷する。ネルーダの作品には差別主義者である米国人が当時チリ人に暴力を加え、殺戮し続けたことに着想を得ているのかもしれない。なお、ムリエタ像はソロ(Zorro)やバットマン(Bad Man)といった架空の自警団にインスピレーションを与えたとされる。

ムリエタを追いやったのは米国に今も根深く残る人種主義や差別であり、また、家族を酷い形で殺されたからとされている。外国人鉱夫税をきっかけとし、土地を追われた元鉱夫たちは盗賊団を結成、次々と犯罪を起こすようになっていった。これらの盗賊は、自分たちを鉱山から追い出した人々を食い物にし、牛や馬を盗んだり、強盗をしたり、殺人を犯したりもした。

リッジは1850年には「ホアキン」という名の無法者がカリフォルニアを恐怖に陥れたという新聞記事があったとしている。その一方で同じ日に何百マイルも離れた場所で犯罪が起きていることもあり、全て同一の「ホアキン」が行ったものであるはずはない。しかしカリフォルニアで大きな犯罪が起こるたびに、ホアキンが容疑者になるようになっていった。「ホアキン」の姓は様々なものを用いて報道され続けたことからも、複数の「ホアキン」がいたらしいことが窺える。なおホアキン・ムリエタのフルネームが登場するのは1852年11月27日でLos Angeles Star紙におけるものだった。San Francisco Daily Herald紙は1853年4月18日にムリエタの自警団の起源について書いた。 鞭打ちにされ、4万ドルを奪われ、その不当な扱いがムリエタを憤慨させ、その後の人生に影響を与えたとしている。

カリフォルニアは恐怖に包まれた。1852年11月にはサン・ガブリエル(San Gabriel)で将軍が、1853年2月にはビッグ・バー(Big Bar)付近で6人の中国人金鉱労働者が殺害された。これは未解決の山賊による殺人事件であり、これはホアキンによるものだとされた。このような事件は続いた。そのためホアキンに対する米国人の不安は頂点に達し、カリフォルニア州知事ジョン・ビグラー(John Bigler)はハリー・ラブ(Harry Love)が指揮するカリフォルニア・レンジャーにムリエタと彼の仲間たちを討伐するよう求めた。1853年春にはカリフォルニア州議会はホアキンの首に6,000ドルの賞金をかけることを決定している。

1853年7月25日早朝、ハリー・ラブ率いるカリフォルニア・レンジャーは無法者のキャンプを襲撃、ギャングと対峙した。そして「ムリエタだと主張するメキシコ人」の首をはねた。ムリエタの右腕である「3本指のジャック(マヌエル・ガルシア/Manuel Garcia)」、ホアキン以外にもこの時6人が射殺されている。なお殺されたムリエタの頭はブランデー漬けにされ、その首は州内をパレードさせられた。その首が壷に入れて保存されているのは事実である。しかし、本当にそれがムリエタなのか、そもそもムリエタなる人物が存在したのかすら、現代においても多くの議論がなされている。なお殺されたうちのもう一人の手も酒瓶の中に入れて飾られたとされている。なお銃弾で撃ち抜かれたガルシアの頭は夏の暑さで急速に腐敗し、ミラートン(Millerton)近くのミラー砦(Fort Miller)に埋葬せざるを得なくなったとされている。

壷はマリポサ(Mariposa)、ストックトン(Stockton)、サン・フランシスコ(San Francisco)で展示され、観客は1ドルを支払って遺体を見にいったと言う。賞金がかけられていたこともあり、ホアキン本人の遺骨であることを記した宣誓書に神父を含む17人が署名したと言う。この儀式を通じてラブと彼のレンジャーは報奨金を受け取った。しかし、ムリエタの妹と名乗る女性は、その頭部に見覚えがないと言い、特徴的な傷跡がないことから、ムリエタのものではないと主張した。

ホアキン・ムリエタの実在性はわからない。しかしこの土地における不正義、差別、大量の先住民が殺されたことは事実であり、現在の米国を構成する土地の半分はメキシコから奪った領土であることも事実だ。

 

参考資料:

1. Joaquín Murrieta -American bandit-
2. Untangling the Legend of Joaquín Murrieta, One of California’s Most Storied Outlaws
3. JOAQUÍN MURRIETA

 

作品情報:

名前:  La Cabeza de Joaquín Murrieta(邦題:ホアキン・ムリエタの首を観る)
監督:  David Figueroa García、Humberto Hinojosa Ozcáriz
脚本:     Mauricio Leiva-Cock、David Figueroa García、Lony Welter
制作国: Mexico、USA
配給会社:Amazon Prime Video
時間:  35 or 46 minutes x 8 episodes
ジャンル: Action
 ※日本語吹き替えあり

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