(Photo Richard Ricciardi/Flickr)
環境正義(Environmental Justice)とは環境負荷が不平等にもたらされている状況を不正義だとする考え方だ。人種や肌の色、出生、所得に限らずどのような人であっても正当な扱いを受け、主体的に参加できることを求める運動と考えることもできる。それは環境や健康リスクに対して同じレベルの保護を享受し、そして生活・学び、そして働く上で健康的な環境のための決定プロセスにおいて平等である時に達成される。
都市に住む人間はなかなかこのような状況を理解しないかもしれないし、自らの生活水準を保ち、より良いものにするために地方、弱い立場にある人々の住む場所の犠牲は仕方ないと考える人すらいる。
有害な産業廃棄物処理場、原子力発電所は公共に必要な施設だとする一方、自らの居住地に建設されることには反対する。リスクを認識しているからだ。「Not In My Backyard(我が家の裏庭には置かないで)」と言う極めて都合よい主張は、不正義の象徴だ。たとえ技術の発展で環境に配慮した最新鋭の廃棄物処理施設を建設することができたとしても、そのような概念が地元における建設を妨げる。結果として、有害廃棄物施設は既に汚染された場所に建設されてしまう。あまりにも一般化されてしまったこの主張はNIMBY(ニンビ)、つまり地域エゴの象徴でもある。他者の権利が犠牲になる可能性を省みることなく、自らの権利、主張を優先するのはエゴ以外の何ものでもない。そもそも自らが嫌なものは、他者だって嫌である。
NIMBYへの主張は環境問題に対する解決にはならない。なぜならそれが実現された場合、別の場所に環境問題を移転しただけだからである。1987年、キリスト教連合会の「人種差別と正義に関する委員会」のベンジャミン・チャビス(Benjamín Chavis※)は環境人種差別(Environmental Racism )という言葉を用い、有色人種に偏り分配されている環境リスクの状況を訴えた。有害廃棄物処理場の多くは、有色人種や先住民族の保留地周辺に造られており、環境人種差別は制度化された差別と考えたからだ。
「環境正義の父」として知られるロバート・ブラード(Robert D. Bullard)は人種と環境問題を関連づけながら問題の概念化とその解決に向け地域社会と活動を進めてきた。最初に扱ったのはテキサス州ヒューストンのアフリカ系アメリカ人コミュニティー周辺の廃棄物埋め立て地に関するものであった。環境正義に関する戦いは公民権運動にインスパイアされており、最初の訴訟「ビーン対南西部廃棄物管理会社」にバラードは関わった。この訴訟の主体となる黒人は人口の25%程度であった一方、ヒューストンで処理された全廃棄物の82%が黒人の多い地域の近くに送られていた。そもそもこのような施設は住民の意思を組むことなく建設されてきていたし、1930年から1980年頃まで、 市有の埋め立て処分場の100%はアフリカ系アメリカ人の多い地域に隣接していたとされている。
有害廃棄物処理場は経済性、地質学的適性、政治的風土に基づいて造られるともされている。有害物質が地域の帯水層に流れ込まないような土壌の種類や地質であることが必要であり、土地のコストも重要な考慮事項とされていることによる。そのような条件において、選ばれるのはおおよそ周縁化された土地である。そしてこのような土地には、経済的事由から都市に住めず移動してきたもの、自らの土地を奪われ、政策によって特定の土地に追いやられ保留地の中に住むよう強いられてきたものもいる。
ブラードは1991年に「全国有色人種環境リーダーシップサミット」を開催したことでも知られる。上述のベンジャミン・ チャビスもまた各団体を結集させ、この会合に臨んだ。この会議の意義は環境正義の17原則の草稿を作成したことにある。リオデジャネイロの地球サミットが行われた1992年になると国連の主催する気候サミットに環境正義の代表団を派遣してきた。
環境問題は人権問題である。なぜなら環境問題を抱え苦しむ場所においては環境正義は達成されていることはないからだ。この点において環境正義に向けた運動は公民権、人権などの運動とも言える。環境不正義は一国内の問題でないことは容易に想定できる。例えばツバルは、気候温暖化による海面上昇とともにその領土消失リスクを抱えるが、これはツバル一国のせいではない。歴代の首相は「先進国が化石燃料を浪費して繁栄している陰には、島嶼国の犠牲がある」とも述べてきた。
ロバート・ブラードは『The Wrong Complexion for Protection: How the Government Response to Disaster Endangers African American Communities』で環境災害で生じた損害に対する復興支援も政治的影響力を 持つ所に集まることを明かしている。政治的影響力とはお金のある所や力のある所であり、脆弱なコミュニティーは、災害によってさらに置き去りにされたり、さらなる貧困の状態に陥る。これはハリケーン・マリアによって大規模損害を受けたプエルト・リコ(詳細はこちら)と、米国政府による支援でも見てとれた。当時の大統領トランプ(Donald John Trump)は、発生当初よりプエルト・リコへの復興支援はしないと述べている。米国民として、他と平等に納税を行なっているにも関わらずである。
環境不正義は当事者のみで解決できるものではない。むしろ、全ての人物が加害者、もしくは被害者として関与する問題である。全てを他人事として無視する時代ではないことを今一度認識する必要がある。
それは2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所 1号機・3号機・4号機でで発生した「水素爆発」から12年も経った今も、その土地に瓦礫が残りいまだ帰郷できない人がいることにも通じる。政府はこのような状況を無視、捏造、安全性面のみを主張しながら原発の推進に努めている。12年前の出来事もまた「記憶にない」とでも言うのだろうか。
米国の核兵器開発と原子力産業の中枢となり「国家の犠牲地域(National Sacrifice Area)」となったのは先住民居住地であり、米国政府は彼らの土地で先住民に健康リスクを知らせることなしにウラニウムを採掘、精製させてきた。また、メスカレロ・アパッチ族や西ショーショーニー族、南部パイユート族の保留地では爆発実験も行われた。これは現代に続く植民地主義、搾取の問題とも大いに関係を持つ差別の問題とも言える。
※ベンジャミン・チャビスはマーチン・ルーサー・キン グ・ジュニアのアシスタントを務め、公民権運動の指導者としても知られる。
参考資料:
1. 福島第一原発事故から12年 原子力政策の転換と課題【詳しく】
2. あれから10年、2021年の福島の「今」(前編)
3. 福島第一原子力発電所各号機の状況
4. 環境正義の追求
5. 日本のプルトニウム大量保有、世界が疑問視している
6. ロバート・ブラード博士 ヒューストンの「無制限資本主義」がハービーを「起こるべくして起こった大惨事」にした
7. Robert D. Bullard
8. Trump’s Puerto Rico tweets are the purest expression of his presidency
9. Trump tweet warns against spreading false news about hurricanes — a day after he tweeted false news about Hurricane Maria
No Comments