ビクトル・ハラ大通りへの名称変更と「平和に生きる権利」

2021年9月7日フェリペ・ムニョス(Felipe Muñoz)市長が議長を務める市議会は、エクアドル大通りをビクトル・ハラ大通り(avenida de Víctor Jara)に名称変更することを承認した。この通りはサンチアゴ大学からベラスケス将軍(General Velásquez)大通りまで延びている。

 

名称変更に対する取り組みは多くの人々に支持され、通りの住民の87%も賛成していた。そしてサンティアゴ大学も支持している。名言を排出したシンガーソングライターは彼の死後も人気で例えば「平和に生きる権利(El derecho de vivir en paz)」などは2019年首都サンティアゴで起きたセバスチャン・ピネラ(Sebastian Pinera)大統領の辞任を求める抗議活動でもまたこの歌は応援歌として採用され、100万人によって歌われた。

https://twitter.com/ErikaOSanoja/status/1188098725618561024

 

ビクトル・ハラ・マルティネス(Víctor Jara Martínez)は、「新しい歌(ヌエバ・カンシオン)運動」のリーダーの1人として知られている。1973年9月11日に起きたピノチェトによる軍事クーデターは米大統領ニクソンやCIA長官によって組織された。強力な後ろ盾のあった軍は共産主義者の集まる大学、地域、労働者たちによる工場などを空爆、人々を殺戮していく。チリ共産党員であったハラも殺害された1人で、軍によるモネダ宮(大統領宮殿)侵攻が行われた直後国立工科大学(Universidad Técnica del Estado、現在USACH)構内で兵士に捉えられた。クーデター部隊は他の人々とともにハラをチリ・スタジアム(現在のビクトル・ハラ・スタジアム)に連行、食料・飲料水を与えられず、数日間拘束した。スタジアムにハラがいることがわかると軍はは2度と音楽ができないよう六千人の面前で彼の指を斧で切り落とし、顔面、肋骨、腹部などを銃床と蹴りによって傷つけた。プリンス(Príncipe)と呼ばれた金髪、高身長の若者がハラのこめかみでロシアン・ルーレットをするかの如く引き金を引き、最初の一発を打ち込んだ。その後約6人の兵士が自動小銃で身体に向かって次々と発砲した。ハラの遺体には少なくとも44発の銃槍と無数の骨折が認められた。なお、彼の遺体は23発の銃弾を受けたリトレ・キロガ(Littré Quiroga)、他の3人(未だ誰かは不明)の遺体とともに、メトロポリタン墓地近辺の線路近くの空き地に遺棄されていた。享年40歳だった。

 

なお、ビクトル・ハラ殺害の実行犯への刑は事件から45年目になって下ることとなる。そもそも実行犯が起訴されたのはハラの死から35年以上経ってからのことだ。チリの退役軍人8名は2018年3月7日、懲役15年1日の判決を受けた。ウゴ・サンチェス(Hugo Sánchez)、ラウル・ホフレ(Raúl Jofré)、エドウィン・ディムテリ(Edwin Dimteri)、ネルソン・ハーゼ(Nelson Haase)、エルネスト・ベスケ(Ernesto Bethke)、フアン・ハラ(Juan Jara)、エルナン・チャコン(Hernán Chacón)、パトリシオ・バスケス(Patricio Vásquez)が犯罪者だ。バリエントスは米国に1990年に居住、米国市民権を取得していた。だからチリで判決が出ても逮捕されない。2013年、未亡人はカリフォルニア州サンフランシスコに拠点を置く「Center for Justice and Accountability」に訴訟、有罪判決とともに2800万米ドルの損害賠償が認められる。2018年7月初旬、当時の刑務所長キロガの殺害容疑で、再度チリはバリエントスの身柄引き渡し要請、その後チリで裁かれることとる。なお最後の最後まで、プリンスが誰かが明かされてこなかったが、エドウィン・ディムテル・ビアンキがそれであることが後々わかっている。

 

ヌエバ・カンシオン運動は米国の帝国主義への批判の中から発生したもので、常に米国からの干渉、政治的抑圧、社会的不平等をその背景とする。この運動がおきた1960年代には、米国によるキューバ プラジャ・ヒロンでの攻撃(1962年)、ドミニカ共和国に対する露骨な干渉(1964-65年)がなどが実行されていた。

 

平和に生きる権利(El derecho de vivir en paz) 

1971年4月ビクトル・ハラによって発表された「平和に生きる権利」は以下参照。

El derecho de vivir
poeta Ho Chi Minh,
que golpea de Vietnam
a toda la humanidad.
Ningún cañón borrará
el surco de tu arrozal.
El derecho de vivir en paz.

Indochina es el lugar
mas allá del ancho mar,
donde revientan la flor
con genocidio y napalm.
La luna es una explosión
que funde todo el clamor.
El derecho de vivir en paz.

Tío Ho, nuestra canción
es fuego de puro amor,
es palomo palomar
olivo de olivar.
Es el canto universal
cadena que hará triunfar,
el derecho de vivir en paz.

 

2019年に編集された歌は以下参照。

El derecho de vivir
Sin miedo en nuestro país
En conciencia y unidad
Con toda la humanidad
Ningún cañón borrará
El surco de la hermandad
El derecho de vivir en paz

Con respeto y libertad
Un nuevo pacto social
Dignidad y educación
Que no haya desigualdad
La lucha es una explosión
Que funde todo el clamor
El derecho de vivir en paz

Es la paz nuestra canción
Es fuego de puro amor
Es palomo palomar
Olivo del olivar
Es el canto universal
Cadena que hará triunfar
El derecho de vivir en paz

 

ビクトル・ハラについてはこちらも参照のこと。

参考文献:

1. “Avenida Víctor Jara será realidad”: Estación Central aprueba cambio de nombre de Avenida Ecuador
2. SITIO DONDE FUERON ENCONTRADOS LOS CUERPOS DE VÍCTOR JARA, LITTRE QUIROGA Y OTRAS TRES PERSONAS QUE NO HAN SIDO IDENTIFICADAS
3. Chile: condena 45 años después a los asesinos de Víctor Jara

 

作品情報:

名前:  El tigre saltó y mató, pero morirá… morirá…
監督:  Santiago Álvarez
脚本:     Santiago Álvarez
制作国: Chile
製作会社:Instituto Cubano de Arte e Industria Cinematográficos
時間:  16 minutes
ジャンル:Documentary

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