メキシコ:食事会を通じてディエゴ・ルナと一緒に社会問題を考える

食卓を共にすることで会話が始まり、共通の話題に触れ、ときに議論に発展することがある。これは多くの人が経験したことのある光景ではなかろうか。

私が大好きなメキシコの俳優、ディエゴ・ルナ(Diego Luna)は、この「食卓の力」を信じている。彼は、食卓という場をきっかけに、いま我々が話し合うべきテーマについての問題提起を行っている。

取り上げられるテーマは、性的暴力、気候変動、人種差別など多岐にわたる。話題が尽きることはない。

食卓に招かれる人々も実に豪華である。思想家、活動家、ジャーナリスト、さらには元大統領が登場することもある。登場人物たちは時に同じ見解を共有し、時に激しく対立する。

ディエゴ・ルナは、現代社会のあまりに極端な二極化に対して警鐘を鳴らしている。YesかNoか、賛成か反対かで議論を終えるのではなく、同じテーブルにつき、同じ話題について話し合い、他者の声に耳を傾けながら、どうあるべきかを共に考える姿勢が重要であると語っている。

番組のタイトルは「パンとサーカス(Pan y Circo)」だ。やや風変わりなタイトルだと感じる人もいるかもしれないが、このアイディア自体はディエゴによるものではない。しかし彼は、初めてこの言葉を聞いたとき、「まさにこれだ」と直感的に感じたという。

なぜなら、「パンとサーカス(※)」とは、社会的堕落や愚民政策の象徴とされる言葉であり、まさに彼がフィルムに収めたいと考えていた現代社会の姿そのものだったからである。

なぜこの二語が皮肉に満ちた象徴なのか。その背景については、2世紀ローマの詩人ユウェナリスが我々に教えてくれる。

…iam pridem, ex quo suffragia nulli
uendimus, effudit curas; nam qui dabat olim
imperium, fasces, legiones, omnia, nunc se
continet atque duas tantum res anxius optat,
panem et circenses……

我々民衆は、投票権を失って票の売買ができなくなって以来、
国政に対する関心を失って久しい。
かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、
今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―
すなわちパンと見世物を…

– ユウェナリス『風刺詩集』第10篇77-81行(Wikipedia)–

つまり、ローマにおいて「パンとサーカス」の無償提供は、権力者が市民を政治的無関心の状態にとどめておくための手段であった。

我々は、目先の何かに目を奪われるあまり、本当に大切なものを見失ってはいないだろうか。
見なければならないものに、見ないふりや気づかないふりをしてはいないだろうか。

気づかないこと自体が悪いのではない。他者の意見に耳を傾け、現状を知り、それについて考え、自分なりの意見を持つこと。そして必要に応じて行動を起こすこと。それこそが求められる姿勢ではないかと私は考える。

旅は、多くのことを教えてくれる。多くの人と会話を交わし、その国が抱える課題に気づかせてくれる貴重な体験でもある。
2021年の春も、残念ながらメキシコを訪れることは叶いそうにない。それでも、『Pan y Circo(パンとサーカス)』のような作品を通じて、他者の声に触れ、現地の現実を知り、考えることはできる。

そしてきっと、こうした知識や思考もまた、次に訪れる実りある旅のための、かけがえのないプロローグとなるだろう。

そう、ディエゴ・ルナが自ら「人種差別主義者ではない」と語りつつも、食卓での対話を通じて、自分の人生がその差別的な社会システムの中に組み込まれていたことに気づいたように。

本シリーズはLa corriente del Golfo によって制作されている。

※ここでのサーカスとは、競技場での戦車競争とか、円形闘技場で行われるライオンなどと剣闘士との闘いなど、民衆に提供される娯楽(見世物)のことを指している。

#DiegoLuna

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