2018年10月20日、12時間をかけてサンチアゴからプエルトモン(Puerto Montt)のバス・ターミナルに到着した。眠い目をこすりながら見た先には大きな海がそこにはあった。朝も10時になろうというのに、まだどんよりと薄暗く、若干の寒さすら覚えた。長旅の疲れを一気に吹き飛ばそうと、海に向かって大きく背伸びをし、目をパチクリさせると、視界の端に三角形のテントがあることに気づく。
見覚えのあるとんがり頭に目を向けると、自然と心が高ぶった。サーカスがそこにあることを反射的に空が察知したようだった。「まずは宿へのチェックイン。それから食事して・・・」と今日の予定を考えながら中心地を通り宿に向かうも、すでに夜の予定はきまっていた。サーカスを見る、である。
“Las Águilas Humanas(ラス・アギラス・ウマナス)”の今回の公演は、よくよく調べるとその安全が確保されていないとの理由からプエルトモンからは禁止されているらしかった。また、街灯での宣伝規制にも引っかかっているようで、なかなかの問題児ではあるようだ。役所が認めていないものを見に行くのには若干気が引けたものの、ここは海外。リスク管理は自己裁量とし、期待に胸を膨らませスキップしながら向かう。
今日は平日ということもあろうが、運よくチケットが手に入った。それも定価よりも安くである。今回もまたまた幸運に恵まれた。
前置きが長くなってしまったが、このサーカスについてお話ししよう。
1940年にEnrique Venturino Sotoとその子供たちによって創設された。このサーカス団は70年以上という長い歴史を大切にしながらも、その形にこだわることなく日々進化してきた。曲芸はももちろんのこと、その表現方法をも変化させてきた。これが、彼らの成功の秘訣とされている。また、母体としての家族経営がありながらも、メンバーを他国の団体と交換してみたりと、新しさや観客を楽しませることへの追求に余念がない。
コントーション、フープ・マニプレーション、空中ブランコとサーカスお得意のハラハラ、ドキドキのシーンが展開され、アーティストの一挙一動に観客の目が注がれる。安堵の声の後には、称賛の声とともに拍手が辺りを包む。そして何よりも歓声が上がったのは、彼らの演じるミュージカル・ショーだったのではないかと思う。
子どもたちの目線の先には、見慣れたキャラクターがいた。まるでそこはディズニーワールである。リメンバー・ミーの少年ミゲルやヘクター・リヴェラ、ママ・ココ、みんなのヒーロー ミッキーや可愛いミニー、プルートと、アナにエルサ、とにかくわんさかわんさか人気者が登場してくるのである。ちびっ子たちは、突然現れた人気者に精一杯手を振り、呼びかける。
ここにはもちろんオチも存在する。これら登場してくるアイドルは、私の知っている夢の国の住人とは少々程遠い。体は若干痩せこけ、顔のバランスもイマイチだ。ダンスも整っていないように思う。私の目が純粋でなくなっているから、そう見えてしまうのかもしれないが、それでもやっぱりちょっと違うのである。本物感はそこには全くない、似せるつもりもきっとない(主観)。しかし、その雑さ加減がまたツボにはまり、腹が痛くなるほど笑ってしまうのである。笑いの神様もきっと、この寸劇とも言えるものを見たかったのだろう。
“著作権”という言葉が脳裏をよぎった。まだ、夢の国にワープできていない証拠だろうか。
私の知っているキャラクターとの乖離が多いことを思うと、若しかしたら全く別の存在なのだろうか。そんなことを思ったら、余計に現実世界に引き戻された。
こんな時は決まって思う。まずは、その世界に入り込んでしまおう。まずは、その空間を皆とともに楽しもう、と。なぜなら、子どもたちが楽しそうに、キャラクターの名前を呼びながら声援を送っていたのも事実であり、彼らにとって舞台上のキャラクターは彼の憧れの存在そのものなのだから。
そして、またまた思う。この手のへんちくりんな偽キャラ(と一旦は断定)がいるからこそ、オーセンティックなものを見たいと思うし、本物に出会えば、皆、涙を流して感動するのではないか。むしろこの手のパロディー(?)は時として、本物の価値を高めることすらあるのではないか、と。
人生においてこのサーカス団に出会えたことはラッキーとしか言いようがない。彼らは世界を回っているというけれど、なかなか会う機会もないだろう。でももし機会があれば、冷やかしと思って、このおもしろ劇を見てみてはいかがだろうか。個人的にはとてもおすすめである。どこかでまた出会うことができれば、私はきっとリピートすることだろう。
ちなみに、このサーカス団の創設秘話は、こちら(スペイン語)をどうぞ。
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